どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

内側からは君にだけしか見えないのに 外側からは僕にしか見えないものはなーんだ

こんばんは、さやかです。

唐突ですが、どうやら私は変わったらしいのです。整形したとかダイエットしたとか、逆に激太りしたとか、それからメイクが上手くなったとか服の趣味が変わったとか、とにかくそういう外見に関わるものではなく、内面的な部分の話。ややしっくりこない語ではありますが、今回は便宜上「性格」とします。

「性格は変わらない」と言うけれど

私は人の性格は遺伝と幼少期の過ごし方で凡そ決まるという説をこれまで支持してきました。三つ子の魂百までという諺もあります。でも最近、わたしが両親を除く他人の中で一番信頼している人からはっきり言われたのです。「さやか、なんか性格変わったね」と。

実は少し前に私は、私に優しくしてくれていた人から「君とはもう親しくなったから、君を思いやる必要性を感じない」と言われてショックを受けました。少し落ち込みながら友人に話すと「それで悲しいのは当然だけど、さやかが悲しいって言うことに驚いた」と言われたのです。言われてみれば確かに少し前までの私なら、彼が優しくなくなったことを自然に受け入れ、寧ろそれだけ心を許されたようだと肯定的に捉えて、私は私に優しくないひとの方が好きだからむしろ好都合などと宣っていたはず。

私が少しずつ性格的に前向きになり始めたのはこのブログを始めた頃だと思うのですが、決定的に変わりだしたタイミングがあったとすれば、それはおそらくこの辺りのポエムを書いていた頃です。

「苦しくないと恋じゃない」くらいのことを思っていた私をすっかり「好きな人に優しくされることが幸せ」だという健全な状態に戻してくれたことにも感謝しています。

ダメ男に掘られた自己肯定感の穴に人の優しさが刺さった。 - どんな言葉で君を愛せば、

そうやって「君は優しくされるべき人だ」「僕の君への態度も含めて、もっと人の優しさを当然のものだと思っていい」と私に何度も言って少しずつ私に自分と他人への期待値を上げさせた彼が、付き合った以上、それ以前のように優しくする必要はないはずだと言って私をもといた場所に突き落としてくれたことは一旦置いておいて。

一体何が言いたいのかというと、つまるところ性格とか幸福観って生来の傾向と自らの意志と置かれた状況によって左右される一時的な「状態」であって、自分で把握している自分の性格や価値観なんてすぐに過去のものになってしまう想像以上に心許ないものなのではないか、ということです。

行動は意志をもって変えられる

私に「変わった」と言った友達が見ている私は外面ではありますが、私は彼の前で所謂外ヅラを被ってはいないため、内面にごく近い部分を見られているつもりです。逆にこの春出会ったばかりの一緒に働く人たちに私は自分の外側、意志だけで変えられる表面的な部分で関わっていると考えています。

納得できないことに口をつぐまない、相手の顔色を伺って自分を蔑ろにしない、という学生時代までの私にはできなかったことを強く心がけるようにしただけで、会社で会う人に語られる私の印象は随分変わりました。

私が意識して変えたのは、行動だけです。でもそれを知らない他者からすれば、目に見える私の行動だけが私の性格を推し量る材料になるわけで。

私は自己嫌悪の元になっていた失礼な人への愛想笑いと人に合わせて時間を無駄遣いすることをやめたらとても気が楽になったし、同時に付き合う前の彼氏の優しさをシャワーのように浴びていたからこそ「好きな人に好かれた自分のことを好きでいられて、同時に自分に自信を持っていられる状態」になれました。

行動の軸を変えたとき、外面的な私を見ている他者からの評価はすぐに変化し、自分を取り繕わずに接する親友からの反応や自覚は見事にそれを後追いするかたちで、時間差で起こりました。

内面と外面、二つで一つ

私が変えたのは行動だけなのに、それによって周囲の私に対する評価と態度が変わり、その変化に影響されて自分のものの見方・考え方が変化しました。こう書いてしまうと自分でもあまりに自己が弱いというか、簡単に変わったように思えてしまうのですけれど、私が簡単に変化したわけではないことは私が一番よく知っています。それに、私は私の「性格」を自分の意志だけで変えられたわけでもありません。私の行動、私が考えて話したり書いたりした言葉を肯定してくれた他者の反応があって初めて変化に繋がりました。

電車で妊婦に優先席を譲らないおじさんだって仕事で疲れていなければ席を譲る優しさを持っていたかもしれないし、ミサンドリーを拗らせて攻撃的になっている女性だって根気よく自分に優しくしてくれる男性がいれば穏やかになるかもしれません。私ももっと不遜な気分の状態でいるときに彼氏に釣った魚に餌はやらんと言わんばかりに掌を返されたら「あなたなんていらない」と言えたかもしれないけれど、実際は付き合ったばかりの彼を少しずつ理解していきたいと思っていた矢先だったので、うっかり落ち込みやすい状態が戻ってきてしまったし。

というわけで以上が、私が性格について「生まれ持った特性と育った環境で決まる」のではなく、「生まれ持った特性と意志と状況(環境)によって変化する状態でしかない」と考えた理由でした。

 

ところで、RADWIMPSをご存知ですか。「前前前世」がヒットするよりもずっと昔、彼らは謎謎という曲を歌いました。今回のブログのタイトルはその歌い出しです。

君はそいつを嫌いになってしまったと言う

もう一緒にはいられない 消えてほしいと言う

内側から見たそいつを僕は知らないけど

外から見たそいつならよく知っているから

半分しか知らないままに答えを出すのは

なんかすごくとても あまりに 勿体ないから

外からずっと見てた僕の話を聞いてよ

一番近くにいた僕が見てたそれ

RADWIMPS 謎謎 - YouTube(非公式動画)

月並みな言い方になりますが、いくら自問自答しても他人にはその悩みは見えないし、どんなに相手のことを思っていても伝えなければ伝わりません。どんなに立派な考えを持っていたって、それを言葉で表したり行動で示したりすることができなければそれはあなたの評価には繋がらないし、逆にあなたの行動をあなたが内なる声で責めていても、他人からはその行動が感謝され評価されるということも往々にしてあります。

自分のことを嫌いだと思ってしまう人が自分を変えたいと思うなら、そのとき一番必要なものは意志の強さではなく素直さだと思っています。自分で中から見る自分と他人の目を通して見る自分は同じではないけれど、2つで1つです。私を含め自意識が過剰気味な人はつい前者にばかり目を向けてしまうけれど、そんなときはぜひ謎謎を聴いて、外に目と耳を向けてみてください。

アルトコロニーの定理

アルトコロニーの定理

 

今日もお付き合いありがとうございました!おやすみなさい。さやかでした。