どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

わたし史上一番変なあだ名「おまもり」

学生の頃、好きだった男の車によく乗っていた。その日も私は、彼の車に乗っているはずだったのだ。約束の内容も理由も覚えていないのだけれど、とにかく乗るはずだった私を乗せずに車を走らせていた彼が偶然交通事故に遭う。今思えばわりとしっかり不謹慎だが、仲間内で私を彼の「(交通安全)おまもり」と呼ぶノリがあった。ほんの一瞬のあいだ。


誰にも多分そういう、究極の内輪ネタで一時的に呼ばれたあだ名みたいなものがあると思う。呼んだ側もすっかり忘れていて、そのメンバーで5時間くらい飲めばもしかしたらそんな話題も掘り起こされることがあるかしら、程度の存在感しかない記憶。

わたしは好きな人のそういう話を聞くのが大好きだ。隙あらば自分語りをしてほしい。なんなら隙がなくても差し込んできてほしい。聞いたところで面白くはなくて、当然学ぶようなことだって何もなくて。そういう何にもならない話をずっと聞いていたい。

 

書いてみて改めて思うけれど、好きな人のそういう話を聞くのが好きだという言い方は、あまり誠実ではない気がする。事実として、そういう話を延々と楽しく聞けるような相手へ私が向ける感情は、好意でしかあり得ない。多分正しいのは後者の表現だけれど、それだと可愛げがないので「好きな人の自分語りが大好き♡」と言うようにしています。

何が言いたいかというと、私は自分が大好きな人たちの自分語りしか楽しく聞けないからこそ、私のこんな自分語りに付き合ってくれるみんなたちには感謝しかないのよということです。今年もお世話になりました。ラブ!よいお年を!