こんばんは。さやかです。
少し前の記事で,人に「幸せになって」と言われるけど幸せが何なのかわからなくて辛すぎワロタという趣旨のポエムを書きました。
そして,その直後に見たNewspicksのオリジナル番組「WEEKLY OCHIAI」で幸福がテーマになっていて,これは「幸せ」について見つめ直すいい機会だなあと思っていたので,今回はそういう記事です。
Newspicks WEEKLY OCHIAI 2018.12.19
「幸福をアップデートせよ!」ゲスト:石川善樹さん
アップデート前の幸せについて,戸建を買って家族で暮らすような「サザエさん型」の幸せがあるよねという確認がなされたところで番組が始まります。
以下のような流れで内容をさらったあとで私なりの幸せを考えてみたいと思いますが,諸々の都合上,番組内の発言の論拠や議論の着地点までは言及していません。
Newspicksは無料体験もあるので,気になる方は動画を見ていただくのがおすすめです!
- アップデートとは何か?
- 幸せとは何か?
- 社会科学における幸福とは?
- 幸福をどうアップデートするか?
アップデートとは何か?
これは石川さんが番組内で描いた図です。
既存のものや概念に対して,
→質を高めるのがアップグレード(Upgrade)で,
→新しくするのがアップデート(Update)。
そして新しさと質の高さはトレードオフ構造にあり,通常は新しさがあるものは価値を感じにくいようになっている。
その中で新しさと質のどちらもが高い領域を「ルネッサンス(再生)」とすると,ネッサンスからルネッサンスに至る道は「アップグレードからアップデート」と「アップデートからアップグレード」の2つがあります。
今回はまずアップデートをしようという後者の方針で進行していきます。
幸せとは何か?
- 自然科学的なアプローチ(分解)
脳にとっての幸福(快楽)は3種類に分けられます。
石川さん曰く,幸せを分解すると砂糖と脂肪と旨みになる。
①ピュッと上がってストーンと落ちる(ひと夏の恋型)
②時間が経つにつれてグーッと上がっていく(泥沼の不倫型)
③じわじわじわじわ~とゆるやかに続く(熟年の夫婦型)
①と②は,摂り続けないと快楽が続かないため,摂っても摂っても不足感が出る。
③の旨みは満足感が出る。
⇒これをエンジニアリングするのが自然科学的なアプローチ。 - 社会科学的なアプローチ(近似)
「幸福な人はお金や生きがいを持っている人が多い」ということは言えても,それだけではすべてを説明できません。
だから「=」ではなく「≒」で繋いでいくのが社会科学的な式の立て方。
a)左辺に幸福を置いて,その要因を考える人
幸福≒□,○… ←幸福を最大化したい
b)右辺に幸福を置いて,幸福の影響を考える人
業績≒幸福 ←幸福を最適化したい
たとえば業績を右辺に置いて考えるとき,幸せすぎると満足してしまって業績が落ちるので,業績の最大化のために幸福はある程度制限された方が良いということになります(これが最適化)。
⇒自分は幸せであると言う人たちがどんな人たちなのか,他人を調べたいのが社会科学。 - 人文科学的なアプローチ(体験)
⇒自分が幸せになるのはどんなときか,という体験を掘っていくのが人文科学。
1の自然科学的なアプローチは「脳の中でどんな物質が出ると幸せなのかを考える人」,2の社会科学的なアプローチは「統計で幸福をとらえる人」,3の人文科学的アプローチは「一周回った幸せを考える人」とも言い換えられていました。
番組は2の社会科学的なアプローチに焦点をあてて進みます。
社会科学における幸福とは?
社会科学において幸福は2パターンに分けられます。
- ネガティブが少ない状態
・ただしポジティブも少ない
・代表例は日本や台湾
・幸福は運で決まるもの→「人事を尽して天命を待つ」
・実際幸福が訪れると「ありがたい」=感謝の感情がわく - ポジティブが多い状態
・ただしネガティブも多い
・代表例は中南米の国
・幸福はつかみ取るもの
・実際幸福が訪れると「やったったぞ」=誇りを感じる
これは2つのどちらが良い・悪いということではなく,タイプによって幸福の感じ方が異なるということ。
では,そんな幸福をアップデートする方法とは何なのか?
幸福をどうアップデートするのか?
幸福観を変えるためには,影響する環境要因を変えるか,その判断基準を変える。
落合さん曰く,環境要因として与えられるものは自然科学的に答えを出せそうだし,基準は個人の中にあるものだから人文科学的に言えそうだし,それらを模式化したときにその近似バランスは社会科学的に言えそうであると。
たとえば,番組MCの佐々木さんは「お風呂に入ってリラックスしているときが幸せ」。
この場合の環境要因はお風呂で,判断基準はリラックスしているかどうか,です。
幸福な状態を手にするためのお風呂に近似するものは簡単に探せます。
でも判断基準が変化するとその環境要因は機能しなくなることもあるのがポイント。
お風呂でリラックスする状態に幸せを感じる人が「お風呂に入ってリラックスしていると少しずつ寿命が縮んでいく」という情報を与えられた場合,幸福の基準が変化して,お風呂と幸福は結びつかなくなってしまいます。
つまり個人の中にある基準も,何らかの外的な要素を与えることで変化させられるということ。
判断基準(価値観)を作るのは基本的にマスメディアによる発信や小さいころから受ける教育で,環境要因には経済活動や生物的欲求,社会生活などが含まれます。
その中で画一的に描かれてきたのがこれまでの「幸福」。
単一な幸せ:受け取る幸せ,つまり受け取らないと幸せになれない
↓
多様な幸せ:与える幸せ,みんな違ってみんないい
単一な幸福感を脱して,多様な幸福観を手に入れることが「幸福のアップデート」。
番組はこの後,「多様な幸せを認める価値観が成立するためには経済的な余裕が必要か?」「人類の寿命が延びる中で人の働くことがどう変化するか」という議論に進みます。
が,WEEKLY OCHIAIが会員制の有料コンテンツであることなどを考えて,内容を紹介するのはここまでとして,ここからは私自身の体験に基づいて幸せについて考えてみたいと思います。
私がなぜ「幸せとは……」などという疑問を持つに至ったかというと,自分が不幸だと思っていない状況で他人に「幸せになってほしい」と言われる不思議な場面に何度も遭遇したからです。
具体的に言うと,私が不安定な恋愛をしている様子が友人の目には不幸であるように映る一方で,私は自分を不幸だとは思っていなかったという状況です。
そしてその答えはおそらく,石川さんが示していた社会科学的な幸福の分類で明らかになりました。
穏やかで安定的な恋愛関係を理想とする人は,ネガティブ要素が少ない状況に幸せを見出します。
そしてネガティブ要素が少ない環境は,ポジティブ要素の大きさにも制限がかかります。
友人の「いい人と幸せになって」という言葉がさす幸せは,ネガティブ要素が少ない幸せです。
どうもネガティブ要素が大きく見える私の状況は,ネガティブ要素が少ないことこそが幸せだという判断基準を持つ人からは不幸であるように見えるらしい。
しかしポジティブ要素が多いことに幸せを感じる人間は,いくらネガティブ要素が少なかったところでポジティブな要素を自分で掴み取る喜びがないと幸福感を得られません。
私が自分を好きだと言ってくる人とほのぼのと付き合っていくことに喜びを見出せないのは,私が恋愛における幸せについて(ネガティブ要素が同程度あったとしても)ポジティブ要素が大きいことに幸福を見出すタイプであったからです。
「愛される幸せ」は,いわば愛を受け取る幸せ,単一的で受動的な幸福です。
「愛する幸せ」は,相手のために何ができるかを考えて主体的に行動することで,相手の対応にはあまり依存しません。
もちろん主体的に愛することを実践する中で男の人に振り回されているように見える私の状況は,お世辞にも幸せには見えないということは重々承知しています。
ただ傍から見ると同じ「振り回されている」という状況であっても,本人が望まずに振り回されているパターンと,自ら振り回されにいっているパターンがあると思うのです。
無論私は完全に後者で,巨大なポジティブ要素(幸福感)を得るためにネガティブ要素を体当たりで受け止めているに過ぎません。
だから客観的に見ると「クソ男」と表現できそうな男性を心から好きになるし,クソ男とネタにすることがあっても心からクソ男だと思っていることはありません。
行動だけ客観的に見るとクソ男だけど、当時の私の性癖にはブッ刺さってた…みたいなクソ男エピソードならたくさんある
— さやかちゃん (@sayakacha_n) 2018年11月28日
光が強いほど生まれる影が濃くなるように,私に激しい幸福感を与える人は激しい悲しみをもたらす人にもなり得ます。
一方で私をひどく悲しませることが無い人は,私を非常な幸福感で包んでくれることもありません。
感情のアップダウンが激しい恋愛に幸せを感じることそれ自体が幸福であるのかという問題はまた別というか,そこに幸せを感じる人がいるのであれば,それを画一的な幸せにあてはまらないからといって不幸だと決めつける幸福観を多様化させていくことが必要なのではないかなと思います。
自分だけを愛してくれる凡庸な男を選んで穏やかに恋愛関係を結びたい人がいてもいいし,刺激的な相手との不安定な関係に身を置いて幸福感を勝ち取ろうとする人がいてもいいはずです。
そしてその価値観すらも人生において普遍的でなく,その時々の環境や手にしている情報に応じて変化させていけばいいのではないかと思いました。
少なくとも今の私は「相手の一挙手一投足に一喜一憂するような不安定な恋愛」の中に幸せを感じているし,友人であろうと「あなたのために」という正義を振りかざして幸福観を押し付けられることは歓迎できません。
女性が一人でも経済的に自立して人生を歩める現代において,愛される幸せだけを求めてそれ以外を不幸とするのは古いような気がします。
ただし,それも多様な幸福観の中の一つであるということも理解すべきです。
新しくないからといってそれを否定しては,多様性を認めているのではなく,単一的な幸福観の内容だけが入れ変わったに過ぎないということになります。
私はWEEKLY OCHIAIの「幸福をアップデートせよ」回を見て,不幸である自覚がないのに不幸だと断定される違和感の正体をはっきりと認識できました。
私と友人の思う「幸せ」が違っているのだろうと予想はついていましたが,これを社会科学的にはっきりと分類することができ,さらにそこに優劣は無いということを学べたのは大きな収穫でした。
私も心のどこかで単一的な与えられる幸せを求める幸福観を内面化して,「愛される幸せを感じられない自分はダメだ」と思ってしまっていたような気がします。
幸せな人がしている3つのこと
気になるのは,幸せになるためには結局何をすればいいのかということですよね。
これは番組の最後で石川さんが紹介していました。
「ホワイトカラー1万人調査」によると,幸せな人はある3つのことをしていたそうです。
それがこちら。
①寝る
②雑談(ポジティブなものに限る)
③ポジティブスケジュール(自分のための,絶対守る予定)
ポジティブスケジュールで決める内容は3時にコーヒーを飲むとか,華金には合コンに行くとか,自分のための予定なら何でも良いみたいです。
幸せになるためには,とにかくまず眠ること。
愚痴でなく,Newspicksのような前向きな雑談を誰かと交わすこと。
絶対に譲れない、自分を幸せにしてくれる時間を意識して設けること。
自分のための予定をたてて,それを守って,自分を大切にすること。
……私が幸福そうに見えないのは,睡眠が不足しがちだったり,自分の予定よりも相手の予定を優先してしまうところにも原因があるような気がしてきました。
幸福な人がしている3つのことを見て,自分との約束を守ることは,自己肯定感を高めて幸福感を得ることに繋がるのだなと再確認しています。
そうやって自分を認めて,自分をいかに幸せにしていくかという軸さえあれば,その「幸福」の内容について人が口を挟む余地はないように思いました。
わたしも今日は夜更かしせずによく眠って,明日からはポジティブスケジューリングを実践していきたいと思います。
最後までお読みいただき,ありがとうございました。
おやすみなさい。さやかでした。
<参考資料>
Newspicks WEEKLY OCHIAI 2018.12.19
「幸福をアップデートせよ!」ゲスト:石川善樹さん
*タイトルはHey!Say!JUMP「Ignition」より。