あの歌の名前が「3月9日」でよかった。忘れたくない、忘れるはずもないと思った記憶のほとんどは、いつのまにか手のひらからこぼれ落ちているらしい。いつかもう一度見つけるまで、失くしたことにも気付かない。
今日か。そう言って鼻歌と呼ぶには大きすぎる声で口遊まれたそれを、悪のりして一緒に歌い、二人揃って道行く人に白い目で見られた幾年前の夜の話。待ち合わせて帰る平日の短い夜道が、多分あなたの思うよりずっと好きだったこと。コートの重さに顔の熱さ。その晩何を食べてどんな話をしたのかも、当然すっかり忘れている。
今わたしの隣を歩くあなたはもう不意に歌い出しはしないし、わたしも出会う人の鼻歌を聞いてあなたより小さいと一々思ったりしない。思い出せなくなったことすらおぼえられない記憶を積み上げる日々に、それでもあれは紛れもなく春の夜だったと、曲名だけが覚えていて
忘れたくない恋がある
(それは優しい夜のこと)
……こういうのが懐かしくて震える人は全員友だち。
「忘れたくない恋がある」「それは優しい夜のこと」は『たとえば僕が』というお題サイトからお借りしました。お題サイトという呼称にも、同サイトが既に閉鎖されていることにも時代の移ろいを感じてつらい。
確実なものなんてない
いつか海になるかもしれない場所で泣いてた
──加藤千恵『友だちじゃなくなっていく』
言葉が削ぎ落とされた短歌とその余白を埋めきらない短編の組み合わせが好きな今の私は、往年の個人サイト文化に浸った十代の自分と地続きだなと思う。私の中の中二が、加藤千恵の短編集が好きだと言っている。
『確かに恋だった』みたいな天才お題サイトの先生や、あの頃そのお題を使って小説を書いていた天才たちは、場所を変えて今もどこかで文章を書いているのかしら