幼い頃に母親から言われたことで、忘れられない言葉がいくつかある。大事にしまっているものも、刺さって抜けないものも、呑んで血肉になったものも。
そのうちの一つが「アイドルはあなたを食べさせてくれないわよ」だった。
両親は長女の私には厳しかったので、当初、NHK以外のテレビ番組で見られる範囲はかなり限られた。私が小学生だったのは'00年代。教室で昨夜のテレビ番組が話題の覇権を握っていた、あの時代である。
小学生女児にとって、仲良しグループ内の話についていけないことは大問題。家ではドラマなんて見させてもらえないとは恥ずかしくて言えなかった。
ある朝、当たり前のように投げかけられた「修二と彰どっち派?」とか「竜と隼人どっち派?」の二択に、誰派?という問われ方でなかったことに安堵しつつ、適当に答えたことを今でも覚えている。合わせた話の流れでなんとなく物語が掴めたって、野ブタをプロデュースの修二とごくせん2の竜が同じ人だとは知る由もない。
ところが両親も面倒くさくなったのか、下の兄弟に対してはテレビもゲームもマンガも禁ずることがなかった。私だけ情報統制を受けていた鎖国状態も、なし崩し的に解かれていくことになる。
そこから浴びるように見たのがお笑いと、ジャニーズだった。
実は鎖国真っ只中の頃、遊びに行った親戚の家で偶然、Mステで歌うデビュー前のKAT-TUNを見ていた。赤西仁を見て、この世にこんなにかっこいい人がいたのかと衝撃を受けたあの日。2005年、ちょうど20年前のことだ。
それが「竜と隼人どっち派?あたしは竜」と問われ、わけもわからず「わたしは隼人かな」と咄嗟に選んでいたその人だったと、後に知ることになる。
そういうわけで、テレビも好きに見られるようになった数年後には、KAT-TUNから入ってジャニーズをたくさん見た。その頃ちょうどデビューしていたのがHey!Say!JUMPで、メンバーの髙木雄也くんは当時めちゃくちゃ赤西だった。赤西だったというのは言い過ぎで、赤西が好きだと顔に書いてある状態。
その後、彼は実際ごくせん3でヤンクミの教え子としての後輩役を演じたり、赤西から直々にMステで「後輩くん、頑張れよ」と公開特別エールを受けたりしているわけで、夢を掴む力が素晴らしいなと思うのだけど。
何の話?
そう、赤西仁がかっこいいことを既に知っていた12歳の私は、テレビも雑誌も解禁された途端、赤西仁と赤西仁みたいな髙木雄也くんについて、今で言う推し活に勤しむこととなった。
そして寝る間も惜しんでジャニーズを浴びていた頃、母親にさらりと言われたのが、件の「アイドルはあなたを食べさせてくれないわよ」である。
正論だ。間違いない。
親に勉強しろと言われたことはなく、部活も文字どおり死ぬほどやったし、他の趣味も否定されたことはない。だから言葉の真意もべつに、だから勉強しなさい、だったわけでもなかったと思う。おそらく。単純に、アイドルに夢中になるという経験がなかった人たちには、娘の行動が理解ができなかっただけ。それだけに、痺れるような冷や水だった。
その後もそれなりにジャニーズのオタクをしていたのだけれど、気付いたら関心が薄れてしまっていた。進学していくうちに生活が忙しくなったことの他に、母に言われずとも趣味では生きていけないと納得感があったことも、要因としては確かにあった気がする。
そしてもうひとつ、今となっては一番大きかったと思う理由。
私は、KAT-TUNの赤西仁が好きだった。
彼はソロ活動を開始した2010年に結果としてKAT-TUNを脱退、2014年には事務所から独立している。
ソロデビューを果たしてあのネタの元にもなった「Eternal」が好きだし、今でも一番好きな2ndシングル「Seasons」は高校受験期の真っ最中に出て、最後まで聞いていた本当に思い入れのある曲。私の滑り止めの私立受験当日の朝にはデキ婚報道が出て、回答欄を埋めた後はずっとそのことが頭を占めていたことも忘れない。その冬は確か写真展もあって、受験生なのに行きたいと口走っては母に張り飛ばされたことも。
ファーストアルバム『JAPONICANA』の日米同時発売も、確か私にとっては本命の高校入試と丸かぶりだった。これも名盤で、KAT-TUNの『Best of KAT-TUN』がサブスク解禁されてほしいのと同じくらい、早くインターネットの海に出てほしいと思っている
KAT-TUN解散で過去曲解禁は絶望的なのか。GOLDもハルカナ約束もPRECIOUS ONEもKeep the faithもLIPSも喜びの歌も愛のコマンドもフリーズもNEIROもWill Be All Rightもドンエバも、ストリーミングの海を漂いすらしないのね。サブスクのシャッフル再生で不意に流れてきて懐かしむことはできないのね😢
— ささやか (@oyasumitte) 2025年2月12日
ジャニーズ事務所を離れて独立してからのツアーが始まる頃には私も大学生になっていて、MeもAudio FashionもBlessèdも良かったけれど、就活の最中にスーツで通った2018年のJINDEPENDENCEツアーは特に忘れられない。強いバンドを背負って歌うボーカル赤西仁が好きだった。バンドをバックに赤西に歌わせようと思いついた赤西が好きだった。翌年のTHANK YOUだって泣いたし10th Anniversary Liveでも一曲ごとにあがる悲鳴の一部になれたこと、 翌々日の歌えないアノナツに笑ったこと、本当に幸せだった。WEEKEND LIVEで再びバンドを背負って歌った赤西もオーケストラをバックに歌った赤西も、それを考えた赤西もやっぱり天才だと思った。
WEEKEND、、赤西仁とバンドとオーケストラが好きなのですが ステージの上に全部揃ってて良すぎた〜〜〜2018年じんでぺ以来かっこいいバンドを従えて歌うボーカル赤西が一番好きだと思っていたけど赤西仁にバンドと生オケ背負わせようと思った赤西仁も天才だった〜〜〜うわ〜来てよかった
— ささやか (@oyasumitte) 2024年10月5日
Eternalはいえばさらなりだけど赤西仁×チェロのLion Heartすきだったな いいもの浴びた
— ささやか (@oyasumitte) 2024年10月5日
Jin Akanishiの歌も赤西仁の歌も好きだ。careもHesitateもTipsy LoveもBody TalkもアイナルホウエもSet Love FreeもAnything You WantもForeverもNew LifeもSlowもBabyもLike YouもI.N.PもBut I Miss Youもムラサキも、当然PaparatsやA pageも大好き。
でも「田口走る 君と共に」「誰と共にだよ」と笑ってからの「夜の暗闇に囲まれてひとりで傷ついた翼広げ」が堪らないあのWILDS OF MY HEARTや、「この広い世界の東京で」と歌い換えられたNEIROとか、当たり前に東京ドームで火柱焚いて駆け回る6人とか。
それを今見て泣きそうになるのと同じ熱では、その中にいた多分一生一番好きな芸能人ひとりさえ、ちゃんと応援することができなかった。だめだった。赤西仁の作る音楽が好きでファンクラブに入ってライブに行って、それでも他の人と絡む活動が明らかになるたび、KAT-TUNの赤西がもっと見たかったと思わずにいられなかった。
赤西本人が「辞めずにソロもって話だったのに気づいたら脱退になって(意訳)」という話をしていたのも、 独立10周年を本人が振り返って「え、おれ5年くらいしかKAT-TUNいなかったってこと?短くない?」と驚いていたのも、「(デビューできずにいた頃)KAT-TUNだけでやっていける自信あるし事務所から独立しようかという話もしていた」と最近になってシンメの口から語られたのも、あんな風に6人のKAT-TUNが終わったのも全部悲しくて虚しくて、振り返ればその激しさと儚さが綺麗に見えてしまって、私はKAT-TUNが好きだった。
担いだ男が辞めたあとのKAT-TUNをきちんと応援してこなかった身で、本当に面の皮が厚いことは承知の上で。
6人が、5人が、4人がKAT-TUNでいてくれたことに、そして最後まで3人がKAT-TUNでいてくれることに心から感謝したい。来月でグループは解散するとしても、KAT-TUNが活動していた時代をリアルタイムで知らない世代が増えても私は、“元KAT-TUNの”赤西仁が好きだと言い続けたい。
KAT-TUNの赤西仁が、KAT-TUNが好きでした。
あの日あの頃、そして今、KAT-TUNでいてくれてありがとう。それ以上何もありません
サブスクのサービス上で最も再生された曲がその年一番聞かれた名曲として扱われていく時代に、昔の曲がSNSで唐突に使用されリバイバルすることもある現代に、そうやって過去の名作が世に出ていくチャンスを失くしたままKAT-TUNはおしまいになるの?本当に?