どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

他人に差し出すティッシュは、目で見て手で触れる優しさだと思う。

 

「カフェラテのホットをひとつ」

 

土曜日の午後,一人で入ったカフェの店内はそこそこ賑わっていて,席の選択肢は多くない。

何となく,窓際に2つ並んで空いていた席の片方を選んだ。

 

注文したラテが運ばれてくるより先に,私の隣に座ってきた人がいた。

自分の隣席に来るのがどんな人なのか,つい目をやってしまうのは珍しいことではないと思う。

私は彼女がリクルートスーツを着ていることを横目で確認し,すぐに手元のスマホに視線を戻した。

 

直後に私のラテが届けられたのにすぐには口をつけなかったのも,何となくだった。

しばらくして,隣の彼女のもとにもドリンクが届く。

 

「アイスカフェラテでございます」

 

へえ,アイスかあ,と思った。

私はイヤホンをつけていて,彼女が何を頼んだのかは聞いていなかったのだ。

冬にアイスを頼むのが変だと言いたいわけではない。

私も暖房が効いた部屋では冷たいものが飲みたくなり,よくアイスを頼む。

ただ,それが多数派ではないことを知っている。

この時も席に着く前に見渡した範囲では,店内にいた人全員が温かい何かを飲んでいた。

 

アイスカフェラテを頼んだ,リクスーの女の子。

それ以上には何とも思っていなかった。

もう一度ちらりと彼女を盗み見たときに,頬を伝う涙を目にするまでは。

 

”ぽろぽろ泣く”という表現がぴったりな泣き方で,視線を窓の向こうにやりながら微動だにせず,涙だけが異質だった。

赤の他人とはいえ,隣り合わせた人が泣いていたら当然気になる。

でも誰かが一人で泣ける時間を邪魔してはいけないとも思った。

困っている人の力になりたいと思う性質でも,泣いている人が困っているとは限らない。

迷いに迷ったけれど,彼女が自分の涙に気付いたように目を擦ろうとしたのを見て咄嗟にティッシュを差し出した。

 

「これ,良かったら」

 

目を擦ると化粧は落ちてしまう。

外で泣きたくなったときは,擦らずに下瞼にティッシュをあてるのが良い。

泣いたあとも電車に乗って帰らなければいけないかもしれないし,もしかしたら彼女は面接か何かを控えているのかもしれなかった。

 

彼女は私が机に置いた鼻セレブのウサギを見て,次に私の顔を見て,恥ずかしそうに笑って小さく「ありがとうございます」と言った。

私はその言葉に「擦るとメイクとれちゃうと思って、つい」と返しながら,これは失敗だったかもしれないと思っていた。 

一人で泣く時間は貴重だ。

涙には本当に,溜まってしまった感情を洗い流す作用があると思う。

そして涙は,すっきりしたいから流そうと思って流せるものでもない。

泣きわめいて発散したいほどつらいときにも,泣けずにもどかしくなることがある。

 

私は去年,泣きたいときにそれを我慢しすぎたことで,泣けなくなった時期があった。

生来涙もろかった私がどんなに泣ける映画を見ても涙の一粒も出なくなっていたその状況が崩れたきっかけは,ある日大学に向かうバスの中で,ひとりでに涙が出てきて,声も出さずに泣けたことだった。

隣のリクスーちゃんの泣き方は,そのときの私と少し重なって見えたのだ。

私が水を差してしまったことによって,彼女に必要だった”泣く時間”を邪魔してしまったことを申し訳なく思った。

 

「アイスじゃなくて,ホットが飲みたかったんです」

 

私が伝えたようにティッシュを目に当てた彼女は,唐突に切りだした。

気丈に聞こえた声が,少しずつ震えていく。

 

「でも言い間違えたのか,聞き間違えられたのか,冷たいのがきてびっくりして,自分でもわからないんですけど,」

 

涙の理由を説明しようとしてくれたのだとわかった。

とはいえ注文を間違えられたくらいで普通の女子大生は泣かない。

きっとストレスが積み重なった上でのことだろうと思いながら,ラテアートが施された自分のカフェラテがまだ温かいことを確認して,少し彼女の方にずらし「偶然!実は私もアイスが良いのに間違えてホットにしちゃって」と笑った。

ちょっと演技くさかったかもしれない。嘘だったのだから。

 

「これ,まだ飲んでないので,良かったら……あ,すみません急に」

 

彼女が自分のアイスカフェラテを私の方に移しながらそう言ってきて,そこで私たちはカップとグラスを交換した。

こんなことを他人としたのは初めてだったし,多分この先にも二度と無いような気がする。

このあと彼女は少しずつ自分の話をしてくれて,それを聞いている限り,やっぱりオーダーミスだけで泣いたわけではないのだと感じた。

 

悲しいことが重なって重なって,でもそれはインスタのストーリーで真っ黒い背景に細かい白文字で書き出さない限り人には知られなくて,知られたところで一つ一つは傍から見れば大したことではなくて。

でもそれはやっぱり自分にとってはどうしようもなく悲しいことだったり,時には自覚がなくても涙の素として自分の中に溜まっているものだったりする。

 


SHISHAMO「私の夜明け」

なんてことのない一言に傷ついて

その上その傷は自分にしか見えないもんだから

♪SHISHAMO/私の夜明け

 

将来のことがわからないのは不安だ。

好きな人に好きになってもらえなかったら,つらい。

でも彼女の身の上話に私が共感できたのは,私がそれを経験してきたからで,それはつまり,彼女の涙の理由になった出来事も私が泣きたくなった体験も,ありふれているということになる。

ありふれていたら悲しくない?そんなわけはない。

「不安なのはみんな同じ」,「失恋なんてよくあること」。

だから何だと言うのだろう。

 

私より酷い目にあっている人がいようと,私はあの頃好きだった彼に選ばれなかったことが何よりも悲しかった。

同時期に進めた就活では,内定を持っていた私が一番行きたかった企業に行けなかったことを表立って悲しむことは許されなかった。

私が直接言われたことはないけれど,内定を持ちながら就活に絶望するようなツイートをした同期が,内定を持たない同期たちからフルボッコにされているのを何度も見た。

 

「あなたよりもっとつらい人がいる」という外からの抑圧は侮れない。

私よりもっと酷い目にあっている人がいるから私は泣く権利が無いと思ってしまうと,悲しみは発散できずに蓄積されていく。

好きな人に,自分の好意を利用して身体を消費されていても「私はこうやって彼のそばにいられるだけ,彼に拒絶された女の子よりマシ」と思えば離れる理由がなくなって,すり減り続けてしまう。

 

悲しんでいる自分を,認めていたわってあげることができるのは自分だけだ。

その悲しみは,自分にしか見えないから。

そこに,悲しみや辛さの原因が相対的に見てどうだとか,他にもっと不幸な人がいるとか,そんなことは全部関係させなくて良いのだと思う。

 

そして,このカフェでの一件が私にとって感慨深かった理由は,彼女の姿が過去の自分に重なったこと以外にもう一つあった。

 

忘れもしない,4年前の冬。

私立大学の入試を一人で受けた帰り,夕方の混んでいる山手線の車内で私は鼻血を出した。

今はかなり頻度が下がったけれど,4年前,受験生だったころには暖房が効いた車内や試験会場では本当に突然出てきて止まらなくなった。

あ,これはキてしまったな,と思った瞬間に鼻をつまんで上を向き,その間にティッシュを取り出して詰めることで大抵は事なきを得る。 

でもその時は電車が混んでいて,鞄の中のティッシュが取り出せずに困っていた。

下を向くと血が垂れる可能性があるし,片手でトートバッグをごそごそするのは効率が悪い。

焦れば焦るほど,あるはずのティッシュが見つからず,余計に焦る。

そんなとき目の前に座っていた男性が私に席を譲り,自分の持っていたティッシュを差し出して「これ,良かったら」と言ってくれた。

私より先の駅で降りていったその人の顔はもう思い出せなくて,たとえどこかですれ違っても「あのとき山手線で助けていただいた女子です」とお礼を言うことはできない。

 

4年前のその日から私はティッシュを,目に見えて手で触れる優しさだと思っている。

今はほとんど鼻血も出さない私は,常備しているティッシュを自分で使うより人に渡すことの方が多い。

だから,柔らかいものにこだわって選ぶようにしている。

花粉症の鼻にも,泣く人の目元にも,鼻セレブの柔らかさは優しい。

「これ,良かったら」の言葉とともに差し出されるティッシュは,具体化された優しさだ。

 

鼻血を出した私に差し出されたティッシュのように,見ず知らずの他人から受けた恩に,鶴の恩返し的な報い方をすることは基本的にできない。

直接的な恩返しはできないけれど,私が関われる範囲の誰かに還元することはできる。

 

これまで何度も食事をおごってくれた大学の先輩との食事では,この先もおそらく,私がお金を払おうとしても受け取ってもらえることはない。

先輩は「お前がおごられた分,後輩におごってやればいいんだ」と言っていた。

 

お金もティッシュも優しさも,同じだと思う。

無論,相互的に与えあって直接恩を返すべきこともある。

人間関係を築く上では,それは必須だと感じてもいる。

でもそればかりでもないような気がするのだ。

誰かに優しくして,それが相手から直接的に感謝されたりお礼をされたりというかたちで戻ってこなくても,自分の親切が誰かの親切を生んだら,それって単純にすごく素敵だなあと。

 

……というわけで今日は,赤の他人から受けたティッシュの恩を他の赤の他人にまわせた感動を報告したくてこの記事を書いてきました。

自分の中の悲しみが人からは見えないように,自分が嬉しかったことも自分で表現しないと外からは見えません。

そして時には,自分からも見えなくなってしまいます。

私は自分はだめな人間だと思ったり,冷たい人間だと思ったりして自己嫌悪に陥ると,自分にできたことや自分を少し褒めたくなるようなことをすっかり忘れてしまう癖があって。

だからこうして自慰的な,自分の良いところを後から確認できるような記録も残しておきたいなと思います。

 

お付き合いいただきありがとうございました。

おやすみなさい。さやかでした。