どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

ひとの人生に口を出す権利

こんばんは。さやかです。

今回は「他者の人生に口を出す権利」について、私が誰のものだと考えているかを書きます。「口を出す」という言葉は、字面通りの意味から一歩進んで、実際に干渉・介入するような言動をイメージして使っています。

 

ベースは持論ですが、内容としてはツイッターで見かけた漫画『愛してるかも知らない』を読んでの感想なので、まだ読まれていない方はぜひ漫画を先に。下記ツイートがツリーになっています。(12/15現在、私が読んだのはツイート1-6の分です)

 

大変情趣を解さない行いで恐縮ですが、今回は便宜上、ストーリーをざっくり整理します。

 

1年前、結婚したかった29歳OLの主人公は、「結婚を1年待ってほしい」と言う元彼からすぐ結婚できる男に乗り換えた。しかし自分の病気(子宮頸がん?)が判明して結婚は破談となり、現在は独身で闘病中。

1年後、主人公と女友達が一緒にいるところに、元彼が(主人公とのプロポーズの約束を果たしに?)現れる。喜んで元彼に駆け寄ろうとする主人公を女友達が強く制止した……

 

https://twitter.com/oyasumitte/status/1338382581117534214

 

個人的に、主人公を元彼のもとに行かせなかった女友達(涼子)の言動には強烈な違和感を覚えました。それを2つに分解して説明します。

 

彼女、本当にあなたの友達なの?

まず気になるのが、彼女にとって最も大事なことが、友人であるはずの主人公(の主観的な幸せ)ではないという点ですね。

言っている内容がある意味正論であることは間違いないのです。ただそれを主人公の友達として主人公に言うか?と。

はっきり描かれてはいないので推測に過ぎませんが、彼女は主人公よりも主人公の元彼寄りな匂いがします。元彼寄りというか、彼のことが好き、或いは過去に好きだったことがあるように見えてしまいました。

「共通の友達として元彼に主人公の病気を背負わせるのは酷だという判断をしたに過ぎない」という可能性は当然あります。ただそれでも結局、主人公の幸せについては然程思い入れがないという点は変わらないのかなと。

彼女は本当に、主人公がその意見に耳を傾けるべき友人なのかな、というのが1つ目の違和感でした。

 

他人の人生に口を出す権利

2つ目の違和感を述べる前に、先に書いた1つ目の違和感を一度棚に上げ、仮に彼女が本当に主人公の幸せも願う良き友人だとします。そうだとしても私は、やはり彼女が元彼に駆け寄ろうとする主人公を止めるのはやりすぎだと感じるのです。

それは私が、他人の人生に口を出せるのは家族だけだと思っているからです。家族もしくは将来家族になる人、相手の人生の一部に責任を持つ意志がある人。女友達という存在はこれにはあたらないと思っています。

ましてや家族だって口を出す権利はあってもコントロールする権利までは無い、と思うと余計に女友達の行動が過干渉に映ります。主人公の生き方(ここでは元彼に縋りたいという選択)に対しても、元彼の生き方(主人公との約束を守るという選択)に対しても、彼女は何ら判断を下す立場にないというのが私の感想です。

 

恋人として付き合うことの意味

他人の人生の選択に意見する権利。

私は、恋人と友人のボーダーラインもそこにあると考えています。普段はあまり意識しないけれど、転職だったり転勤だったり、人生の要所要所では明らかになる差かなと。

たとえば今、ある企業の東京支社で働いている私が、海外支社に異動を命じられたとします。駐在の期間は未定。恋人も友達も皆んな東京にいる。その条件下で、私が異動を報告した際に「え、ちょっと待ってよ」と言われて違和感がないのは、恋人だけです。

彼には「(自分との結婚を考えるのであれば)東京で働き続けられる会社に転職してほしい」と私に告げる権利があるし、私はそれに真剣に向き合う義務があると思います。お互いが結局どういう選択をするかは別として。

一方で、どんなに仲が良くて頻繁に会っていても、男女問わず友達に「行かないで」と待ったをかけられたら戸惑うし、自分が進路を選択する上での材料にはきっと加えません。逆の立場でも友達に「行かないで」とは言わないですね。

もし私に今、恋人同然なのに名前はないエモい関係〜みたいな相手がいたら、その人に転勤とか転職について色々言われるのもちょっと違うなあと思います。私が好きな人と付き合うことに拘るのは、関係に名前がつく以上の意味があると思っている為です。

 

さてここまで、付き合っているだけでは友達と大差ないと思う人とか、友達にも人生を色々心配されたい人とか、私とは感覚が異なる人がたくさんいるのだろうなと思いながらも持論を展開してきました。

私はやはり、家族になる予定も意志もない友人関係においては、相手の生き方には口を挟めない、挟む権利がないと考えます。だから『愛してるかも知らない 6』の女友達の言動が行き過ぎに見えてしまいました。

ただ、女友達が主人公を元彼のところに行かせなかっただけの事を、「他人の人生に意見する権利」とかいう大袈裟な話にした私の方がやりすぎている説も十分にあるのですよね。そんなことに今更気づいてしまい、恥ずかしくなってきたのでおわります。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!おやすみなさい、さやかでした