どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

「自分は共感能力が高いので」で自分語りを始めていいのは就活の自己PRだけだと思う

自己規定が過剰な人々

私です。これは大学時代に自分が身を置いた環境の弊害の一つなのですが、ツイッターなどSNSを使う際にいかにイタくない使い方をするかということに心血を注いでしまうのです。悪癖になるのでおすすめしませんが、保身のために便利なテンプレートがあります。ツイートの冒頭を自虐にすることです。たとえば「訳あって彼氏に付き合ってることを口止めされてるけど、他の女の子にも同じように言えば浮気し放題なことに気づいてしまって不安に駆られている」状況を嘆きたいときは「クソ女だから誠実な彼氏に交際を伏せられているというだけで多股を邪推してしまう」とする。相手が浮気しているのではないかと思うのは自分が浮気しているからだとか、考えすぎるメンヘラだとかいうあらゆるツッコミを先回りの自虐で抑えるのです。子供っぽいことなら「心が五歳児だから」とか。「童貞だから」とか「オタクだから」なんかも便利ですね。繰り返しますが悪い癖になるのでおすすめしません。

自分語りは本来難しい

ツイッターやブログで私のように自分語りをするのは、まあそこそこイタいけれど無しではないと思っています。それは読み手に、読みたくなければ読まなくていいという自由があるから。書き手側としても、自分語りって楽です。楽だし、読まれれば自己顕示欲が満たされて幸せになれます。

でも、対面ではそうもいかない。目の前の相手が自分語りを始めたら逃げ場がありません。お互いに相手に興味関心が高かったり、語られる内容が個々の具体的な経験談であったりすればその限りではないけれど、基本的には対面コミュニケーションにおいて「私って○○なタイプじゃない?」で始まる性格の自己診断とかステータス自慢とか大体どうでもいい。知らんがな。

あなたの性格の良さやコミュニケーション能力の高さは話を聞いていくうちにこちらで判断させてください。これは個人的な意見ですが、コミュニケーション能力が高い人は「私コミュ力高いから、」という出だしで自分語りを始めないし、共感能力が高い人は「俺、人の気持ちがわかっちゃうから、」と自分語りを始めたりしません。だって自称コミュ力高い彼女も人の気持ちがわかってしまうらしい彼も、目の前で聞いてる人間の感情に鈍すぎる。私が今あなたの話をかなり引き気味で聞いてることに全然まったく気づいていないじゃない?

他人を惹き付けながら自分のことを話す、しかもその内容が相手に違和感を与えない、というのは至難の業だと思うのです。自分を客観視する力と客観視しても尚自慢するに値する能力と、それを聞き手に飽きさせずに語る話術。全部揃ったら確かにそれは「コミュニケーション能力が高い」ということになると思います。

自信があるのは良いこと、だけど

私たち人間は、基本的に優越性のバイアスを抱えています。優越性のバイアスについては、以前楽観性のバイアスについてブログを書いたときに少し触れていたので引用します。

困ったことに私たちは,優越性の錯覚(優越性のバイアス)も抱えています。それは,自分がたいていの肯定的な特性で上の方にいると“思うことができる”力です。私たちは誰しも,自分が平均的な人よりも魅力的で,実力がある人物だという自信を持っています。

(中略)

このように,私たちは自分自身にまなざしを向けるときは優越性の錯覚や内観の錯覚に陥り,盲目的になりますが,他人のバイアスにはよく気付きます。

どんな期待で未来を描けば、私たちは最も幸せになれるのだろう。 - どんな言葉で君を愛せば、

優越性や楽観性のバイアスで世界が薔薇色に見えなければ、私たちは前向きに生きていくことができません。それらによって持てる自己肯定感や自信は幸せに生きるための大きな強みです。

でも、それって自分の心に留めておいたり言動を裏打ちするものであったりすることに価値があるのだと思っていて、相手に対して直接語ってしまうと、優越性のバイアスを介さずに見る他者からしてみれば自信過剰だとか、お前言葉に全然行動が伴ってねーじゃん、ということにもなりかねません。しかもまともなコミュニケーション能力がある人間はよっぽど気心知れた関係でもない限り「お前ナルシストだな」とは言わないので、自信があり、かつ自分語りをする人はますます自信を深めます。すると自己イメージと客観的な人物像に埋まらない溝ができる。同じ人を見ているはずなのに見えているものが全く違って、自分と相手の間に隔たりがあるように感じたとき初めて、私の中で相手はイタい人になります。

そう、これは私の好みの話です。今回は自分語りを良しとするか否かは当人次第で外野が口を出すことではない、が、わたしは好かんということを言いたかったのでした。自信がない人よりある人の方が好きだと思っていたけれど、やっぱり過ぎたるは及ばざるがごとしなのかなあと思っています。私にどんな性格傾向があって、どんな良さや力がある人間なのかを判断するのはいつだって私の言動を見聞きしている目の前の相手や周囲の他者だし、それを柔軟に聞き入れて自己分析する姿勢を忘れないようにしたいです。

6月も頑張りましょう〜!さやかでした。