どんな言葉で君を愛せば|oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

『放課後にはうってつけの殺人』

『放課後にはうってつけの殺人』

放課後にはうってつけの殺人 (ホーム社)

手にとると扉の色で一目瞭然、クリスマスの話である。昨年11月に新刊で手に入れたのに積読のまま年を越し、完全に読むタイミングを逸していた。

 

クリスマス───

わたしは東京で日中働いて、好きなバンドの名古屋公演へ走り、翌日の仕事のため東京に蜻蛉返り。まったくそれらしさのない夜を過ごした。

そういえば12月は、呪術廻戦のアニメ3期先行上映を見てからずっと禪院甚爾というメロ男がずっと脳裏に焼きついていて、全く無関係な本の話をするにもこのキャラクターを絡めずにいられなかった。昨年末に書いたブログはいま自分で読んでもあまりに唐突で、本当に申し訳がない。

『自己愛過剰社会』 特別だという愛と呪い - どんな言葉で君を愛せば|oyasumitte

 

慌ただしく年を越し、勢いそのまま2月へ突入。

わたしは、好きなチェリストが昨年発売したクリスマス楽曲縛りのアルバムの販促イベントで、こんな謳い文句を聞くことになった。

「2月ということはクリスマスからもう2か月。次のクリスマスまでは10か月。すぐです。たったの10か月できたるクリスマスにぴったりなアルバムですからぜひどうぞ」

そうかと膝を打つ。10か月、いや8か月もすればきっとまた街は光り出し……そう思えば今が一番早いのか。

 

 

そういうわけで来るクリスマスを思い積読の『放課後にはうってつけの殺人』を手にしたら、あまりにもさくっと読めてしまった。

 

 

名前のまま、放課後という概念が存在する中学生の少年が主人公のミステリー小説だ。個人的には青春ミステリーと呼ぶにはちょっと血生臭いと思うが、公式の説明で「事件を追う中学生男女の孤独を描く青春ミステリー」となっている。

展開が激しい一方でタッチは軽い。そもそも単純にページが白い。一文字あたりの刺激が大きいので、働いて本を読めなくなっている、ドーパミンジャンキーな現代人にもなかなか薦めやすい本である。

 

序盤のうちに犯人がわかるように作られていて、ミステリーの型でいえばホワイダニットにあたるはず。

これを言い訳に形ばかり伏字にしながら、倫理観が壊れたこの話の中で、唯一、わたしが感覚的に理解できてしまった一節を紹介したい。

 

もしAが、たとえばカネのためにBを殺したら、Cはきっと怒り狂って、Aを警察に突き出しただろう。Dを殺しても、おなじことをしただろう。

でも、

佐藤友哉『放課後にはうってつけの殺人』

 

いい人、悪い人という区別がある。実際には全員きっかりどちらかには分けられず、良い方が悪いより濃い人と、その逆がいるだけ。

フィクションの結末について「メリーバッドエンド」という言葉が、ある一方にとっては幸福だが別の見方をすれば不幸な終わり方をわざわざ分類したって、物事には常に表裏があり、誰かが金メダルを穫れば誰かはそれを逃しているわけだ。

 

だから と繋げていいのかわからないが、人が人を恨む要因、それは意外と本人以外にとっては余りに何気なく、「そんなこと」と言ってしまえるものであっても不思議ではないと思う。

 

ただ、その中で普通は越えないハードルを乗り越えて実際に人を殺してしまうこと、そこには余程の何かがあるのだろうと思うのだ。思いたいと言ったほうがいいだろうか。

これは現実にニュースを見ているときも作品を見ているときも同じで、人が人を殺してしまったからには、せめてそこに、どうしようもなさがあってほしい。行為は行為として当然罰せられるべきだが、考慮されてもいい事情があってほしい。

 

 

ふと考える。

この人はわたしを裏切らないという期待よりも、これならもう嘘をつかれても仕方ないと腹を決めるほうが、自分の抱えられる愛に近い。その範囲の中にいる人とそれ以外では、同じ行為であっても反応の仕方は異なる。このダブルスタンダードをうしろめたく感じることもない。

その前提の上で、わたしは自分が信頼を寄せる人にどんなふうに裏切られたとき、相手がどんな犯罪に手を染めたときに、他人同様に許せなくなるだろうか、と。

 

 

私の場合その最たるものが、未成年に対する猥褻行為かもしれない。どうしてという言葉も漏れない。情状酌量の余地がない。理由と呼べる理由が存在し得ない。

 

君が明日 蛇となり

人を喰らい 始めるとして

人を喰らった その口で

僕を愛すと 咆えたとして

僕は果して 今日と同じに

君を愛すと 言えるだろうか

── BLEACH 47 END OF THE CHRYSALIS AGE: 巻頭歌

 

純愛を描く少女漫画家が不倫していたってべつに構わない。人は人、作品は作品だ。でも作家のしたことが高校生、ましてや教え子への性的暴行となれば話は全く違う。切り離して考えられないし、そうすべきでないと思う。少なくとも私は。

何の話?

 

 

親友が、恋人が、家族が、尊敬する人が。

何をしてしまったときどんな言い訳をされれば納得できるかもしれず、何を犯したならゆるせないか。あるいはたとえ何があってもその人を思う気持ちは変わらないと思えるか。

 

舞台は1988年の北海道千歳市。

試される大地、クリスマスイブ。

 

今年はもう春一番が吹いてしまったようですが、可能であれば寒いうちに、そんなことを考えながら読んでみてほしい一冊です。まあ寒くなくなったところで次のクリスマスが近づいているだけなので、結局のところ、いつ読んでもいいのですが。

 

 

▼冒頭試し読みはこちら

佐藤友哉『放課後にはうってつけの殺人』試し読み|HB ホーム社文芸図書WEBサイト