こんばんは。さやかです。
ホテルに缶詰にされる新入社員研修のおかげで長らく自宅を離れていましたが、昨日やっと自宅のベッドで眠ることができて、今日は幸せな朝を迎えました。どうやら私は自宅に帰ることと気のおけない人と会える状況の両方を同時に奪われると精神が死んでしまう、ということがわかって良かったです。
社会人デビュー2週目で病んだ
研修疲れかなあ、同期とは上手くやってるつもりだし研修の内容も楽しいはずなのに 一人になったら涙出てきちゃった、何なんだろう、何がだめなんだろう
— さやか (@oyasumitte) 2019年4月8日
ツイッター(@oyasumitte)でかなり発散させていただいていたのですが、家には帰れないわ朝から夜遅くまでずっと出会ったばかりの同期と一緒にいないといけないわ毎晩お酒を飲むことになって心身が弱るわで、かなり厳しかったです。先週はホテルの自室やトイレで一人になると不意に涙が出てきてぽろぽろ泣いてしまっていました。
もういやだ帰りたい〜って思ってもベッドから起き上がれないなんてことはないし、スーツ着て化粧して友達と朝ごはん食べに行けるし、私の悲しい気分なんてこの程度なのよねって、そのことにまた落ち込んでいたりする
— さやか (@oyasumitte) 2019年4月8日
実感として自分の気分は落ち込んでいるし突然涙が出てくる状況なんてどう考えてもおかしいし、私なりに何かしらの悲しみに浸っていたのは事実です。でも知人の中には本当に憂鬱モードになるとベッドから起き上がれなくなったり、もちろん学校や会社にも行けなくなったりするような、うつとか躁鬱の人たちがいて。それと比べれば人前では何事もないように振る舞える私の悲しい気分なんて大したことないんだろうと、そんな大したことないことも乗り越えられない自分が嫌いだと思っていました。
鬱気分の原因はPMSと環境が変化したストレスと気の張りすぎではないかと予測がついたことや、私の不調を察した好きな人が励ましてくれたこともあって少しずつ気分も回復し、そんなときに話しかけてくれた気の合う男の子と仲良くなりました。そして、女子とはそれなりに仲良くなっていたけれど、それでも「この子たちとは上手くやっていかないとマズい」と思っていたこともあり、今の私にとっては一番気を遣う相手だったことに気づいたのです。良くも悪くもどうでもいい男子の方が、気楽に接することができました。
今日は馬が合う同期、略して馬と朝ごはんを食べたんですけど、同期内の恋愛の話になって「で、お前は誰推しなん?わかった俺か」「絶対ない。牛田くんかな」「うわあ…リアルなとこ突いてくんな……お、牛田おはよ」「おお」「!?!」という少女漫画にありがちな展開になってウケた。鬱抜けたな〜🌸
— さやか (@oyasumitte) 2019年4月11日
私はお前って言われることがあまり好きではないのだけれど、馬には「お前」以外で呼ばれると落ち着かないし、今さら「さやかさん」とか言われたらバカにされてるなと思う。私は絶対人を「お前」とは呼べないし、相手を不快にさせずにお前呼びしたりイジったりできるのってキャラというか才能だよなあと。あとは相性もありますね。
自分で自分をボコボコに殴る病気
さて、先程から私の悲しい気分なんてこの程度とか、本当の鬱の人に比べればなどと書いてきたように、私はやっぱり自分の抱える感情とか問題を相対的に測りたがるところがあります。
悲しんでいる自分を,認めていたわってあげることができるのは自分だけだ。その悲しみは,自分にしか見えないから。そこに,悲しみや辛さの原因が相対的に見てどうだとか,他にもっと不幸な人がいるとか,そんなことは全部関係させなくて良いのだと思う。
自分が傷つけられたときにきちんと抵抗できる自尊心と,信頼するに足る男の人には素直に期待できる健やかな精神を育むためにも,自分が我慢するという方法で丸くおさめようとするのは男女の問題に限らずやめようと思いました。
過去にはこのブログでもこんなことを言っていたのに、結局いつも、誰よりも私が私自身の悲しみにいつも寄り添えていませんでした。
「これくらいのことで何を落ち込んでるんだ」、「何も起こってないのに何をそんなに悲しむことがあるんだ」、「悪意のない行為に腹を立てるなんて間違ってる」、「あの人が失礼なのは私がその程度の存在だからだ」。
自分の言葉で自分の心をボコボコに殴りつけて、そうやって自分のことを嫌いになってきたような気がします。自分で自分のことが許せなかった間は、そんな自分を好きになる人の気持ちも理解できず、真っ直ぐ受け止めることができませんでした。相手が私に向けてくれる好意や優しさが、私の自己認知と反していたからです。好きな男の人に適当に扱われるのが自分の妥当なレベルだと思っていたので、そんな私を好きになるような男は大した人間ではないと本気で思っていました。
でも多分、ちょうどこのブログを始めた頃からそれが少しずつ変化してきて、劇的な変化があったわけではないけれど色々積み重なった結果として、私は私の中の、大事にしてくれる人を大事にしたいという気持ちを発見することができました。ちゃんと自己愛が歪んでいない人からしたら何を今更、といったところでしょうが、私はやっと「私は私に対して不誠実な人に誠実に接してやる必要はない」という意識を自分のものにすることができたのです。
自分を殴るのはもうやめた
誰かの無神経な言葉に傷ついたり悪意を感じる行為を受けたりしても、「こんなの大したことじゃない」そうやってヘラヘラ笑って流してきたことを、社会人デビューと同時に本気で止めようと思い立ちました。
男子のつまらない冗談やデリカシーのない言動に対して永遠に愛想笑いするのを意識してやめてみてたら、同期に「さやかちゃんって男の子に興味ないでしょ」と言われた。嬉しかった。いい事なのかはわからないけど、つまらないことで笑うたびにそんな自分を嫌だと思っていた時よりはずっとマシな気がする
— さやか (@oyasumitte) 2019年4月19日
男の人に興味が無いというよりは失礼な人が嫌いなだけだから楽しかったら今まで通り笑うし、事実、馬と話している間はずっと笑っています。ただし会社の偉いおじさんにはさすがに愛想よくする以外の選択肢がないので、飲み会でセクハラだと感じることがあってもニコニコしてやりすごしてしまいますが。
それから、これまで身の回りにいなかったタイプの女の子を好きになれないのも自分の欠点だと思って悩みました。私のキャパが小さいから自分の理解を超えた相手に苦手意識を持ってしまうのだとか、同期の女子とは仲良くならないといけないと思っていたからです。だって夜な夜なインスタのストーリーには会社や大学や高校の同期の「同期最高〜大好き♡」という投稿が溢れています。私もそうならなければ、という強迫観念に駆られていました。
個人的な会話の中で好きなタイプを聞かれたときに私が答えた「自分より頭が良い人が好き」とか「今好きな人はかっこいい」みたいな話を「さやちゃんは○○大以上じゃないとだめなんだよね」とか「面食いだよね」って男子がいる飲み会で出してきちゃう女の子のことはどうやって好きになったらいい?
— さやか (@oyasumitte) 2019年4月19日
でも、女の敵は女だなんて言いたくはないけれど、自分が同期として仲良くなりたいし助け合いたいと思っていた相手に合コンで足を引っ張る女みたいなことをされて、良くも悪くもフッ切れてしまった気がします。もちろん好きになれた方が良いだろうけれど、無理に好きになろうとして自分が苦しくなるくらいなら、諦めるというか、程よい距離感を保つのも良いかなと。気の合う同期もちゃんといるので、嫌だなとか苦手だなと感じる対象にエネルギーを使わないようにしていきたいと思います。
ということで今日は、女の敵は女だという話ではなくて、このブログを始めたおかげで出会えた人たちのおかげで私は前よりも自分を認められるし自分の感情に素直になれているので、さやかとしての私をここで認めてくれる人たちに感謝しています、という話でした。本日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。おやすみなさい。さやかでした。