27歳、アラサー。
プチ同窓会とでも言えばいいのか、普段から付き合いがあるわけではない人たちとの再会が増えた。誰かの結婚式で集まったり、実際に同窓会が開催されたりしている年頃なので、「○○と会ってさやかさんの話になって連絡してる。元気?」みたいな連絡がよく来るし、そういえばわたしも送っている
同窓生だけではない。同窓の友達の友達として紹介された人がいたり、運がいいのでアプリを使って会った人が友達の知り合いだったことが何度もあったり、疎遠になる理由があった人もなかった人もいる中で、そういう広い意味での懐かしい人たちと会う機会が明確に増えた。旧交温めまくり2024
4年も6年も経ってしまうと、良くも悪くも何もかもがどうでもよくなっている。インターネットではザオラルなどと揶揄される「元気?」も、実際そのほとんどが受け取って嬉しいものだ
そうして久しぶりに連絡をとり再会するに至った中には、数年前のわたしにとっての沼みたいな男の子がいた。男の子?気づけばお互いもう27ですか……
そう。実際のところ沼は水たまりだったと気づくには十分すぎる時間が経っていて、当時何の話をしていたのかも私はほぼ覚えていなかったけれど、彼の言葉少なに妙な説得力がある口調や、会話の中でも私に対して代名詞を使わずくどいほど名前を呼ぶ癖が変わっていないのを見て、思い出したこともある
「くつくつと笑う」とは、こういう笑い方を書いていたのだと知ったこと。会っているときの言葉の選び方だけ、妙に誠実だったこと。こちらの苦しい時期を知っていて連れ出すわりに、丁寧なのは常に口ぶりだけで、励ます気は一切感じられないのが気楽だったこと。
階段を降りる私の靴が脱げたときの、似合わない気障なからかい方。よく寝坊して、待ち合わせにはいつも走ってきたこと。遅刻が決まって怒られている電話を横で聞いて笑ったのも、決して珍しくなかったこと。
そして確か最後になった日の、ありがちな不誠実
人のことばかり言ってはいられない。
不誠実な人間同士ろくな別れ方をしなかったのもあり、私だって、もう一生会うこともないだろうと彼がされたくなさそうなことをし返した。
こんな答え合わせの場がなければ、できるなら思い出したくなかった
沼が水たまりに見えるところまで私が移る間に、相手の中にも同じ時間が流れてやっと、互いに幼かったと笑えるところまで来ていたのだと思う。笑えると書いてはいるが、普通に恥ずかしくて横転するエピソードがぼろぼろ出てきて怖い。なぜ覚えていますか。もう一思いに刺して。
笑い話にしたの感謝してよね。
それと、笑い事にしてくれてありがとう。
また時が流れて同じように、今の人間関係の精算がなされるのであれば、あの頃よりさらに丁寧さを欠いた私の人付き合いは、私をどこに運ぶだろうか。5年前の10年前の私のなけなしの誠実さが、今の私を助けたように。
結局、ちゃんとしているのが一番大事ということです。情けは人の為ならずって最初に言ったの誰ですか?凄すぎる