おたくである私のXのタイムラインには時折、他のおたくの「コンサートツアー全通したとか、公式グッズをこれだけ買ったとか、そういうかけたお金だけが愛みたいな感覚は苦手」とか、「課金額で愛を測られる今の風潮はよくない」とかいった鳴き声が紛れ込んでくる。
なるほどね。わかります。顧客の過剰な競争意識を煽るのは良くないということで風営法が厳しくなってホストの看板も変わったそうですね。
一方で私は、おたくが全員きもちわるいのは前提として、推しの力が購買と動員で測られる以上は、きもちわるいおたくの中でも大枚叩けてフットワーク軽いおたくがいい思いをするのは至極当然だと思っている。
多様な形態で発売されるCDを一枚だけ選んで買うおたくより全形態を沢山買うおたくがえらいし、涼しい部屋でXを見ているおたくよりも、ライブに行って公式ツアーグッズを爆買いするおたくの方がえらい。SNSに大量の購入済みグッズの写真をアップするおたくの方が、それを見てグッズ量でマウントをとるのは云々言っているおたくよりも、絶対にえらい。
概念的には飛行機のファーストクラスとエコノミーの関係だ。大枚叩けてフットワークの軽い重課金勢がいなければ、その推しや推しコンテンツの活動は続かない。テレビで見るだけ、ライブに時々行くだけという応援の仕方をしていることに劣等感を抱く必要はないけれど、それを正当化するために、きちんと公式にお金を落としている人たちを貶める権利だってない。
「お金で愛を試されるのが無理」とかいう表現は完全に自意識過剰だし、挙句そのために生身の人間のキャラクター化の否定なんてことをしだすアイドルおたくもいて、どこまで遡ってあなた自身が浸かっている文化を否定するつもりでしょうか。
もしかしたら、アイドルって言葉は本来偶像という意味なのもご存知ない?
理想的な表層だけ見せてくれる職業の人をつかまえて「私は人間性を見て一人の人間として推してる」と言う方がまともだと思っている、その感覚の方が危うい可能性もあると思います。
一方でわたしも「お前の好きな漫画のキャラクターをイメージしたハーブティーですから買いなさい!」と発売されるティーバッグはべつに要らないなと思ってしまったり、原作漫画は大好きでもメディアミックスは刺さらなかったり正直アクスタなんていらなかったりしてしまう方ではあるので、「グッズ買うのがえらいわけ?」と腐したくなる気持ちも、わからないのではないですが。
一口に課金と言っても、公式ぬいぐるみの非公式着せ替えとか同人誌とか、推しの購買させ力としてはカウントされないところでの課金は話が違うしなとか。新規購入せずにはるか昔のグッズを持ち出して古参顔している人って、メーカーがその事業を閉じるときに「壊れないので20年愛用してます」とか言って大昔の製品を載せることでその後課金しなかったことを匂わせる何とも言えない投稿もしてそうだなとか、思ってしまう。思ってしまうけれど、どれが愛なのか決める権利は別に誰にもないしなあ。
健全さを欠いた重課金を“推し活”などというライトな表現でぼかすのもどうかと思う事例も、おたくの立場の弱さに漬け込む公式の不誠実さが目立つ事例もあり、確かに難しい話ではある。
ただとにかく、ちゃんと公式にお金を落とし続けて、イベントがあれば実際に繰り返し足を運んで、企業からCM起用されればその商品をとにかく買い、TVerやYouTubeの再生数も回して、推しの購買させ力と動員数に貢献していくおたくが一番えらいのは揺るがない。どんなジャンルでも。そう思っています