どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

『新版 中絶と避妊の政治学 戦後日本のリプロダクション政策』

1948年中絶合法化、1999年経口避妊薬ピル解禁。なぜ日本では避妊より中絶だったのか───

 

2023年2月、日本における経口中絶薬承認を前に、ティアナ・ノーグレン著,岩本美砂子監訳『中絶と避妊の政治学 戦後日本のリプロダクション政策』(2008年)の新版が出ていた。 ノーグレンは2001年に米国で刊行された“Abortion before Birth Control: The Politics of Reproduction in Postwar Japan.”により政治学博士号を取得していて、本書はその翻訳版である。

なぜ日本では諸外国と異なり、避妊より中絶が優先されたのか。なぜ経口避妊薬ピルの認可は遅れたのか。その矛盾に満ちた中絶避妊政策は、占領下における、非常に特徴のある利益集団の配置とダイナミクスの産物だと論じている。

新版 中絶と避妊の政治学 戦後日本のリプロダクション政策

 

本書の帯の「中絶天国・日本」という言葉はどうかと思ったし、内容が全面的に正しいかというと難しい。例えば日本女性のピルの使用率の低さが語られるとき、ピルによる避妊が日本以外でも主流ではないことは無視されているし、中絶依存とピルの不使用が必ずしも結びつかないことを示すデータにも触れられない。

それでも戦後日本の避妊政策を、日本における女性のリプロダクティブライツを考える上で、読む価値のある研究書だと思う。「なぜ日本では避妊よりもまず中絶だったのか」、このコピーに惹かれて読み、がっかりすることはまずないはず。


そして、私の関心はここにある。

現在問題になっているのは、優生保護法を受け継いだ母体保護法(1996年)の「配偶者同意」条項である。パートナーの同意が得られず出産に至ってしまい、産後ゼロ日児が必要なケアを受けられず命を落とし、女性が犯罪に問われる痛ましい事例が絶えない。世界中でこの条項があるのは、11カ国・地域に過ぎない

「新版への前書き」 『中絶と避妊の政治学 戦後日本のリプロダクション政策』

孤立出産に至った女性が犯罪者になってしまう事件が、とにかくつらい。 

死産だった場合や生まれたばかりの子が命を落とした場合に、女性が犯罪に問われる事故。福祉の助けが必要だった女性が孤立出産に至り、追い詰められて子を手にかける事件。

書きたいのは、女性だけでなく父であったはずの男も罰せられるべきだとか、被告の罪に対して量刑が重すぎるとか、そういうことではない。全くそう思ってはいないわけではないけれど、とにかく今の日本では嬰児殺しは犯罪だ。一人で空港のトイレで出産し(!)、子どもを殺めてそれを隠蔽した彼女の行動に、皆が皆同情すべきと考えてはいない。

でも彼女を悪魔のような女性と見做して酷く罰することで、誰がどう救われるのだろう?世界はどう良くなるだろう?

 

空港のトイレで出産に至ってしまった元大学生の事件は、後に被告女性が境界知能であると判明したことでもう一度注目された。

困った状況に陥った際、対処することも人に助けを求めることもままならない人々が、差し伸べられる手までなんとかたどり着けるように設計しておかなければ、救済措置は機能しない。

 

まず性行為の時点で、適切に避妊ができなかった。男性の協力を得られなかった。

次に直後の対処として、アフターピルで妊娠を避けることができなかった。この手段を知らなかった。

さらに、前の二つよりずっとハードルが高く負担も大きい中絶手術を、妊娠22週未満のうちに受けられなかった。ここまで誰かに相談したり福祉に助けを求めたりすることができなかった。男性の同意を得られなかった。

 

避妊ができなかった、緊急避妊薬が飲めなかった、中絶手術も受けられなかった。これでもう出産以外の道はない。ここに至るまでに誰かを頼れなかった人たちが、出産までに急に適切な相手に相談し、頼り、対処できるようになるとは考えにくい。医療従事者の立会いなく母子ともに命の危険が伴う孤立出産まで、一本道に近づいていく

 

中絶手術が受けられる期間は、妊娠21週と6日目まで。月にして4、5か月。長く聞こえるだろうか。

妊娠は最後の月経から数える。生理周期が安定している人が、来るはずの生理がこないことに気づいて妊娠検査をする頃には、もう1/4以上経過している。

この妊娠初期、妊娠11週6日目までに妊娠が発覚し、男性の同意書面と最低でも10万円を超える費用を用意して、母体保護法指定医のいる病院へ行き日程の都合がつけば、人工妊娠中絶を受けることができる。死亡届は不要で、病院によっては、身体の負担が掻爬法よりはまだ軽くすむ吸引法の中絶も選択できる。それでも当然女性の身体への負担はあり、日本が楽に中絶ができる中絶天国だなんて、誰にも言う権利はないはずだが。

一方で、そもそも生理周期が乱れていたり、生理が来ないことに懸念を抱けなかったりすれば、まだ妊娠に気がつけない。身体の不調は感じても、生活に追われ、誰かに相談したり病院にかかったりするのが簡単でない中、時間はあっという間に過ぎていく。

妊娠11週から21週6日まで。この時点での中絶は中期中絶と呼ばれ、法律上の扱いは、人工妊娠中絶ではなく人工死産となる。受けられる病院は初期中絶よりも限られ、入院期間が延びるため費用も50万円程と嵩み、 娩出後は死亡届の提出や火葬が必要になる。通常の出産と同じ激しい痛みを伴い、身体への負担が大きいのは勿論、精神的負担も初期中絶よりずっと大きい。

それでもここは、女性が産まないことを選べる最後のタイミングだ。妊娠に気づき、相手男性の同意もとりつけて中絶を受けることができなければ、すぐに孤立出産が見えてくる。

 

しつこく思われても何度でも言いたい。きちんと想像してほしい。

孤立出産と一言で言うが、それはつまり、本当なら医師と看護師に見守られてケアされてもなお命懸けで行うあの出産を、血を流し痛みに泣き叫ぶあの分娩を、あの凄まじい出来事を、一人で、たった一人で人目を忍び経験することだ。必要な助けを受けられず、悪阻にも陣痛にも負傷にも一人で耐え、一人で、たった一人で死にかけることだ。

正気でいられるわけがない。気絶する人もいるという。それでも血を流して産み、傷ついたままのその身体で、一人でその場をなんとかしなければならない。悲しいことに死産も多い。胎児が死んでいると気づき、心身に大きなダメージを負い混乱する中で、死産したことを知らせて行政に助けを求めても、死体遺棄容疑で逮捕されることもある。

自ら産んだばかりの子を手にかけてしまう事件も痛ましいが、それと中絶や死産・流産はまた異なる。母体から、母体を離れて生きられない胎児が離れた、ただそれだけのことまで徹底的に犯罪として評価するのは何のためだろう

 

自分の生殖をコントロールできるということ──子どもの数と出産間隔を決定できるということ──は、高等教育や家庭外での雇用、経済的な自立、何らかの形態の政治参加など、他の数多くの目標を達成する上で根本的な前提になる。

p.2『新版 中絶と避妊の政治学 戦後日本のリプロダクション政策』

日本では、明治時代に成文化された刑法堕胎罪が未だ有効なために犯罪である中絶を、1948年の優生保護法が基になった母体保護法が、産めない理由と男性の同意が揃った場合に限り認めている。この法制度の上で、女性が自分の生殖をコントロールできること、女性が自立して生きるためのこの根本的な前提は、本当に成立しているだろうか。

中絶ができなければ産むしかないのに、病院外で出産に至ってしまえば、もう次の一歩、足の置き場を間違っただけで犯罪者になってしまう。危険な孤立出産に至ることのないよう、女性自身の生殖コントロールの最後の砦として中絶の自由が欠かせないのは、女性ばかりが懲罰的な責めを負うこの状況が続くのであれば一層揺るぎないことと思う

 

一方で、中絶が必要になるのは避妊ができなかった場合であることも忘れてはならない。女性がしたいときには中絶ができるようにすべきだと言い続けると、誤解を生みそうでこわい。

中絶をしたくてする人はいない。出産を目指すか中絶か二つに一つ、産めないなら中絶をするしかない状況で消極的に選択するものだ。そして望まない妊娠の継続か中絶か選ばざるを得なくなるまでには、適切に避妊ができなかったという前段が必ずある

 

 

 

孤立出産に思うことがありすぎて、前置きが長くなってしまった。

ここからが、本書新版 中絶と避妊の政治学──戦後日本のリプロダクション政策の本題である。

 

日本では、1948年に人工妊娠中絶が合法化され、1949年には経済的理由による中絶も認められた。ところが経口避妊薬ピルが解禁されたのは1999年で、女性主体の避妊は中絶に50年以上遅れたことになる。

 

なぜ避妊より中絶を優先したのか?

普通に考えれば、宗教的・文化的に中絶が認められるなら、中絶より生殖過程への介入度が低い避妊については、中絶以上に寛容になるはずだ。究極的には避妊が適切に行われれば不要になる中絶が避妊よりも先に認められるのも、不自然な感じがする。

そこで本書は、なぜ日本では中絶政策が相対的に進歩的(progressive)であったのに、避妊政策は相対的に保守的(conservative)だったのかを解明し、説明することを課題とする。

p.6 『新版 中絶と避妊の政治学 戦後日本のリプロダクション政策』

 

そもそも日本において堕胎は、江戸時代以前から行われていたという。堕胎手術にアクセスできない層では間引きが選択された。はやい話が捨子だ。

 

そういえば「七つ前は神のうち」という古そうな言葉があった。わたしはてっきり、7歳にならないくらいの幼児は生物的に脆い存在であることから、神と人の間にあってこの世を離れてしまいやすい存在であり、亡くしたときに親が自分を責めても仕方ないというような教えだと思っていた。しかしことわざとしては、数え年で7歳未満の子供は神に属する存在であり、わがままや非礼があっても責任は問われない、という意味らしい。

「七つ前は神のうち」自体は、柳田國男がさも昔からある言葉のように言い出しただけだという指摘はあるものの、現代医学が発達する以前、今よりずっと子どもの死亡率が高かった時代が長かったことは確かだ。

遡ると、古代日本の律令制において、7歳以下の幼児は喪に服すことがなく、親もその年齢の子が死んだとき、喪に服す義務を免除された。平安時代以降も、死亡率の高い幼児を服忌の対象から外すことで滞りなく社会を回そうとした大人の都合で、幼児はある種の特権的な部外者となる。

一方、近世後期以降は幼児の葬儀や初等教育も行われるようになり、子どもは保護し養育すべき存在であるという意識が成立していくことによって、幼児であることが聖性を帯びていく。数え7歳未満の子は神に属する存在であるという感覚は、この社会からの疎外の歴史がある上に子を宝とする価値観が広がった結果、出てきたものと思われる

 

話を間引きに戻そう。

間引きが広く行われていたといっても、その慣習に中絶が避妊に先行した理由を求めることには問題がある。日本がそれに対して、宗教的・文化的に特別寛容だったというわけではない。 幼い子どもの死亡率が高かったのは国外でも同様だ。 西洋でも中世までは幼児が人間として数えられていなかった。17世紀頃まで嬰児殺しは、公には厳禁とされながらも現実に行われていたという。

※フィリップ・アリエス『〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』(1980年)

 

日本でも江戸時代以前の為政者たちは、民の堕胎や間引きを繰り返し禁止した。禁止しなければならないほどに間引きは広く見られる行為だった。規定の処罰が執行されることはまれだったが、堕胎や間引きは国から民を奪う行為だという為政者たちの非難は、近代日本の堕胎政策の土台になっていく。

 

明治政府(1868~1912年)の堕胎政策は、徳川時代の延長であった。天皇は1868年に布告を発し、堕胎の主な担い手だった産婆に対して堕胎行為を禁止した。後に政府は、1880年に制定された日本初の近代刑法典のもとで、堕胎を犯罪として成文化した。1907年に刑法が改正された際、堕胎の処罰はさらに厳しくなり、堕胎を求めた女性は最大1年の懲役、堕胎を実行した者は最大7年の懲役を言い渡されることになった。(中略)今も日本では1907年の刑法堕胎罪のみならず1907年の刑法典全体が有効である。

pp.46-47『新版 中絶と避妊の政治学 戦後日本のリプロダクション政策』

1880年、明治政府により堕胎が犯罪化された。

ところがさらに時は流れ、敗戦後の特異な状況下で、医師たちと家族計画運動の利益が重なる。人口を増やすために犯罪とされた中絶が、今度は人口を抑えるため、1948年優生保護法の制定により合法化されることになった。

ここで結論をまとめると、強大な力を持つ医師の集団が、主に自集団の組織的および財政的利益を高めるために、まずは中絶を合法化し、後に中絶法の緩和をはかったのである。日本の全面的な敗戦の結果、専門家集団の利益と国益との交差が生じた。物議をかもしそうな医師たちの中絶法案を国会議員が支持したのは、中絶合法化こそが人口増加を抑える唯一の道であり、これなくしては日本の経済復興という至上の目的は達成できないと信じていたからである。(略)

つまり優生保護法は、女性たちに実質的な健康上の便益とリプロダクティブ・ライツを与えた──、ただし、それは専門家の支配と国益とによって進められた政策過程の、ほとんど意図せぬ副産物にすぎなかった。

pp.87-89 『新版 中絶と避妊の政治学 戦後日本のリプロダクション政策』

 

中絶の犯罪化と制限付きの合法化とは、どちらも母体の保護や女性の権利を企図するものではなかった。日本において中絶が避妊に先行したのは、宗教的・文化的理由によらず、占領軍、政府、その他利益集団による政治の中で、人口を抑制したい国と医師たちとの利益が重なったためである。

そして中絶の合法化が先行したことは、戦後日本の避妊政策に大きく影響していく。中絶により利益を得ていた医師たちに、中絶の需要を損なうピル解禁に反対するインセンティブをもたらしたように。

要するに、優生学と民族主義のイデオロギーは、早い時期に安全な中絶を簡単に利用できるようにしたことで、意図せざる形で女性たちに利益をもたらしたが、最近の数十年間は、それらのイデオロギーがもたらすコストの方がその便益をしのいでいた──最も信頼性と有効性が高い避妊方法【ピル】の利用の制限と、それに伴う意図せぬ妊娠というリスクの増大である。

p.268 『新版 中絶と避妊の政治学 戦後日本のリプロダクション政策』

 

帯に「中絶天国・日本」などと書かれた本が売られていても、実のところ日本では今も、中絶は犯罪とされている。1907年の刑法堕胎罪が犯罪とする中絶について、1948年の優生保護法が基になった母体保護法が、胎児が母体外で生命を維持できない期間、産めない理由と男性の同意が揃った場合に限り認める。性被害の結果ではなく、産めない身体的理由または経済的な理由もない中絶は、犯罪になってしまう。

そのためたとえば、相手男性と未婚であるという理由も、中絶を受ける際には「経済的理由」に変換しなければならない。この「経済的理由」の適用は本来、現に生活扶助、医療扶助を受けている場合や、妊娠または分娩によって生活が著しく困窮し生活保護を受けるに至るような場合に限られているが、 堕胎のほとんどはこの経済的理由を根拠に行われている。今後「経済的理由」の適用について制限が徹底され、安全な中絶が女性の手から遠ざかる可能性も否定できない。

堕胎が犯罪と規定されていることは、いたずらに女性の罪悪感をあおり精神的・肉体的なダメージを増幅するだけでなく、男性の同意を得るのが困難な状況にある女性の中絶を病院が避けるという、実際に中絶を選択する上での障害にも繋がっている。

 

刑法堕胎罪は女性の身体的自由を侵害していないか。母体保護法の配偶者条項は女性の生殖に関する自己決定権を必要以上に制限していないか。

中絶の是非については、胎児の生きる権利と女性の権利の衝突として倫理の観点から議論されることが多いが、少なくとも日本の現行制度はその点を争って成立していない。

そういう歴史を、読み物として面白く読みながら確認できるのが本書です。興味をもたれた方はぜひ。

個人的には「産める社会を、産みたい社会を」という誰も反論できないスローガンや、 出生率が下がり続けても国が有効な策をとられなかった話とか、昔のことなのについ最近の話題かと思うエピソードにも触れたかったけれど、随分と本を離れて書きたいことを書いてしまったので、このあたりで。

 

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします!