こんばんは。さやかです。
あれは2月の初め,風の強かったある日のこと。
学科同期の男子と1時間くらいお茶するつもりが白熱してカフェはしごまでして6時間も喋ってきた。興味の対象と前提知識を共有して違う経験をベースに近い熱量で語れる相手は貴重だし,私とか彼みたいな対話で得る学びを重視するタイプは思考と学びの切れ目が縁の切れ目になってしまうのだなあと思うなど
— さやか (@oyasumitte) 2019年2月4日
ツイートのように,興味関心の内容や熱量が近い相手との対話を通して 曖昧で漠然とした自分の思考を言葉にしていくことは,ブログを使って一人で自分の言葉と向き合っているときの何倍も刺激的で,新しい気づきを得たり考えを発展させたりできることも多く,大好きな時間です。
特にその日,わたしは同期の彼と話す中で視点がガラッと変わって生き易くなったように感じることがいくつもありました。
というわけで今日は,私と同じような考え方の人が少し生きやすくなる(かもしれない)話を共有したいと思います。
よろしくお願いします。
- どうしても入りたいたった1つの業界、5選
- 挫折処女コンプレックス
- 軸然としていない軸もある
どうしても入りたいたった1つの業界、5選
就活をする上では欠かせなかった,自分の「軸」あるいは「譲れない点」。
あなたにとって軸は何ですか?そもそも,軸,ありますか?
私は正直,自分の軸がよくわかっていませんでした。
一応譲れないものというか,自分を自分で説得したり後から理由をつけて誤魔化したりしようとしてはいけないなと思っていたことはいくつかあって。
「フラットで上下関係が曖昧な組織環境は苦手」のようにふわりとした好みや,「インターンで感じた金融業界への不向き感」という具体的な感想まで,レベルすらバラバラだったのですけれど。
私には「どうしてもこれは嫌」と言える避けたい事項はあっても,「どうしてもこれがいい!」と思える対象も条件もなかったので,複数の業界を受けることとなりました。
当時の私の脳内にタイトルをつけるなら「私がどうしても入りたいたった1つの業界、5選」という感じです。
このように就活の文脈で「軸」というと上記のように企業を選ぶ際の軸になってしまうと思うのですが,一旦そこからは離れていただいて。
単純に「軸」という言葉そのものから,私は「一本筋の通った何か」というイメージを思い浮かべます。
私は,何か1つのことに一生懸命打ち込んできた過去を持つ人って「行動軸がしっかりしている,筋の通ったヤツ」に見えやすいと思ってきました。
言動に筋が通っている人が好きだし,自分自身もそうありたいと思っています。
だから就活でも自己PRとか自分の長所で「15年間バレエをしてきました」とか「大学まで部活で野球をやりきりました」とか,ずっと続けてきたことを掲げられる人は強そうだなあと思っていました。
それは,残念ながら私自身は1つの物事を究めるということができなかった人間だからです。
(関連記事︰1年前の自分と話せるなら、自己分析の呪いについて忠告したい。 - どんな言葉で君を愛せば、)
幼い頃から運動も楽器も何でもある程度器用に出来たけれど,完全燃焼したと誇れるものが何ひとつない。
一流として認められるゴールのもっと手前に自己満足地点を設定して,そこにさえ到達したら,完走しないまま勝手に帰って別のレースにエントリーしてきたような,そんな感じ。
たとえば部活も小中高でバラバラなので,それぞれの場所でスタメンに選ばれる力があったと言っても,良くて器用貧乏,悪く言えば飽きっぽいように映りそうで。
だから1つのことを究めた経験がある人に対して劣等感があったし,それは就活が終わったからといって消えるものでもありませんでした。
挫折処女コンプレックス
さて,就職活動をする中で自覚した欠点はもう1つありました。
それは「挫折経験の不足」。
私は燃え尽きるほど何かに打ち込んだことがないので,何か上手くいかないことがあっても,それによって自分のすべてを否定されるような,未来がすべて失われるかのような絶望を感じたことがありません。
自分が決定的に傷つかないように,幾重にも保険をかけるような生き方をしてきたからだと思っています。
たとえば中学も高校も確かに部活は頑張ったけれど「エリア優勝!」とか「県大会出場!」というチームとしての目標を最優先にして,部活引退までは勉強は二の次……ということをしたことがありません。
部活はある程度実力をつけて,選抜に入ってさえおければ良かった。
練習が終われば居残りもせずサクッと帰ったし,オフの日が何よりも好きでした。
高校も大学も,自他ともに妥当だろうと思われるレベルで受験したし,実際のところ落ちた経験がありません。
どうしてもこだわりたい無理めな対象に一途になって,それがかなわないときに精神のドン底まで沈めるのは恋愛くらいのものでした。
なぜ器用貧乏で挫折経験がないことがコンプレックスになるかというと,語るに足る強いエピソードが無いからです。
特に就活って,圧倒的に成長した経験とか絶望的な挫折を克服したようなストーリーが理想として求められている感じがしませんか?
(おそらくこれは私の就活に関する分析が足りていなかっただけで,もっと上手に進めている人もいたはずですが,この記事は私のような人に向けて書いていますので悪しからず。)
何かに打ち込み,その中で味わう挫折を如何にして乗り越え強くなってきたのか。
厳しいとわかっている環境にあえて身を置いたり,望みが薄いときに方向転換でなく克服に拘ったり……これが重んじられるのはとてもマッチョな考え方だと思います。
そして私は「働こうとする人間は精神的マッチョであるべき」だと思い込んでしまっていたので,そうでない自分の生き方に罪悪感がありました。
軸然としていない軸もある
…という話を冒頭のツイートで紹介した同期としていたところ,彼が一言「それってすごくしなやかな生き方じゃない?」と。
しなやか。辞書で引くとこうです。
① 柔軟で、弾力に富んでいるさま。よくしなうさま。
② 動作・態度に角張ったところがなく、なよやかなさま。たおやかで優美なさま。(三省堂 大辞林より)
「致命傷を負わないためならフィールドを移すことは厭わないってことでしょ。じゃあ軸は無いんじゃなくて,見えにくいだけだよ。それってすごくしなやかな生き方じゃない?」
泣きました。
私はまたいつもの如く,自分で内面化した「こうあるべき」という幻想の型にとらわれて,自分を客観視することができなくなっていたのです。
私のように,就活に限らず「○○とは斯くあるべし」という意識を持ちやすいタイプの人って少なくないと思います。
明確な理想があるというか「べき思考」が強く,その理想や自分との約束に縛られて,フレームの外があることを忘れてしまうタイプ。
心理学の教授も「うつ傾向のある人のストレス解消法は、自分の信念へのとらわれに気づくこと。"〜べき"思考が強いと、それが非合理な信念であっても達成できないときに人はストレスを感じ自分を責める。"〜だといいな"や、"ときには〜でもいいな"の発想を心がけていいかげんを許容しよう」と言ってた。
— さやか (@oyasumitte) 2018年12月14日
私は本当に「べき思考」の塊のような人間なのですが,こんなストレスフルな思考の癖は早く脱するべき。
そしてこんなふうにべきを多用するのを控えるべき。
今でも,大きな挫折を乗り越えた人はすごいなと思います。
でもだからと言って挫折したことがない事実を今恥じる必要はないし,何より恥じていてもどうしようもないのです。
そしておそらく,社会に出て働き出したら多分嫌でも挫折だって経験するでしょう。
何かを選択するときの「軸」は,いつも見えやすいこだわりであるとは限りません。
大きな挫折をしなくて済むようにリスクを減らしておくような選択をすること,それを私は自分に軸も自信も無い証拠だと思っていました。
精神的マッチョだけが正義なのだと。
自分を縛るそんな思考のフレームは自分で外せるのが一番良いのだけれど,やっぱり私が同期に気付かされたように,誰かとその話をするか,本を読んで他人の思考に触れるのが近道な気がします。
そして誰もがそうした「気づかせてくれる人」なわけでもないから,話すことでフレームの外があることを思い出させてくれる相手は特別です。
私は友人関係って基本的に相互に認め合えないと続かないと思っているので,私もそんな相手にとって「気づかせてくれる人」であり続けたいと思っています。
そういえば,自己分析を変にネガティブにならずにすすめるためには「ネガティブだと思うことをポジティブな表現に変換」しながらノートや日記をつけると良いらしい,と自分で書いておきながら,最近日記をサボってしまっていました。
(関連記事︰もはや前置きとかそういう次元ではない。 - どんな言葉で君を愛せば、)
生き方がしなやかだと言ってもらえたのは幸いですが,飽き性の素質もあることは間違いないです。
やや脱線してしまいましたが,就活に限らず自分の理想と現実にギャップがあるとき,現実の実力不足ということはままあるけれど,理想の方が間違っている場合もあるのだということ。
そして自分だけで考えるよりも,本を読んだり気づかせてくれる相手と話したりする方が効果的な薬になる場合が多いし,そういう友人は大切にしたいという話でした。
今日も長文にお付き合いいただき,本当にありがとうございました。
おやすみなさい。さやかでした。