人という生き物は,概して楽観的である。
それは,未来を楽観視すること以外に,無気力にならずに生きていく方法がないからだ。
私たちは自らに期待をせずに,この不確かな世界を生きていくことはできないのである。
…と,何だか堅苦しい雰囲気で始めてしまったけれど,今日は「なるべく幸せでいるためにはどんなスタンスで生きていくのがいいのだろうか」という話です。
そう,また幸せの話。だって少しでも幸せになりたいじゃないですか。
参考にした本はこちらです。よろしくお願いします。
- 楽観性のバイアス
- 人は自分が選んだものを好きになる
- 終わりよければすべてよし?
楽観性のバイアス
今回の記事のキーとなる「楽観性のバイアス」は,認知上の錯覚です。
認知上の錯覚というとわかりにくいかもしれません。
知覚上の錯覚の方には触れたことがある方も多いと思います。
知覚の中の視覚における錯覚=錯視では,エッシャーの絵なんかが有名ですね。
ミラクル エッシャー展 公式ホームページ | 見どころやチケット情報など
錯視の仕組みを知り原因が分かったところで,知覚は変わらないので錯視は消えません。
でも錯視の場合は,自分の知覚が間違っていることを受け入れやすい方法があります。
錯視で違う色に見える2つのマス目同士を並べて見れば,実は2つが同じ色であることがわかったり,錯視で奥行きがあるように見える絵に近づいて触ってみれば,平面であることを確かめられたりします。
一方,認知的な錯覚にはそのような方法がなく,自らが錯覚に陥っていることを認めにくいという特徴があります。
多くの人は,この世には遍く交通事故や殺人,死に至る病などが存在していることがわかっていながら,それは常に自分や自分の身内には無縁のことと思っています。
不景気のニュースを見ても,それによって自分が勤める企業が潰れるのではないかとか,自分がリストラに遭うのではないかなどとまともに心配する人はなかなかいないでしょう。
つまり「自分や自分の親しい人の人生には,そう悪いことは起きないだろう」と漠然と楽観視しているわけです。
さらに困ったことに私たちは,優越性の錯覚(優越性のバイアス)も抱えています。
それは,自分がたいていの肯定的な特性で上の方にいると"思うことができる"力です。
私たちは誰しも,自分が平均的な人よりも魅力的で,実力がある人物だという自信を持っています。
…と言われれば私のように否定したくなる人もいると思いますが,これは統計的な事実だそうです。
一部の人は確かに平均的以上に魅力的たり得ます。
でも全員が自分が平均以上だと思っているとき,その全員が平均を上回っていることはあり得ません。
一部を除き,それ以外の多くの人は平均以下なのです。
また,内観の錯覚というバイアスもあります。
この錯覚は、自分の心理状態の根本的なプロセスが直接つかめるように強く感じられることである。しかし大半の心的プロセスは,意識による解釈では把握できない。落とし穴は、自分が気づいていないということに人は気づかない点にある。そのため、内観ではただ自分の内なる意思を観察しているように思えても、それはおおかた自分の内なる意思についての「推理」であって、意思をそのまま映したものではない。
ターリ・シャーロット『脳は楽観的に考える』柏書房,2013年,33頁。
前回の記事で私は,ひたすらに自分の過去を振り返る自己分析にこだわり過ぎたり,分析の結果を過信するのは危険だと思うと書きました。
前回︰1年前の自分と話せるなら、自己分析の呪いについて忠告したい。 - どんな言葉で君を愛せば、
自分で発した言葉や行動した内容について振り返って「私は○○がしたかったから/●●なタイプだから,○○したんだ」と言葉で考えることは,たとえ自己分析であっても正しい分析になっているとは限らないのです。
私たちは,自分でも自分を完全には理解できません。
それなのに理解できると思い込む力は持っています。
これも,錯覚の一つです。
このように,私たちは自分自身にまなざしを向けるときは優越性の錯覚や内観の錯覚に陥り,盲目的になりますが,他人のバイアスにはよく気付きます。
だから自分以外の人間に対しては「あいつはナルシストだ」とか「あの夫婦は親バカだ」とか,「○○は××を明らかに贔屓している」と思うわけです。
人は自分が選んだものを好きになる
人は,自分が選択したと思い込まされた実際には選んでいないものについても「あなたはこれを選んだ。それはなぜ?」と問われると,あたかも自分が選択したかのように選択理由を説明できてしまうというデータがあります。
あなたが何かを選択すると(偽りの選択であっても、あらかじめされていた選択であっても、実際には選んでいないのに選んだと思いこんでいるだけであっても)、それをより高く評価するようになる。
ターリ・シャーロット『脳は楽観的に考える』柏書房,2013年,196頁。
人は自分が選んだものに,それ以外よりも良い評価を与えるようになります。
モノ自体が同じだとしても,自分が選択したという事実(あるいは選択したという思い込み)だけで価値を上乗せするためです。
たとえば,クーポンを見せれば無料でコーヒー1杯が貰えるキャンペーンで貰うコーヒーよりも,クーポンを見せれば無料でコーヒーか紅茶を選んで1杯貰えるキャンペーンで貰うコーヒーの方が美味しく感じます。
コーヒーだけではありません。
どこに進学するのか。どこに就職するのか。転職をするのか。今の会社に残留するのか。
人生の満足度を高めるために重要なことは,とにかくそれを「自分で選んだ」と思うことです。
自分で選んだ大学に進み,自分で選んだ会社に勤め,自分で選んだ人と付き合っているのだと。
自分には選択の自由があり,その自由を行使した結果が現在であると思うとき,人生における満足度は大きくなります。
充実した人生を送っていると実感できるとき,人は幸福感をおぼえるはずです。
ちなみに人は選択を迫られたとき,考えすぎると最善ではない判断を下す可能性があるという指摘もあります。
ここでいう最善ではない判断というのは,満足度が低い結果を招く判断のことです。
どの選択肢が一番かを見きわめるのに、熟慮は最良の手だと一般に考えられているが、実は誤った情報を与えてしまうおそれがある。
選ぶ対象がアパートの部屋であれ、ゼリービーンズであれ、熟慮は満足の邪魔となることがわかっているのだ。意識的に理由づけするのでは、特定の情報しか手に入れられないからである。どんなにがんばっても、見えないままとなりそうな思考や感情のプロセスがある。
ターリ・シャーロット『脳は楽観的に考える』柏書房,2013年,38頁。
私はお店で服を選ぶときに「一目見て着てみたいと思わなかった服は買わない」と決めています。
それは「今っぽい形だから」とか「黒は持っていないから」,「セールでお得だから」と頭で考えて選んだ服は,結局自分が心から好きではなかったり似合っていない気がしたりして,クローゼットの肥やしにしてきた経験があるからです。
第六感とも呼ばれる直感に従うことは,選択の満足度を高める可能性が高いようです。
自分の直感(とお財布の声)だけを信じましょう。
ただ,選択の前に熟慮することができる人が成功するという説もあり,このあたりはもう少し調べてみたいと思っています。
関連記事:納得できてることなんてひとつもないよ。 - どんな言葉で君を愛せば、
終わりよければすべてよし?
人間は、かけられた期待の影響を大きく受けるのだ。従業員は、雇い主から期待をかけられれば生産性を上げるし、妻は、夫がそう期待すればもっと愛情深くなるし、親がわが子に才能があると思えば、子は学業やスポーツで好成績を収める可能性が高く、逆にわが子に才能がないと思えば、その子が好成績を収める可能性は低くなる。
ターリ・シャーロット『脳は楽観的に考える』柏書房,2013年,75頁。
教育心理学などでよく取り上げられる,ピグマリオン効果。
人間はかけられた期待に導かれて動きます。
その期待は自己暗示でも良いらしく,幸せになりたいなら,まずは「自分は幸せになれる人間だ」と自分が自分に期待する必要があります。
だから前向きな期待は持つ方が良いのです。
たとえば合格したい大学があるとき,行けるかもしれないと期待すれば,勉強する時間を増やしたりその大学の過去問傾向を調べたりしますよね。
その行為が結果として志望校合格に繋がることは十分にありえます。
でも期待しなければ行動は変わらないため,合格の可能性は期待したときよりも下がってしまうはずです。
さらに,わりとよく聞く「最初から期待しなければショックが軽減され,つらくならない」という話も嘘でした。
期待を低くもてば失望を防げるという考え方は、「防衛的悲観主義」と呼ばれる。しかし、期待を低くもっても、失敗の痛みは減らない。否定的な期待は悪い結果へ導くだけでなく、望ましくない結果になったときに否定的な感情をもつのを防ぐこともできないのだ。じっさい、大学の心理学のテストで自分の成績に低い期待しかもっていなかった学生は、そんな期待のとおりの点になったとき、よい成績を収めることを期待していた学生がその点をとったときと同じぐらい嫌な気持ちになった。
ターリ・シャーロット『脳は楽観的に考える』柏書房,2013年,85頁。
期待しなければショックが小さくなるなんてことはないし,期待した方が結果は良くなりやすいそうです。
これはもう自分の将来に期待をしない理由がありません。
また,過去や未来における自分を悲観的に説明すること(「自分が拗らせているから恋愛が続いてこなかった」とか「妥協ができないから一生妻にも母親にもなれないだろう」などと考える私のような思考のクセ)は悲観的な説明スタイルと呼ばれます。
否定的な記憶について自分を責めて,一つの失敗から自分の人生を悲観して最悪の事態を予想するこの思考癖は,無気力や絶望を促し,うつを引き起こす因子にもなるらしい。
人はつい楽観的に未来を描いてしまうということを自覚したからといって,「現実を見る」などと言って人生を悲観することは,とにかく良くないのです。
期待が外れた場合は,その失敗から学んでまた挑戦しなおせば良い。
ことわざの「終わりよければすべてよし」は,言い換えれば「まだよくなければ終わりではない」のであり,「良くなるまで終わらなければよろしい」のです。
あまりにもひどい優越性の錯覚や病的な楽観視は問題になることもありそうですが,基本的に人が幸せになるためには楽観的に未来を想像することが必要です。
私はこれまで,自分が決定的に傷つかないように幾重にも保険をかけるような生き方をしてきたような気がします。
自分に期待してあげるべきところで,自分を信じられなかったことが何度もあったかもしれません。
でもそれらの失敗が,これからの私の人生をすべて左右できるわけがなくて。
自分の就職活動の結果に納得していないなら,これが私が自分で選んだ,選び得る中で最高の選択肢であったのだと,自分が心からそう思えるようにこれから努力すれば良いはずです。きっと。
HEY!HEY!HEY! 2007.12.03 KAT-TUN - Keep the faith HD
敵無し 不可能も無し
とばすぜ 燃え上がれ本能
つまらねぇ 毎日抜け出すぜ
固い約束さ Keep the faith夢見て 倒れて立ち上がれ
すべて賭けるのさ Keep the faith♪ Keep the faith / KAT-TUN
期待して失敗して転んで泣いてもまた立ち上がれば良いんだ,立ち上がれるんだという気持ちで,これまで以上に,でもほどほどに,自分に期待して生きていきたいと思います。
その「ほどほど」が難しいのかもしれないのですけれど。
敵無し不可能も無しと言えちゃうくらいの自信があれば確かに人生無敵な気がしますが,狙い目はあくまで「ほどほど」なのでちょっと激しすぎるかな。
幸せな人生を送るために大切なのは,自分の将来は明るいと信じる気持ちと,自分で自分の道を選びとって進んでいるのだという自覚を持つことだと言えるのではないでしょうか。というのが今回の結論です。
最後までお読みいただき,ありがとうございました!
おやすみなさい。さやかでした。
参考文献
ターリ・シャーロット『脳は楽観的に考える』柏書房,2013年,327頁。
(Tali Sharot,“The Optimism Bias: Why We're Wired to Look on the Bright Side”, Constabel & Robinson,2012.)