どんな言葉で君を愛せば|oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

いったいどこから始まったのか?/ 『秘密にしていたこと』

『あなたについて知っていること』という小説が大好きだ、と二ヶ月前に書いていた。

あなたは人生がいつ始まるのか知らなかった/『あなたについて知っていること』 - どんな言葉で君を愛せば|oyasumitte

そう。あまりに好きで、タイトルのパターンが似ているだけの海外文学を、何の詳細も見ずに良いと確信して買ってしまうほど。

 

タイトル買いしたその本こそ、セレステ・イング『秘密にしていたこと』(田栗美奈子訳)だった。

秘密にしていたこと

 

舞台は1977年5月のオハイオ州。中国系アメリカ人のジェームズと結婚したアメリカ人・マリリン、その娘・リディアがいなくなったある朝から物語は始まる。

リディアは死んだ。だが、彼らはまだそれを知らない。

一家は両親と兄、リディア、妹の五人家族。

妊娠によって挫折した、医師になるという夢を諦めきれなかったマリリンは、その夢を自分によく似た娘のリディアに背負わせていた。毒親という単語が脳裏を過ぎる。

一方でリディアの兄・ネイサンと妹・ハンナは白人のマリリンではなく、中国系のジェームズによく似た面立ちで、両親から疎まれて暮らしていたこともわかってくる。もう毒親センサーが鳴り響いて止まらない。この家は、おかしい

 

そして長男のネイサンは、両親に対して秘密を抱えていた。兄は知っていたのだ。父の期待する友人の多い女の子にも、母に期待される飛び抜けた秀才にもなりきれず、苦しんでいた妹の秘密を。

妹が、どこにも繋がっていない受話器を持って級友と電話するふりをしていたこと。兄の同級生の問題児と親密そうであったこと。

今になって打ち明けようものなら、きっとこう言われるだろう。なぜもっと前に教えてくれなかったのか、と。説明しなければならなくなる。「リディアは友だちと勉強してるよ」とか「リディアは数学の課題があって学校に残ってるよ」などと告げた午後、本当に頭にあったのは、ジャックといっしょだよ、ジャックの車に乗ってるよ、どこだか知らないけどジャックと出かけてるよ、という言葉だったことを。それだけではない。ジャックの名前を口にしたら、自分の意に反して認めることになってしまう。ジャックがリディアの人生にわずかなりとも関わっていること、何か月も前からずっと妹の人生の一部になっていたことを。

 

リディアの失踪について、警察はよくある家出と判断し、母親はリディアの友人だったはずの女の子たちに手がかりを求め、ネイサンはリディアの限られた人間関係の中でジャックの関与を疑い続けた。そして残念ながら数日の後、帰らぬ人となったリディアが近所の湖で発見される。

作品のジャンルとしてはミステリーではないと思うが、事件か事故か、あるいは自殺か、不明なまま物語は進行する。

 

実は、進行という言葉をあてるのが正しいのかわからない。遺体が出たところで本書は一度時空を遡り、両親の過去が語られ、父、母、兄、妹、そしてリディアへと視点が切り替わっていく。

いったいどこから始まったのか?何事もそうだが、そもそも母親たちと父親たちだ。リディアの母と父がいたから。母と父それぞれの、母たちと父たちがいたから。ずっと昔、リディアの母が姿を消し、父が連れ戻したから。何といっても、母は人より輝きたかったから。何といっても、父はとけこみたかったから。そのどちらもが叶わなかったから。

 

母・マリリンは、異人種間の婚姻が州によっては禁じられていた時代に、俗に言う一目惚れでジェームズと恋に落ちる。太字強調は全て原文まま。

ほかにはあり得ないほどの確信をもって、自分の人生にはこの人が必要だと思ったのだ。心のなかで何かがこう告げていた。彼は理解している。人と違うというのがどんなことか。

確信を得たマリリンは、母親の「間違ってるわ」という言葉もはねつけて結婚してしまう。これには母娘の元々の確執もあって仕方ない部分はあるのだが……。

彼女の血を引くリディアも、父の助手・ルイーザとの初対面で一人確信してしまう。この女は父と寝ていると。これもまた後に事実となることではあるが、この確信の早さ、親子だなと思った。

ルイーザの手はまだ父の腕にふれている。リディアは父とルイーザをじっと見つめた。前の座席に並ぶふたりは、夫婦に見えるほど仲睦まじげで、フロントガラスの明るいスクリーンに縁取られた絵画のようだ。そしてリディアはふいに思った。この女はうちの父と寝ている。

 

母から娘に引き継がれたもの。青い目。思い込みの強さ。衝動に身を委ねる行動力。

大きく、そして重すぎる理想。

 

 

ところで、人種に性差、あらゆる差別とアンチ差別、社会問題全部盛りの様相を呈する作品に対してわたしは苦手意識がある。不自然なほど誹謗中傷問題が擦られたり、性の多様性とポリコレ的な正しさと他人へのノンデリと都合のよい繊細さを持つ人が全てを台無しにする大暴れをしたり、そういった演出を浴びると作品全体から何かを受け取る前にお腹いっぱいになってしまう。

本書についても、人種差別に苦しめられた父と性差を憎んだ母、一世代程度の差であれば同じような苦しみを抱えたと想像がついてしまう娘の死……というあらすじを知っていたら、まず選べなかったと思う。

でもこれは読んでよかった。背表紙だけ見て小説を選ぶこと、やはり私には向いているよう。

 

書き出しに「リディアは死んだ」とあるとおり、真相がわかったところでリディアは結局亡くなっている。その意味でどう転んでも全員にとってのハッピーエンドとはならないわけだけれど、2026年の、令和8年の日本に生きる人が読んだときに、ずっしりと暗い気持ちだけが残る本でもない。

だから『秘密にしていたこと』について、なんとなく父の日である今日書いておきたくなったような気がします。

 

今年も父の日と母の日は実家に帰って過ごし、わたしの両親が二人だったことに感謝。いつまでも結婚しない娘でごめん!ありがとう!

父の日と母の日、それぞれの誕生日ほか記念日、繰り返し巡ってくる贈り物チャンス。一緒に計画を楽しめる妹にも感謝を。

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

 

(原題: Everything I never told you)

あなたは人生がいつ始まるのか知らなかった/『あなたについて知っていること』

二月。タイトルと装丁、それだけに惹かれて読んだ二冊の小説に、人生で一番好きなそれを重ねて更新された。たった数日のうちに二度も。

これは最近の私にとってなかなか衝撃的なことだったのだけれど、そういえば読んだ本の話をするときにわざわざ「タイトルと装丁だけで選んだ」などと言う必要はいつから生じたのだったか。

 

タイトルと装丁。いつかこれらは確かに、わたしが本を選ぶ基準のすべてだった

 

あなたは人生がいつ始まるのか知らなかった。幼い頃、あなたは勉強のできる子どもだった。いつも優秀な成績を持ち帰り、あとあとこれがものを言うんだよ、と家で何度も言い聞かされた。つまり人生とは、もっとあとに始まるものなのだ。

エリック・シャクール著『あなたについて知っていること』(加藤かおり訳、原題: Ce que je sais de toi)

あなたについて知っていること (集英社文芸単行本)

 

今では望もうが望むまいが、あらすじや評判や著者のプロフィールがまるで呼吸をするように簡単に手に入る。

誰がコメントを寄せ、解説は誰が頼まれ、どこから出版されどんなふうに評価されている。ほとんど全てが帯やポップ、概要欄に載っていて、手に取るかどうかの判断材料になる。どんな本と同じ棚に置かれているか、どんな本と一緒に表示されるか。そういうことを見聞きせずに本を読む方が難しい。手に取る前からその本について知りすぎている。

 

特に私は保守的な人間で、放っておくとそういう情報をもとに、自分が気に入ると確信がもてるものばかりを選び、好きな人のつくる世界に引きこもってしまう。

リコメンド性能の高さが良かったはずのSpotifyで結局同じバンドの音楽ばかり選んで聴いているし、本だって似たような領域の学術書や同じ作家の小説を読み続け、一冊読んで苦手意識をもった人の別の作品にあえて手を伸ばそうとはなかなかしない。そういう人間なので、ずっと、どこかで強制的に自分の外に感覚の端を作っておかないといけない気がしていた。 

たとえば小説を読むなら、読んだことがない作家、さらに「題が数字から始まる」「表紙が海」など意味不明な縛りを課し、自分があらすじを読んで気になる物語ではないそれを優先的に読んでみるとか。

 

まったく支持する気のない政党の党首の書籍をなるべく好意的に読んでみたり、白が二百色ある世界で性別はどこまでいっても二つだと思いながら、DEI系の講座に通ってみたりもする。

そうすると側から私は保守的に見えないらしく、普段はそれで何の問題もないのだが、相容れない思想を持つひとたちにうっかり政治や選挙を語られてしまい、閉口以外の道を失う日もある。

こと倫理観や価値観とよばれるものについて、説得にも議論にもほとんど意味がないことは、自分の思想と真逆の人の話を聞き続けてみているわたし自身が痛感しているところである。

何の話?

 

そう。小説なんて好きで読むはずなのに、読むなら好きなものを読みたいはずなのに、自分で選ぶと好みに偏るという謎の懸念により、わたしはわざわざ不利な賭けを続けていたのだ。

そして気付いた。私はもっとタイトルと装丁で本を選んだ方がいい。当たり前である。

ついでに日本の話より外国文学の方が個人的ヒット率が格段に高い。これはひとつ翻訳というフィルター、あるいはハードルを越えているからな気もするし、最近読んだ中で特に気に入った三冊から見ると、舞台が大陸なのも大きいかもしれない。島国ではかなわない大移動がひとつの鍵だった。そういえばここ数年繰り返し読んでいる国内小説も大概移動が多かった。『トップ・レフト』『未必のマクベス』あたりとか。

龍花 丈という男/黒木 亮『トップ・レフト ウォール街の鷲を撃て』 - どんな言葉で君を愛せば|oyasumitte

 

そして、わたしがタイトルと装丁に惹かれ読みだした『あなたについて知っていること』もそう。

この小説の舞台は二十世紀半ばのエジプト・カイロ。主人公は医師の男性で、名をターレクという。

人生はもっとあとに始まる。いまのところ、それはまだ人生ではない。

あなたについて知っていること (集英社文芸単行本)

ちょうど、人生がいつ始まるのか知らなかった頃。わたしたちは、もっと純粋に物語を選んで楽しんでいたはずなのだ。ただそれを懐かしく思っても羨むことはない。自分の人生が始まってからの方が、他人の人生の物語が重く、眩しく、愛おしい。

しまいにあなたは、大人になるとは、なんにせよ一切の迷いが消えることだと考えるようになる。

けれどもある日、あなたははっきりと認識する。真の大人などほとんどいないことを。原初からある恐れ、青春期のコンプレックス、人生で初めて味わった屈辱を晴らそうとする決して満たされることのない渇望を完全に払拭できる人などいないことを。

あなたについて知っていること (集英社文芸単行本)

 

この本には信頼できない語り手によるミステリーの色もある。ネタバレ怖さに主人公の人生が始まらない序盤ばかりを引用したが、言うまでもなく本番は、始まってからだ。ぜひあまり情報を入れずに読んでほしい。余計なことを知ってしまえば、手探りで進む体験は二度とできない。

 

そしてわたし自身、大好きなこの本についてこれ以上語りたくない。

 

仕事に関係する書籍、新刊や話題につられて手にした本について、読んであれこれ言うのは難しいことではない。でも自分で選んで読んだ本を片っ端からすべて見せることはできない。したくない。究極のプライバシーだと思っているし、実際に図書館の貸出履歴は個人の思想が容易に類推できてしまう個人情報として慎重に扱われてきた歴史もある。

好きにも嫌いにもほとんどすべて理由があるが、中でも特に、好きすぎる、逆にどうしようもなく受け付けない場合にそれをはっきりと言語化するのは憚られる。人間の本質とか人格とかいうものがあるとして、激しい感情はあまりにそこに近く、切り出してきて見せることができない。

昔読んだ別の本の一節を思いだす。

われわれ自身がそこに蓄積されてきた書物の総体なのである。それらの書物は、少しずつわれわれ自身を作り上げてきたもの、もはや苦しみを感じさせることなしにはわれわれと切り離せないものなのだ。

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

琴線も逆鱗も、等しく触れられたくない場所にある。『あなたについて知っていること』をわたしが好きな理由は、それらに近すぎるところにあった。

 

人はみずからの物語の外側にとどまることはできない。自分が存在する前に起こった出来事、自分に欠けていること、自分をつくりあげたものの外側にとどまることはできない。だから結局、自分自身について語るはめになる。

あなたについて知っていること (集英社文芸単行本)

 

ひとつ、おそらく読む上でさほど邪魔にならない情報として、著者が発表する気もなく15年かけて書き上げたこのデビュー作を、従姉妹が地元の出版社に送ったところ即座に刊行されたというエピソードがある。これがしっくりくる柔らかさと、書き始める前に複雑な時系列や舞台の転換についてExcelで構想を練ったという堅実さが共存している。そんな小説が『あなたについて知っていること』である。

「あなたは人生がいつ始まるのか知らなかった」。

人生を始めた、あるいは気づいたら始まっていた大人にこそ薦めたい本です。ぜひ。

 

 

 

 

ただ人生は、どんなそれでも自分でどうにかする以外にはどうしようもなくて、自分以外の誰にも自分は救えなくて、ただ「大丈夫か?」と言い合える誰かと支え合って歩いていくのだなと思う。

人生は晴れの日ばかり続かない - どんな言葉で君を愛せば|oyasumitte

わたしもとうに始まった自覚をもって人生をやっているけれど、大好きな漫画から実写ドラマという二次創作が生まれている現実とはまだ向き合えていないです。好きすぎると怖いじゃん、大事にしてきた今あるものを壊すのが、と中学生みたいなことを言いながら……

龍花 丈という男/黒木 亮『トップ・レフト ウォール街の鷲を撃て』

「その人を知りたければ、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ」とは、『HUNTER×HUNTER』第1巻の名台詞である。

それでいうと、私が今日まで何度も読み返した小説『トップ・レフト』に登場する龍花という男は、とても知られやすい人だったかもしれない。

だって怒り狂っている。怒り、狂っている

 

その顔を見てディシュリは思わずあとずさった。 龍花の両目は真っ赤に血走って、吊り上がっていた。墓場で血を吸っていた吸血鬼が振り返ったときのような邪悪な形相。何かに取り憑かれた視線。ディシュリは一瞬、龍花の口が両耳までかっと裂けているかと錯覚する。全身から黒い悪意が発散していた。 ディシュリはいいしれぬ恐怖に襲われ、言葉を失う。「何をやってるか、よくわかっているさ」龍花がゆっくりといった。引きつった顔に不気味なうすら嗤いが浮かんでいる。

 

龍花丈。ジョー タツハナ。

邦銀に就職し、行内の人間から仕事の妨害や中傷を受けながら十年働いた後、駐在先の英国で永住権を取得するなり米国企業に転職した男。

憎悪で顔がどす黒くなる。怒りでグラスを持つ手に力がこもる。 自分を侮辱した上司や人事部の人間が今この目の前に現われたら、間違いなく殴り殺してやるだろう。(いつか借りは返してやる……)できることなら富国銀行に敵対的買収でも仕掛けて銀行を乗っ取り、連中をひとまとめにしてガス室にでも送り込んでやりたい。

もう怖い。殴り殺してやるだのガス室送りだのというのは、倍返しどころの騒ぎではない。銀行乗っ取りとガス室送りは関係ないし並べて語るような復讐方法でもないはずが、そんなことはここまで怒っている人には関係がないのでしょう

 

実際、自分を貶めた者のことは忘れ幸せになるのが一番の復讐だ、などというのは、どこまでも綺麗事だと私も思う。

ただそれで救われる人はいるのだろうし、どちらかといえば、私自身もそのくちである。時間の無駄だと繰り返し自分に言い聞かせ、そのうち本当に忘れてしまう。 怒り続けるのにも悲しみ続けるのにも相当なエネルギーが必要で、私にはいつもそれが足りなかった。

 

一方で、自ら相手を貶め返さないと気がおさまらない人たちがいるのも知っている。復讐がどんなに不合理でも、理屈では彼らを止められない。

人が何に対して怒りを感じるか、それを知ればその人がわかると言われるだけあって、怒りはなかなかパーソナルで繊細なもの。見えやすい怒りばかりではない。

もっと簡単で雑な方法は、その人が何を言っているかを聞くことかもしれない。そこへきて龍花の発言はというと……

「簡単さ。英国で労働許可を持って五年以上住んで、二人のイギリス人の推薦があれば国籍はあっという間に取れる。俺はこの八年間莫大な所得税も払ってきた。金で買った国籍みたいなものだ。……この世のものは何でも金で値段が付けられる。すべて金だ」

「俺がお前に付ける値段はな……」龍花は冷淡にいった。「お前の股の間にあるものの値段だ。それ以上でもそれ以下でもない」

まったく酷い。庇おうにも苦しい拝金主義。

龍花の憎む銀行サイドの若者のひとりが持ち合わせていた、夢や愛情には値段はつけられないと言い切る品性も、龍花の発言と並べると眩しさが際立つ。

 

ところが女性に面と向かって値段をつける最低な男にも、当然それ以外の顔がある。国籍も女も金で買えると言い切る男にも、買えない夢を抱いた若き頃はあった。

目標は全日本の代表となり、日の丸を胸に走ることであった。その夢はあと一歩のところで叶わなかった。社会に出ると同時に、龍花はスキーをきっぱり捨てた。今度は日本を代表するバンカーとなり、日本のためにディールをやりたいと切望した。

 

人間個人に決まりきったひとつの本質など無くて、優しいだとか意地悪だとかいった性格は、ほとんど関係性やおかれた状況に影響を受ける流動的な一面にすぎない、と私は思っている。

その場その場の判断をする中での傾向や、表出する態度の中で貫かれる価値判断を一定見出すことはできる。それは性格と呼ばれる。

一人の人間の性格は一つではない。日の丸を胸に走りたかった念を仕事に昇華する純粋さ、復讐心に浸りきった言葉、どちらも同じ人がある一時見せた一面に過ぎない。

 

「丈。あなたはいつも強がっているけれど、本当は優しくて脆い人だわ」

だから、学生時代の純粋さや元恋人・道子の評価だけで、龍花の最低な言動が一掃されることもない。ただ彼は良い恋人ではあったのだ。

そして秘書のセーラを介したやりとりには同僚からの親愛が滲んでいたし、仕事ぶりを知る人からは評価もされていた。

「今西君はよくやってるよ、こんな銀行で。彼が、空しくて辞めたくなりますよ、と漏らした気持ちはよくわかる。何の見返りもなく張り合いもない富国銀行の国際金融部門で、あそこまでやる人間は初めてだろう」そういってから若林は一瞬考え込んだ。「いや、一人だけいたな。今西君が足元にも及ばない、燃え盛る炎のようなディール・メーカーが」「誰ですか、それ?そんな人がうちの銀行にいたんですか?」若林は一瞬遠くを見るようなまなざしになった。

龍花丈、という男だ

 

 

ところで、わたしは漫画『呪術廻戦』の、伏黒甚爾という男が好きだった。

伏黒甚爾。主人公の親友・伏黒恵の父である。

呪術界御三家・禪院家という呪術師としての才能と力がすべての名家に、呪力を持たず生まれ、幼少期はひどい虐待を受けて育つ。一切の呪力を持たない代わりに身体能力が異常に高い縛りの下、最強の呪術師を圧倒するほどの強さを誇り、主人公側の行く手を阻む存在として登場した。

「自尊心は捨てたろ」

自分も他人も尊ぶことない

そういう生き方を選んだんだろうが

呪術廻戦 9 (ジャンプコミックスDIGITAL)

基本的にはお金でしか動かず、暗殺も請負う。妻を亡くした後では「もうどうでもいい どうでもいいんだ」と息子を禪院家に売ろうともする。

決して手放しに褒められる父親ではないが、結局最期に言い遺すのはいつも、自ら恵と名付けた息子を思う言葉であるという、ちぐはぐさというか純粋さというか。その瞬間だけ見れば良い父であると同時に、それだけで拭い去れない業は抱えている。

ただやはり「今の禪院家があるのは甚爾さんの気まぐれだ」と言わしめる、自らを虐げた家を壊滅させられるだけの力を持ちながらそれはしなかった男である。良心が、人の心が、ある。

「禪院じゃねぇのか よかったな」

呪術廻戦 13 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

生まれにより理不尽に虐げられ、必要に駆られてひたすらに強くなり、ただほとんど誰から見ても敵で、悪人で、懐に招いた数少ない人間に対しては優しくその実脆く、一方で実力を知る者からは一目おかれ善悪の枠組みを超越し、そして───

 

まるで最近どこかで聞いた話。

そう、龍花丈という男。

 

拾い上げ、酔いが回ってきた目を凝らして見る。 龍花の全財産を記した手書きのメモだった。海外出張の多い自分の身にいつ何が起きても良いようにと、ずいぶん昔に道子のために書いてやったものだ。

トップ・レフト: ウォール街の鷲を撃て

 

龍花みたいな、伏黒甚爾みたいな男が好きです。

また禪院甚爾の話をしてしまった。何を書き出しても気づけばここに着地している。その点、禪院直哉には強いシンパシーを覚えています。

『トップ・レフト』も『呪術廻戦』(全30巻)もご存知の方の方が多いかと思いますが、未読ならぜひ。読まれたら禪院家で誰が好きだったか教えてください。判官贔屓万歳!