『囀る鳥は羽ばたかない』という漫画が好きだ。
どんな作品かと問われると説明が難しい。気は進まないが端的に言うなら、非常に暗い、年齢差主従関係BLである。
壊さないとあいつは言った
もうとっくに壊れていた
擦り切れてく 生きることは 途方もない
───ヨネダコウ『囀る鳥は羽ばたかない』6巻
主人公は矢代という美しく頭の切れる男で、36歳、反社会的組織の若頭。相手は元警官ながら訳あって矢代の付き人となる25歳の青年、百目鬼。
最初こそ矢代の付き人だった百目鬼は半年で矢代本人に追放され組織を去ったし、そこから二人が再会するまでには4年もかかった。40歳と29歳、いい歳になった二人の物語は単行本が9巻まで出ているが、この間一度も二人は恋愛関係に至っていない。一度たりとも。
それでもBLはBLで、さらに多分に暴力的かつ性的で成人向け。登場するのはスジ者のおじさんばかり。随分と人を選ぶ作品ではあるのだが、それを押してでもすすめたい。
BLというのは難儀なもので、それをまったく読まない人より、読んでいる人に好きな個別作品の話をする方が難しいのである。なぜならBLにはすべてがある。故に読み手は偏食をゆるされる。嫌いなものを徹底的に避けても供給が尽きないため、我儘放題なのだ。死、暴力、強姦、輪姦、モブ攻、3P、受が対女挿入、攻めフェ……この辺りのキーワードを受け付けないそんな偏食家にとって、『囀る鳥は羽ばたかない』は地雷原となる。
そしてそんな嗜好さえ霞むような決定的な地雷が、この作品にはある。矢代が幼いうちに義父から受けた性暴力が明確に描かれるのだ。男なら誰でもいい淫乱と蔑まれる矢代の被虐癖はここに端を発しているため、必要な描写ではあるが、このシーンは本当に苦しい。
だから『囀る~』を薦められない相手がいるとすれば、創作でもこの描写に耐えられない人と、男が男を愛する話がそもそも無理そうな人、そして地雷の多い腐人。ほかは全員読んでほしい。
試し読みは先生自らXで公開されています
https://x.com/yoneco_info/status/1839613844039020560?s=46
さて「俺が救えるのは他人に救われる準備がある奴だけだ」とは別作品のキャラクターの台詞だったけれど、矢代はまさに救われる準備がない側の人間。
母の再婚相手に犯され、自らの尊厳を保つため「痛いのが好き」と自分に言い聞かすように変態を騙り、そして初恋の相手だった男友達を陰で救うためにひっそりとヤクザに身を堕とす。愛した男に降りかかる火の粉を払う為ならどんな自己犠牲も払い、そして救ったことをおくびにも出さない健気な男である。
何の憂いもない 誰のせいにもしていない
俺の人生は誰かのせいであってはならない
矢代の誰にも救われようがない強さと、抑圧されきって捻れに捩れた自己肯定が愛おしい。たまらなく好きだ。
大切な堅気の男のために裏社会に身を沈めた矢代は、特別な思いを抱く部下・百目鬼についても、自らと同じところまで身を堕とさないよう突き放す。お前は今ならまだ堅気に戻れると、そういう本心は言葉にしないまま百目鬼を拒絶する。まだ若い男の将来を大切に思えばこそ、不器用に遠ざけるしかなかった。
一方で矢代に捨てられたと感じた百目鬼は、それでも彼と同じ世界に身を置きたい一心で、別ルートからヤクザになってしまう。矢代の遠回しな真心は百目鬼に伝わらず、二人は絶望的にすれ違っていく。
俺はもう本当に
本当にどうでもよくて どうにもならなくて
痛いだけマシだとすら思っていた
どうしようもなく切なく悲しくて、あまりにも人間臭く、こんな漫画は他にない。
好きだからこそ、『囀る鳥は羽ばたかない』みたいな作品がいくつもあってたまるかと思っていた。こんなに重く暗く激しく悲しい最高の話なんてあればあるほどいいに決まっているが、あるわけがないのだと
そこへきて、これ。
下巻突入𓂃。
— Ame@読書 (@furuyoru834194) 2026年4月12日
「囀る鳥は羽ばたかない」が好きな人は絶対好きだと思う。#今読んでる本 #聖なる黒夜 pic.twitter.com/dHnXiGZSqB
絶対好きだと思うとは随分な言い様だが、話半分に読んでみることにした。
結論から言うと、今ではわたしはこの投稿に甚く感謝している。確かに大好きだった。『囀る鳥は羽ばたかない』が好きで、小説『聖なる黒夜』だけを嫌う人はいないように思える。
主人公は、中学生の頃、剣道を嗜む親友がたった一人で先輩にいじめられないか心配するあまり、自らは未経験で剣道部に入部してしまうほど人の良かった男・麻生。天才刑事と呼ばれた麻生が若かりし日に逮捕した大学院生・山内練は、今や男妾あがりの企業舎弟。広域暴力団の大幹部が殺された事件で、二人は担当警部と容疑者として再会する───
「あんたはこれまでも、自分がパクった奴らのことを心配したり面倒みたりして来たわけ?」
「……いいや。中には相談にのってやった奴もいたが」
「で、今回はどうしてそう、心配なのよ。これまでの奴らに対してと同じに、無視して生きてたらいいんじゃないの?」
「どうしてなんだろうな」
麻生は思わず、笑った。
「実際、わからん」
練の表情がゆるんだ。微笑んだように見えた。
「自分でわかんないんじゃ、しょうがねぇじゃねぇの」
「ああ、しょうがない。鬱陶しいか」
「ものすごく鬱陶しい」
「我慢してくれ。俺は昔から、気の済むまでひとつのことをしないといられないタチなんだ」
「迷惑なおっさんだぜ、ほんと」
歩幅が少し、縮まった気がした。練は歩く速度をゆるめ、自分から麻生の横に並んだ。そして、後は言葉を発せずに、あの時タクシーの中でハミングしていた曲をまた、口ずさんでいた。
「なんて歌なんだ、それ」
「Because the night」
ただし『聖なる黒夜』が『囀る鳥は羽ばたかない』と大きく異なるのは、BLを謳っていないということ。
過去の一点で偶然に人生が交わった男相手にバカデカい感情を抱いてしまった男が、望むと望まざるとに関わらず大きな因果に巻き込まれていくだけの、BLではない警察小説である。
「勝手について来たくせに、先に帰るんだ」
麻生は一万円札を一枚、テーブルに置いたが、練はそれをテーブルから指先で弾き飛ばした。
「小娘みたいな拗ね方をするな」
麻生は札を拾った。
「楽しくやれなくなったらお開きにした方がいいだろうが」
「余計なことを言いだしたのはあんた」
「違う。挑発したのはおまえだ」
練は足を組み替えて麻生とは反対の方を向いてしまった。
麻生はその仕種に笑いそうになったが、そのまま店を出た。
(略)
東口の前からガードをくぐって西側に出ようとした時、ようやく麻生は振り返った。自分と歩調を合わせて歩いている足音を、雑踏の中で聞き分けたのだ。
振り返り、笑ってから、麻生は呟いた。
「ほんとに、小娘みたいな奴だな、おまえ」
わたしに刺さりに刺さった二人の軽快なやりとりばかり引用してしまったが、警察小説であると同時に、読者としてはきっちり張り巡らされた伏線を辿れば中盤で真相に思い当たれるタイプのミステリーでもある。全体を通した空気感はもっと重苦しい。
「山内は、盃を受けろと言われたらしい」
田村は一度顔を上げ、それからまた下を向いた。
「なら、決まりだな。練は逃げらんねえよ……あいつはヤクザにはなりたくねえって言ってたけどなあ。どうしようもねえよ……断ったら、殺されるもんな」
名門の大学院で研究に勤しむ、一介の気弱な大学生だった山内練。とある事件が彼の人生に影を落とし、そこからすべての歯車が恐ろしく最悪な形で噛み合っていくのである。
そんな進退窮まる山内の姿に重ねてしまうのは、やはり『囀る鳥は羽ばたかない』の矢代だった。
親友の家をヤクザの地上げから守るため「結局この道しかないだろ」と自らに言い聞かせ、なりたくなかったヤクザと親子の盃を交わしてしまった矢代。そうして守った親友であり初恋の男が何も知らず「今ならまだ間に合う」などと説得してきても、ただこう返した矢代。
「なるべくしてなるんじゃない
そこにしか道が残されてないだけだ
ヤクザの俺がそんなに嫌なら
いっそ知らない人間だと思ってくれて構わない
その方がお前も楽だろ?」
あ゛あ゛!!!苦しい!!!
BLコミック『囀る鳥は羽ばたかない』の矢代と百目鬼にも、BLではない警察小説『聖なる黒夜』の麻生と山内にも、とにかく幸せになってほしいです。
おやすみなさい。よい夜を。





