どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

人生は晴れの日ばかり続かない

自分でも平凡だと思うけど

私の幸せは みんなが幸せであること

夫と息子 遠くに住む母 そして

たったひとりの弟の 健康と幸せを願ってる

──『スモークブルーの雨のち晴れ』23話

 

 

お守りのように、ずっと抱えている言葉がある。

人に見せられるもの、見せられないもの。私に向けられたもの、そうでないもの。

「仕方ないね、神の設計ミスだから」。これは言った彼も言われた私も神なんか信じていなかったくせに、頭に血が上ったとき思い出すと力が抜けるので重宝している。

 

何かの台詞だった言葉もある。28年生きてきて、いつか感想が大きく変わるだろうという予感が残る本、人生の節目で何度も見返したい映画に数多く出会ってきた。

漫画で言えば、『スモークブルーの雨のち晴れ』は間違いなくそれにあたる

 

スモークブルーの雨のち晴れ 1【電子特典付き】 (フルールコミックス)

 

 

嬉しいときに思い浮かぶ人と、一番悲しいときに連絡できる人。所謂好きな人がどちらなのか、年々わからなくなっていた。

 

好きなバンドの、有名だしライブでよく聴けて大好きな明るい曲と、普段は選ばないけれど疲れるとそれしか受け付けなくなる曲。一番好きな曲を聞かれれば明るい方を答えるけれど、落ちそうな気持ちを後者に掬われた数の方がきっと多い。

 

エルレで言うなら、どの曲が好きか問われたらThe Autumn Songと答えるが、本当はMiddle of Nowhereの方が自分の中での存在感が大きい、みたいなことだ。この対比だとどちらも底抜けに明るくはないので不適切かもしれないが、伝わると信じている。The Autumn Songは肌寒くても晴れている日の歌で、Middle of Nowhereは夜か、明けていてもきっと晴れてはいない曇りか雨の日の歌。

 

 

人生は晴れの日ばかり続かない

 ──『スモークブルーの雨のち晴れ』1話

 

冒頭この一文から始まる『スモークブルーの雨のち晴れ』は、決して暗い漫画ではない。

新卒で就いたMRの職で、同期同士だった二人。片や久慈は家庭の事情で退職し、残った吾妻も数年の後に心身の疲労からその職を退く。久慈の退職から8年、別々の人生を歩んだ二人が偶然再会して───

 

元ライバル、38歳男二人のなんかいい感じな人生のプランB

 

離職、燃え尽き、親の介護に相続。仕事を選び、選ばれること。それから、結婚しないかもしれない人生。三十代で再会し四十路に足を踏み入れていく二人が向き合う壁は、きっと少し先の私の前にも現れるのだという確信がある

 

 

将来の話だけではない。

「メール一本でも寄こせば メシ食いに行ってやってもいいのに」みたいなどうでもいい意地を張っていると、三ヶ月は一瞬で溶けていくこと。

“一段落”って いつするんだろーなー

ああ おれ 少し 疲れてたんだ

久しぶりに会ってはじめて会いたかったことに気づくのとか、お互い落ち着いたら誘おうと思っていたら会わないまま秋が過ぎ、それを振り返って惜しく思う冬とか。身に覚えがありすぎる。

 

そしてこれも派手なシーンではないけれど、吾妻が久慈に今の仕事を選んだ理由を尋ねるところから始まる二人の会話が好きだ。

「需要があるからだよ」

「それだけ?」

「自分の知識や技術をもって 何かしら人の役に立ちたい ベタだけどマジでそう思ってんだよ」

「うん わかるよ」

──『スモークブルーの雨のち晴れ』9話

これの何がいいって、久慈は1話でその仕事を「なんでもよかったんだよ 在宅でできる仕事なら」と言っているのだ。融通がきくから、需要があるから。べつに嘘ではない建前。でもそれだけかと尋ねる吾妻がいて初めて、人に言うつもりがなかった本音を差し出せる。

そういう稀有な存在にも、言わせた恥ずかしさと話せてしまった嬉しさにも憶えがあった。

 

人が仕事を離れるにも選ぶにも、続けているのにも、単純ではない理由があって。いつか建前だと思った「人の役に立ちたい」は照れくさい本音に、いつか本音だと思った生きるのに必要だというのは人に言いやすい建前に逆転していたのが、大人になるということだったろうか。

「つまんない嘘つくほど若くない」けれど、誰にでも本当のことを言うほど若くもない。嘘をつくのも楽ではなくて、誠意ではない正直さを知っている。「『これでいいんだ』と自分を納得させ」ながらなんとか立っているところに、「ごまかすなよ」と言ってくれる人がいて救われる。勝手に救われてきた。

 

「なんかあの頃おれが見てた久慈と 現実の久慈は全然違うんだよな 久慈が変わったのか おれの見方が変わったのか」

「両方じゃないか? 20代の頃はもっと頑なで とっつきにくい人間だったと自分でも思うよ」

──『スモークブルーの雨のち晴れ』28話

 

尊重しあったり強がったりしているうちに流れていく、ドラマにならないどころか思い出せもしない日々が人生をつくる。人生に巻き込み合って、気づいたら居場所をくれる人がいる。

 

数年前に別れたきりだった人と再会して、老け方とブレなさに安心したり、もう恋人ではない人の息災を祈り、会って意味も名前もない時間を過ごしては満足したり、あの頃の自分には想像もできなかった今日を生きている。プランAではない人生を。

 

BLというファンタジーを土台にしながら、すべてがひどく現実的に映る。

たとえば、現金払いでもたつく目の前の誰かに苛立つ日がある。私のようなせっかちな人間に後ろで冷たくつかれる溜息を、離れて暮らす母が知らない事はないのだろう。

「いやまいったよ いつものお母さんの要領を得ない話に 医者がイライラしてんのがこっちにまで伝わってきて 気持ちはわかるけどね 悩み相談しに行ったわけじゃないし 医者だって人間なんだって事は 昔からよーく知ってるけど」

「お母さん 今までもおれの知らないところで こんな仕打ち受けてきたのかなって思うと たまんないよ」

──『スモークブルーの雨のち晴れ』29話

母から時々、web予約の仕方など何気ないことを尋ねる電話がかかってくるのが嬉しい。それなのに、こんなこともわからなくてごめんねと母に言わせる何かを構成しているのは多分、時間に追われるあいだに一瞬その着信に応じるのを躊躇う私だったり、何でもオンラインで完結できればいいのにと日々何気なく思っている私たちだったりするのだから堪らない。本当に、堪らない

 

 

 

作中に、「だけど現実は映画や物語のように ただやさしく見守ることをゆるさない」というモノローグがある。

 

正直に言って、私たちが向き合うことになる現実はきっと、本書の「現実」よりもっと優しくない。久慈が自分で恵まれていたと語る生家のような環境面は言うまでもないが、その上で吾妻には久慈がいて、久慈には吾妻がいる。

アラフォー未婚独身全員に久慈のような家や仕事があるわけではなく、アラフォー未婚独身全員に吾妻のような恋人でも家族でもなく愛おしい存在がいるとは思えない。

 

「大丈夫か?」「何が?」

やさしさを受けいれられない

自分の弱さが情けなかった

俺も吾妻のようになりたい

 ──『スモークブルーの雨のち晴れ』27話

 

疲れたときに寄りかかれる誰かの肩はそうあるものではないし、その割に少しずつ小さくなっていく親の背中は愛おしくも重く迫ってくる。片手ではとても支えられない大切な存在がいるとして、そんなときに仕事を一度放り出して空けられる両手を持つ人がどれほどいるだろう。

 

「大丈夫か? 大丈夫ならそれでいい」

 ──『スモークブルーの雨のち晴れ』5話

 

ただ人生は、どんなそれでも自分でどうにかする以外にはどうしようもなくて、自分以外の誰にも自分は救えなくて、ただ「大丈夫か?」と言い合える誰かと支え合って歩いていくのだなと思う。吾妻のそれが繰り返し久慈を救ったように。

 

 

『スモークブルーの雨のち晴れ』を6巻まで読んだ後、連載中の公式サイトを見に行ったら更新未定の四文字があって絶望しそうにもなるけれど、漫画の続きが読めるかどうかわからなくても、キャリア迷子になっていても、人生は続く。明日も会社に行く。

 

なりたい大人にはなれなかった人の手に、それでもきっと残るもの。ささやかな夢、喪失の記憶、大事な人の健康と幸せを願う気持ち。

 

久慈の声が 髪が 指先が

おれを愛しいと言っているから

おれは久慈が嘘つけないって知ってるんだよ

「健康でいておくれ」

──『スモークブルーの雨のち晴れ』22話

 

人生は、晴れの日ばかり続かない。

それでもあなたにはどうかあたたかいところで、健やかにいてほしいと思っています。そう思える自分のことがあの頃よりずっと好きで、あなたには本当に、本当に感謝しています