いつからかは覚えていないが、心の中にリクルートを飼っている。飼おうとして飼ったというよりは勝手に棲みつかれたと言う方が適切かもしれない。
何を言っているのかわからないと思うが、私も何を言っているのかわからない。
わからないなりに推測すると、きっかけはおそらく「デヴィ夫人やマツコデラックスや千鳥ノブやハム太郎を脳内にインストールしておくと自分が変に悩んだり要らんことを言ってしまったりしなくて良くなる」というライフハックをツイッターで見たことだ。私の場合はそれがマツコでもノブでもなく、「お前はどうしたいの?」と問い掛けてくるリクルートだった。
普段は大人しくしているリクルートが口を出してくるのは、自分が頭で理解している「すべきこと」と感情的に「したいこと」とが一致しないとき。
たとえば、理性が「結婚願望があるのであれば元彼など忘れて新しい人と関係を築き始めるべき」と言っているのに、感情が「彼じゃなきゃ嫌だ」と言っていた夏とか。
彼氏欲しいなと思って自分に新規ノルマ設定して飲みに行ってデートもして ありがたいことに2人から付き合いたいって言われたのに断ってしまって、わたしのなかのリクルートが「お前はどうしたいの?」って火を吹いてる #絶対幸せ2020
— さやか (@oyasumitte) 2020年8月8日
リクルートに「お前はどうしたいの?」なんて聞かれなくたって、わかっているのだ。自分が本当はどうしたいのか。
心ではずっと、彼がいいのだと叫んでいた。
それを認めたくないから黙っていた。黙ることで、「彼でなければ嫌だ」という自分の本音から目を逸らした。そんな感情は無いことにしたかった。
しかし、無かったことにしたい感情が本当に無いのであれば、頭で理解している「すべきこと」を実行に移せないのはおかしい。そこには理性を邪魔する何か、例えば自分の感情があるはずだということになる。
そうは言っても感情を認めることはしたくない。
ここで登場するのがリクルートである。
自分の理性でも感情でもないリクルートに「お前はどうしたいの?」と聞かれることで、はじめて私は「わからない」と言える。
わからない、ということにできる。
そんな風にリクルートに助けられた2020年が終わり、2021年。脳内の居候が増えた。
相手が何をどの深度でどの程度感じるかまでコントロールしようとするのは過干渉だとわかっているから言わない、真摯な態度しか求めてないから だから表面だけはちゃんと大事にして見せて お願い って私の中の3歳児がずっと泣いてる
— さやか (@oyasumitte) 2021年1月24日
3歳児である。
たとえば誰かの悪意に触れてしまったとき、頭では「私ももう大人なのだからこれくらい平然と受け止めなければならない」とわかっていても、苦しいものは苦しい。誠実に向き合った人に不誠実な態度をとられたら悲しい。つらい。泣きたくもなる。
でもそこで泣き出すのは極めて大人らしくないし、これくらい平気だと強がりたい自分もいる。
そんなときは、3歳の女の子に泣いてもらうことにした。泣いているのは私の中の3歳児であって、24歳会社員の私ではない。そういうことにできる。
そして、3歳児はある程度言葉もわかるし、今は泣かないでね、大丈夫だよねと言い聞かせて一時的に宥めることもできる。
でもやっぱりまだ3歳だから、ずっと我慢させ続けることはできなくて、一度泣き出されてしまえば手がつけられない。彼女が泣き疲れて眠るまで、私は身動きが取れなくなってしまう。
もしかして自分を大事にするって 差し出したのと同じだけの誠意が相手から返って来ないときや 約束が守られなかったときに 悲しい顔する自分の中の3歳児の声を無視しない みたいなことですか?彼女がワーワー泣き出してどうしようもなくなる前に立ち止まってケアすべきということ?
— さやか (@oyasumitte) 2021年1月24日
3歳児は、泣き出した彼女に気付いて私がその存在を認めるよりも先に、たぶん何度もサインをくれていた。
私がもう大人なのだからと自分が傷ついた事実から目をそらしたとき、理性と相反する感情に対して耳を塞いだとき、たぶん彼女はずっと悲しい顔をしていたのだ。目には涙も溜まっていたかもしれない。
そのサインを無視し続けた結果がアレだったのだと今では思う。
裏垢にも書けないことが起きてからが人生
— さやか (@oyasumitte) 2021年1月15日
心の中にリクルートを飼うことで認めずに済ませてきた感情を、今度は心の中の3歳児の声として認める。
理性的に都合が悪ければ抑制しようとしてきた自分の本音を、完全にはコントロールできない幼児のようなものとして捉え、無視するのではなく宥めながら付き合っていく。
何を言っているのかわからないと思うが、私の中ではそういうことに落ち着いた。
もしも折れかけたその足に痛みを感じなければ
君は何も知らず歩き続けるだろう
傷ついたことに気付いてと願うその痛み達は
君を守るためにそこにいたんだよ
── RADWIMPS / One Man Live
RADWIMPSは10年以上前にこんな歌を歌っていた。私が手を焼く私の中の3歳児も多分、私を守るために悲しい顔をしてくれるのだ。
用いる概念は3歳児でも痛み達でも何でも良いのだけれど、自分の中の醜くて恥ずかしくてどうしようもない本音に気付こうとすること、その声に気付いて真摯に耳を傾けることが、究極のご自愛であるような気がしている