こんばんは。さやかです。みなさまGWいかがお過ごしですか。私はというと、彼氏ができました。誰かと付き合うという状況自体は2か月ぶりですが、自分が好きになった人とちゃんと付き合う(「ちゃんと」の定義は様々だと思いますがここでは説明を省略します)のは実に2年弱ぶりなので、どうしていいのかよくわかりません。よくわかりませんがとても嬉しいですし「今まで泣いた分も幸せになります!」というよりは既に十分すぎる幸せを感じてしまっているような気配すらあります。
好きな人が彼氏になりました https://t.co/xKYT28aji1
— さやか (@oyasumitte) 2019年4月27日
だってそうでしょ こんなの夢みたいでしょ
幸せといえば、最近はあまり頻繁に考えなくなりましたが、このブログを始めた頃にはよく幸せについて考察していたような気がして、羞恥心で死にそうになりながらも自分が過去に書いたブログを振り返ってみました。
少なくとも今の私は「相手の一挙手一投足に一喜一憂するような不安定な恋愛」の中に幸せを感じているし,友人であろうと「あなたのために」という正義を振りかざして幸福観を押し付けられることは歓迎できません。
私は幸せとは何だろうかと考えたとき、幸せのものさし自体が人によって異なるから、他人の幸せを自分のものさしで測ったり他人のものさしで自分の幸せを測られたりはしたくないなあという思いをひとつの答えにしていました。そうして私は「大好きな彼氏がいないから不幸だなんてことはないでしょう?」と自分に言い聞かせていたわけです。
彼氏がいないから不幸だなんてことはありません。彼氏がいるから幸せだと言い切ることもできません。でも好きな人が彼氏になった日の私は、間違いなく自分は幸せだと確信していました。そして今「幸せは人それぞれでしょ!」と言っていたはずの私から見ても、そう言っていた頃の自分が強がっているようにしか見えなくなってしまっていることが少し怖くもあります。
一人になっても真顔で電車に乗る自信がなくて 線路沿いに2駅分歩いて帰ってしまうくらいの喜びを持て余しています
— さやか (@oyasumitte) 2019年4月27日
このツイートは最初「好きな人と自分の望むような関係性を築けずに沼地で苦しんだ経験があるからこそ、好きな人に恋人として選ばれた喜びが一際大きい。本当に嬉しい」と打ち込んでから、思うところがあって書き直したものです。人それぞれの、その時々の幸せにケチをつけない・水を差さないというのが私の幸福観だったはずなのに、自分が「好きな人と付き合う」という所謂一つの幸せを手にした途端、「好きな人と付き合わなかった期間の私にとっての幸せ」を私自身が否定し始めていたのでした。
確かにここ最近の私の恋愛を振り返れば、好きな人と付き合うなんて、好きだなあと思ったときにそれを「言ったら重いと思われるかも」と心配して黙る必要がないなんて、「他の女の子とは寝ないでほしい」と言えるなんて、明るい時間に手を繋いで外を歩けるなんて、夢みたいな状況です。でも私がこれまで誰かを好きになってきたことは今の幸せを大きくするための伏線なんかではなくて、その時その時に私にとっての幸せがあったはずで、相手だって皆素敵な人だったはずで。今、自分が幸せだと思えていることを、これまでの私とかこれまでの私のような状況にある人を幸せでないとすることと結びつけたくはないなと思うのです。
恋とは出会い頭 タイミングが重要
とはいえせっかく成功経験を積むことができたので、人生全部コンテンツ女史ではありませんが、今回の勝因を少し考えてみたいと思います。
私は元乃木坂46の深川麻衣さんが好きなのですが、彼女がグループ在籍中に歌った曲の中に「せっかちなかたつむり」という歌があります。
恋とは出会い頭 タイミングが重要
普通に仲良くなると 友達で終わるもの
100回会ったって たった一回だけでも
チャンスはきっと同じだわ
私が好きになった人はそもそも友達の友達という存在で、その友達も一緒に一度飲みに行こうという話も出ていました。しかし乏しいながらも過去の経験から、私は友達が同席している状況では恋愛モードになれず、紹介された相手との関係が発展しないことが想像できてしまったのです。
心理学において、新たに出会った人について相手が恋愛対象であるか否かを早期に判断するような心の動きを、関係性の初期差異化現象とよびます。これは「ある対人関係の親密化可能性はその形成期において決まる,すなわち,ある関係の出会いからの初期の対人的相互作用の様態が,後続の相互作用の型を決定し,ひいては関係そのものの発展または崩壊の方向を運命づけてしまうという*1」考え方で、個人差はあるものの女子の方がこの傾向が強いとされてきました。そして、男女ともに「関係が親密になるかならないかは出会って2週間で決まる*2」というデータがあるのです。
私は自分について初期差異化を行う傾向が比較的強い方だと思っていて、だから素敵だと思う男性とは普通に仲良くなると友達で終わるものだし、少しはがっつかないとすべては後の祭りだしと何だかんだ学んだので、友達がいる場で男性と出会うのは自分にとって得策ではないと考えていました。そのため、紹介されるのを待たずに友達の友達に直接アプローチをかけて初めから2人で会い、「君は特別だ」と繰り返し言ってくれた彼にベッドの上で「特別だなんてずるい言葉で逃げないで」と迫りました。自分がどこまではっきり言ったのかは覚えていませんが、そこで付き合おうと言ってもらえなければもう二度と会わないつもりでした。経験上「(君と付き合うつもりはないけど)特別に思っている」という耳触りの良い言葉に甘んじてしまえば、彼と恋愛関係になることはできないと知っていたからです。
2度目のキスから目を覚ませ?
さらに、成功する告白についての研究*3によると、成功する告白の多くは「知り合ってから3か月以内に」「二人で遊びや食事や買い物に行くなど二人きりになる交際行動を経て」行われているそうです。つまり告白においては「短期間の内に一気にお互いの恋愛感情を高め,二人だけの行動を行う実績づくりが重要」であり、告白はそれによって「『無関係』から『恋愛関係』へと関係の一変を図るというよりも,2者が既に形成している関係を『恋愛関係』へと昇華・明確化させるために行われる」ものであると言えます。今回の私の場合は、知り合ってから付き合うまでの期間が1か月未満でした。
「寝てしまった相手とは付き合えない」とか「付き合いたいなら寝るな」とか「イイ女になりたいなら3回目のデートまでは身体を許すな」とか世の中にはいろいろな言説が出回っています。最初のキスには酔わされるから2度目のキスから目を覚ませ!とかね。でも人によって成功条件も失敗条件も違うし、同じ人だって相手が違えば上手くいくかどうかは全く別の問題になります。たとえば私に、一度も寝なくても付き合えなかった相手、5回寝ても付き合えなかった相手、10回以上寝てから付き合った相手がいるように。
でも寝るというカードを切るとハードモードになる可能性が高いこと自体はおそらく確かであろうことは、私の中にも実感としてありました。それから、好きになりすぎてしまうと「付き合ってほしい」と言えなくなる自分の性格もいい加減理解していたのです。だからこそ今回は、まだ「この人のことを好きになれるかもしれない」と思っただけの時点で、深入りしてしまって自分が抜け出せなくなる前に付き合いたい意志を明確にして、もしもそれを躱されたなら躱されたのに相手の言いなりになる自分自身を許さないというルールを設けて臨んだのでした。このように書くと物凄く戦略的に聞こえるかもしれませんが、好きな人を好きだと思った気持ちは本当だし、付き合うことになった日にあまりの嬉しさに2駅分歩いて帰ってしまったのも事実です。
ということで、今回はこのようにして何とかとりあえず目指したスタート地点には立ったぞ、というご報告、という体の惚気でした!恥ずかしいので彼がこのブログを読んでいないことを切に願いながら終わります。最後までお読みいただきありがとうございました。おやすみなさい。さやかでした。
— さやか (@oyasumitte) 2018年11月7日
参考文献
*1:山中 一英「対人関係の親密化過程に関する研究 : 関係性の初期差異化現象に関する検討(平成4年度教育心理学専攻修士学位論文概要)」名古屋大學教育學部紀要 教育心理学科40,pp.255-256,1993年。
*2:前掲*1。
*3:栗林 克匡「恋愛における告白の成否の規定因に関する研究」北星学園大学社会福祉学部北星論集41号,pp75-83,2004年。