どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

「わざとだよ?」

マッチングアプリのメッセージで「漫画を貸してほしい」と言ってきた男性に対して、大変ご立腹されている女性を見かけた。

いい大人が自分で買おうとしないなんてと憤る気持ちはわからないでもない。ただ男性からすれば、自分も相手も好きなものを会う口実にしたいということなのでしょう。

 

借りて、返す。余程のことがない限りは、自然に二回会う口実になる。

 

好きな人の家から帰ろうとしたら通り雨が降っていた、ある日のことを思い出した。傘を貸そうとしてくれたその人に「大丈夫」と答えた三秒後、私は、借りていけばまた会えるかを考えなくてよかったのだと小さく後悔したのだった。

彼と会ったのはそれが最後……という展開になっていたら、きっと意地を張ったことを悔やんでいたはず。結局そうはならなかったけれど、素直に甘え(て自然に次の機会をつくる)力はコミュニケーション能力の一部だと改めて思う。

 

漫画や傘を借りるとか、ピアスを部屋に忘れて帰るとか、わざと終電を逃すとか。そういうクラシックなあざとさが、時には必要なのかもしれない。その「時」はどうやらマッチングアプリのやりとりではないようだけれど。

f:id:oyasumitte:20220814163942p:image矢沢あい『NANA 3巻』集英社,2021年

たなごころ

 

「延岡、吸わないの?やめたんだっけ?」

「いやー、そうすね、今日は……」

煙草に火をつけた日向さんが不思議そうに言う。その視線の先にいる男の反応に、思わず持っていたグラスを置いた。

今日は……今日は。

学生時代から数えてもう九年の付き合いになる延岡が、私の前で煙草を吸ったことは一度もない。今日この居酒屋を予約したのは、向かいに座る彼の先輩のため。会社の人があなたと飲みたいって言ってるんだけど、と延岡から日向さんの写真を見せられたときに二人で飲んでいたお店が分煙だったのか禁煙だったのか、それは思い出せない。二人のときは気にしたことがなかったから。

日向さんが私を一瞥し、へえ、今日はねと薄く笑う。その視線から逃れ見やった延岡の横顔には、飽きるほど見てきたばつの悪そうな笑みが浮かんでいた。次何飲まれますかと堪らず口を挟んだ私も、もしかしたら似たような顔をしていたかもしれない。

 

数時間後、日向さんを乗せたタクシーを見送り、どちらからともなく揃って歩き出す。二人きりでもそうでなくても、延岡と飲んだ日はいつもそう。

んー、と伸びをする私の熱くなった顔を、ぬるい風が撫でていく。風上にいる彼からは、微かに日向さんが吸っていた煙草のにおいがした。今まで何度もあったのだろう。誰かの吸った煙草か、もしくは彼自身が私の知らないところで吸ったそれが、彼の方から香ったことは。

「今日は、ねえ。知りませんでした」

「言われると思った。だから今日会わせるの怖かったんだよなあ」

「次は吸えるところにしよっか」

「気にしないでよ、ヘビースモーカーじゃないし、あなたの前で吸いたくない」

どうして、と口から出かけた言葉を飲み込んだ。これまで見せないようにしたこと、してくれたこと、見ないふりをしあったこと、見なかったことにしてそのまま忘れてしまったこと。九年は十分な時間だった。尋ねてしまえば彼が何を言うのか、一言一句違わず予想できてしまうくらいには、私は彼を知っている。

「そっか。私、案外延岡のこと何にも知らないのかもね」

「そんなことないと思うけどなあ」

 

私より温かくて大きい この手を愛とよべないのなら 愛とはいったい何でしょう

こぐまちゃんとか おおきなポケットとか たくさんのふしぎとか

 

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『おおきなポケット』に、『たくさんのふしぎ』。ピンときたあなたには、お子さんがいるのでしょうか。それとも子どもに関わる仕事に従事されていたり、或いはご自身の記憶に残っていたり?

私はといえば、すっかり忘れていました。実家の書棚の一角を占める、その細い背表紙の大群を見つけるまで。

 

そう。おおきなポケットもたくさんのふしぎも、子ども向け絵本の月刊誌なのです。

子ども向け絵本。福音館書店。懐かしい響き。大人になり結婚もせず子どものいない独身OL、つまりわたしには、随分縁遠くなってしまった世界。

 

 

わたしがそれらを読んでいたのは、実家に残るラインナップから察するに、7歳くらいまでだった。

引越しや、折に触れて行う教科書や書籍の整理を経ても、母の判断で処分されてこなかった絵本たち。先述の『おおきなポケット』『たくさんのふしぎ』、もっと幼い子向けの『こどものとも』『かがくのとも』。わたしの生まれ年から数年分と、兄弟の生まれ年から数年分。薄い本とはいえ、それなりの存在感を放っている。

 

25歳になった私は、およそ20年ぶりにそれらを手に取った。理由なんてない。実家で暇を持て余して本棚を眺めたとき、今まで気にもとめなかったその絵本誌たちが急に気になった。

それは友達が結婚したり先輩が出産したりする話が、最近増えてきたからかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。

 

正直なところ、中身を見れば既視感をおぼえる作品はいくつもあったものの、その表紙に『おおきなポケット』なんてタイトルがついていたことはすっかり記憶から抜け落ちていた。なぜ好きだったかは覚えているのに、顔と名前はぼんやりとしか思い出せない、幼稚園の先生たちみたいに。

でも私には“あの頃”と言うにはあまりにも遥かな記憶は、母にとっては確かな“あの頃”だった。

 

「あの頃私が好きだったの。あなたが生まれたお祝いに貰ったのをきっかけに定期購読を始めて、いろいろ探したけど、好きな写真家さんの作品もあるのも見て結局ね、」

 

 

春に、ひろしま美術館にて開催された『こぐまちゃんとしろくまちゃん 絵本作家・わかやまけんの世界』展を見に行ったときと同じ気分になった。

美術館には似つかわしくない子どもたちの無邪気な声が響き渡り、それに顔を顰める人は無く、幸せってこういうことだろうなと思うしかない空間。そこで、知らない親子と“あの頃”の私たちを重ねて、勝手に親が自分にしてくれたことを確かめていた。

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絵本を買って、借りて、毎日読み聞かせをしてくれたこと。両親自身に読書の習慣があったこと。多分そのおかげで私はずっと読書が好きなこと。美術館に自然公園に温泉と、日本中さまざま連れ回してくれたこと。おかげで私はずっと旅行が好きなこと。

 

社会人4年目。大学進学と同時に家を出て、丸7年と少しの間一人で暮らしてきた。母が家事の一切をワンオペで回してくれていたことや、父の全面的な支援によって金銭的な心配をする必要もなかったことの有り難み、そういうものは学生時代にわかりきったと思っていた。

 

でも与えられたものってそんなに簡単に、一人で生活するようになった程度のことで見えるようなものばかりではなかった。

裕福な親が我が子にもたらす恩恵を埋め合わせるのは容易ではない。私が主として念頭に置いているのは、相続財産の話ではない。遺産税をしっかりかければ、その問題には対処できる。私が考えているのは、誠実で裕福な親が我が子を手助けする日常的なあり方のことだ。

マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』

当然だが、これを引用して示したかったのは、我が家がアメリカ社会の格差を語るときの“裕福”側に回るほどのトンデモ裕福であったということではない。私が確認したかったのはあくまでも、親が子に与え得るものは、数値化して均すことができるものばかりではないということだ。

 

 

25歳になり、身の回りには与える側となった大人の方が多くなって、同世代も徐々にそちらに回り始めた。実家の本棚いっぱいの絵本やその作家の展示、今それを現役で楽しんでいる親子を見て、両親の大きさを感じることはできる。できたかもしれないとまで思っていた。

でも最近、本当に理解したと言えるのは、理解した上で自分の親とその話ができるのは、もしかして私自身が親になってからなのではないかと考えてしまって。

 

誰に何を言われたわけでもなく、だから何ということもない。結婚を急かされてもいないし焦ってもいないし、ましてやこの話で自分以外の、子を持たない誰かの立場を否定するつもりなどない。

ただ私にとって人生って、自分のためだけに生きるには長すぎたり、しかも何かを受け流したり消化したりする力がつくのと同時に鈍っていく感受性だけで楽しむにはあまりにも平凡だったりするな、と。

 

 

こぐまちゃん展を見た日、企画展入口の脇で記念写真を撮ろうとする親子三人がいた。写真に写るのは抱っこされている子とお父さんの二人で、カメラを構えるお母さんは写らない。つい、写真撮りましょうかと声をかけてしまった。

二人の写真が残れば、撮っているお母さんもそこにいたことは確かで、三人の思い出として残るのは間違いない。だから余計なお世話だったかもしれないけれど、自分が小さいときの写真になかなか両親が揃って写っていなかったことを思い出したら、何だかいてもたってもいられなくなって。

 

そんないてもたってもいられなくなる相手の多さって、幸せの測り方の一つになりそうかなと思ったり思わなかったりも最近はしていて、それで、これは一体何の話でしたっけ?

 

 

そう、広島では子の嬉しそうな奇声と親の控えめな読み聞かせで満ちたほっこり空間だったこぐまちゃん展が、ついに今日7月2日から東京・世田谷美術館で開催されるという話でした。

余計なことをいろいろ書きましたが、展示自体もとても満足感のある内容で、素直に見に行ってよかったなと思います。オンライン予約できる日時指定券と、窓口で買える当日券があるようです。ぜひあの頃の、そしてもしかしたら今の、幸せを浴びに行ってみてください。

 

 

こぐまちゃんとしろくまちゃん 絵本作家・わかやまけんの世界

会期:2022年7月2日(土)~9月4日(日)
開館時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)
休館日:毎週月曜日 ※7月18日(月・祝)は開館、翌7月19日(火)は休館
会場:世田谷美術館 1階展示室

世田谷美術館企画展公式ページ(チケットはこちら):絵本作家・わかやまけんの世界 | 世田谷美術館 SETAGAYA ART MUSEUM
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