どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

頑張って席をとったライブが無料配信されることになったらしい

頑張ってチケットをとっていたライブがYouTubeで無料配信されることがわかって悲しい、という投稿を見た。

それを受けて考えたことを書くけれど、最初に断っておきたいのは、その悲しいという気持ちは誰にも否定できないということ。もちろん私にも。もしかしたら責めるような響きをもつ箇所が出てくるかもしれないけれど、そこに彼を否定するような意図はないことを予め明らかにしておきたい

 

 

ライブに行きたいという気持ちは、大きく二つの欲求にわけられると思うのだ。

好きな人が何を話し何をどう歌ったか、いわばライブの内容を知りたいという欲。もう一つは、肉眼で見るステージ、通信を介さない生演奏や生歌、物理的な空間の共有によって得られるものに対する欲求。他にもいろいろあるだろうが、多かれ少なかれ、こういう欲を抱えた人がライブのチケットを取ることが多いように思う

 

映画をサブスクで倍速でたくさん見たい人は、前者の内容を知りたい欲求が優位な可能性が高いかもしれない。反対に、映画は映画館で見るものだというこだわりが強い人は、配信があるとわかっているライブでも迷わず現地参戦する人に共感できたりとか。

 

 

チケットが完売しているライブについて、YouTubeの生配信で誰でも見られることが後から発表された状況で価値が損なわれたのは、 内容を知るという特権の方だろう。お金を払ってチケットを買ってその場にいた人だけが得られたはずの。物理的な場の共有を伴う経験の方は、それを通信を介して見る人がどれだけいようが変化しない。

同じチケットを買っていても、何を求めて購入しているかは人によって違う。どちらか一方の欲求に偏ることもあるだろうが、大抵はグラデーション上にいるのではないか。

席を取った者だけが知っている時間が、内容があるということに、より重い比重をおいて席をとった人からすれば、後出しで無料配信なんてされたらたまらないだろう。遠征費だって嵩むのかもしれない。誰でも無料で見られてしまうならこんなに高いお金出していこうと思わなかった、と思うのはおかしいことではないと思う

 

 

私は、興奮しますけれどね。自分の行く公演に配信カメラが入るとか、テレビ収録が入っていて無料で放送されるとか、後日その映像が販売されるとか。生で見たライブを、全体が良く見える以外すべて生の方がいいなと思いながら、でも楽しかったなあと思い出しながら見るのは、映像で初めて見るのとは全く違うので。

配信や放送がないと、自分の記憶の焼き増しだけでなんとかしないといけないけれど、配信があることで全編ではなくともアーカイブが残る可能性が現実的なものになるし、人によっては録画して残せるでしょうし。それで何度でも再生できるのよ。自分が生で一番いいものを味わったその時間を。

 

しつこいようだが、これは私の性癖がこういう方向を向いているというだけの話だ。

私だって背伸びして買った高い靴が、翌日にはセールで販売されていたら悲しいし、キャンセル料を支払ってキャンセルした予約が、翌日には台風を理由に無料の払い戻し対象になっていたら凹む。先に言ってくれてもよかったんじゃないかと、そう感じてしまう論理が、私の中ではライブのチケットと後出しの無料配信には当てはまらなかっただけ。

 

たとえば私は好きなブランドがよくわからないインフルエンサーに目に余る「ギフティング」をしていると、購入意欲がかなり下がるけれど、この場合もべつに販売されている商品自体は、配布されることによって変化していない。

 

購入しようとするものについてどんな価値を見出すか、何がそれを棄損するかということは、本来結構デリケートな問題であるはずで。それがことライブやコンサートのチケットに関する話題になると「愛が足りない」みたいな言われ方をしてしまうのが、何だかなあ、という

 

 

 

好きな思想家がバンドマンをしている。彼がネットラジオで、とにかく生の人間が出てきて目の前で演奏するライブに来てみませんかという誘いを投げかける中で、こんな話をしていた。サブスクでいくらでも聞ける音楽をライブに行って聞くのと、家でも見られる映画を映画館に観に行くのは、近い部分もあるけれどちょっと違うと。

 

いい映画って魂にぐっとくるじゃん。人がやってるから。だけどやっぱり録画されたもので編集されたもので、やっぱり生のものじゃないからさ。その、映画の感動っていうのは、話の筋道でうまいこと誘導して泣かされる感じ?うわあこんな感じでそうやってそうなって最後犬が死んだらそら私泣きますわみたいな。涙いいすかと。なるわけですよ。だけどライブの涙は違うんだよな。なんだあれは。

 

ひとつの答えは話の流れで示されたけれど、それはライブやコンサートでよく泣く私の答えとは違った。

 

生でいつか聞きたいと思っていた曲が思いがけずセットリストに入っていたり、聞けると想像できた曲がやっぱり良かったり、共感しながら聞いたあの頃の記憶が蘇ったり、存在しない記憶を見たり、ひとりの人間がライブで泣く理由だって一つじゃない。自分でもなぜ自分が泣いているのかわからないこともある。

 

わかっていることは一つだけあって、私はライブでぼろぼろに泣くくせに、配信ライブやライブ映像で泣くことはない。生の人間が目の前にいるライブの空間に身体ごと没入できることが、私にとってはお金や時間を費やす価値を感じる対象なのだ。

 

 

 

チケットを買った公演が無料配信されることになって悔しいという気持ちは、誰かに批判されるようなものではない。獲得した席の価値が損なわれてしまったように、悲しく受け止める人がいて当然だ。

でもそういう人も結局、行ったら配信とかどうでもよくなるくらい良かった、頑張ってチケットを買ってここに来れてやはりよかったと、帰りには思えているといいなと思う。

 

販売戦略とか、チケットの高額転売が目に余って実際に後から配信が決まるとか、当然様々な事情があることも全員が何の文句も無い状況はありえない前提も踏まえつつ。それでも秘密の共有に対して安くないお金を払っているつもりの人がいることもまあわかりきっているはずで、あまり不誠実にうつることはされたくないよねと思うのもわかるなあ。

嫌なら来なければいい、は正論だしそれはそうなのだけど、お金出して嫌な思いしたくないと思うのだって、同じくらい正しいと思うし