どんな言葉で君を愛せば、

22歳新卒社会人、OL人生のスタート

「守ってあげたい」と思われる女になりたいような、なりたくないような

頑固で逞しくて一人で生きていけそうな私

こんばんは。さやかです。ここ数日、夜に眠れなくて困っています。社会人になって朝型生活に変わったので夜眠るのが早くなり、寝つきの悪さは改善したと思っていたのですが……今日明日のうちに解決しておかないと、連休明けが怖いです。

さて、ひとり眠れなくてただ気分が落ち込んでいくだけの夜にふと思い出してしまうのは、昔付き合っていた人に言われた「君は素直なふりが上手いだけで、その実全て一人で決めてしまう頑固者だ」という言葉だったり、好きだったけれど付き合えなかった人に言われた「君は一人でも逞しく生きていけそうだろ。俺は俺がいないとだめな子が好きなんだ」という言葉だったりします。

私は私のことを私自身で決めたいし、自分で決める上ではきちんと情報収集もするし尊敬する人の話には耳を傾けているつもりです。彼に言われたことを検討した上で私が出した答えでも、彼にとって都合がいい答えでない限りは彼の目に私は「話を聞かない頑固な性格」だと映ってしまうのだろうと思いますし、そのことを彼が自覚していなかったのであればそんな男とはやっぱり別れてよかったのだと思います。また、まだ先の話ではありますが、結婚について私は過去にこのブログでも書いたように「自分で自分自身を幸せにできる人間でありたいし、結婚しなくても幸せでいられる私として誰かと一緒に生きていくことを考えたい」と思っています。

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だから「一人でも生きていけそう」だからダメだと言う男の人とも、やっぱり付き合えなくて良かったのだと思うのです。私は一人で生きていける私でありたいと思っていて、好きだった人に私が実際に一人で生きていけそうに見えていたのならば、それは本来私にとっては朗報でしかなくて。「俺がいないとダメ」だと思われながら一緒にいるなんて、そんなの全く嬉しくないはずでした。

「一人で生きられない」と「一人で生きられなさそう」の違い

わたしは「何でも自分で決められる」「一人で生きられる」自分でいたいと常々思っているのに、好きだった人に「君は一人で生きられそう(だからダメだ)」と言われた去年の夏、本当に悲しかったのです。思うに実際に一人で生きられることと、一人で生きられそうであることとは、一体ではありません。つまり一人で生きられる自分でありながら、一人では生きられなさそうに見せること、俺がそばにいてやらないとこいつはだめだ、俺がそばにいて支えてあげないとだめだと思わせることは可能であるはずです。

正直なところ、私はプライドが高いので「こいつは一人じゃダメだ」と思われること自体が気に入らないし、「お前は俺がいないとダメだよな☆」なんて言われた日には静かに拳を固めてしまうと思うのですけれど、これはどう考えても可愛くありません。ただ、俺がそばにいてやらないとと相手に感じさせることは優しさであるとも思います。人は誰でも他人から必要とされていたいし、それが恋人であればなおさら、自分という存在を欲されたいと思うのは当然のことだからです。今思えば、私に「全て一人で決めてしまう頑固者」と言った元彼は寂しかったのではないかと思うのです。彼が隣にいたかもしれない将来について私が考えるとき、それがどこまで真実であるかはさておき、私は彼を必要としていると彼にもっと感じさせるべきだったのではないでしょうか。

甘え上手・相談上手になりたい

私の甘え下手は、おそらくかなり年季が入っています。物心ついたときには下の子がいた長子で、両親も私のことを「お姉ちゃん」と呼んでいました。名前でなく「お姉ちゃん」と呼ばれると、振る舞いもそれらしくなるものなのでしょうか、私は所謂しっかり者の長女として育ったようです。

進学先を決めるときも就職先を決めるときも、あるいは日常における些細な選択も、親には気軽に相談をしてきたつもりでした。でも振り返ってみると私はいつも、自分の中で散々考えた答えを用意した上で、それを報告して意見をあおぐばかりだったのです。親に限らず、人に相談するときはいつもそうでした。自分の答えを話す前に相手の率直な意見を聞きたくて「どうするのが良いかな」という言葉が口をついて出ることはあるけれど、自分が本当に先入観となる答えを持たずにノープランで相談することはまずありません。もちろんそこで返ってくる相手の話によって自分の答えが変化することも多いですし、時には相談する前と考え方が180度転換することもあります。もしその答えをあとで後悔することになったときに相手のせいにしたくないので、あくまでも「自分で考えて決めた」というプロセスを重視したいと思っているだけで、人の話を聞かない頑固者でありたいとは思っていません。でも相談される方からすれば、自分に聞かなくてもあなたは全部自分で決めているじゃない、と言いたくなるのも仕方ないと思います。

自分が人の話を聞きながら何かに悩む過程とか弱って後ろ向きになっている姿とか、そういうかっこ悪いところを相手に見せることは「甘え」であり良くないものだと思ってきました。それはおそらく、人格形成期に自分よりも手がかかる下の兄弟がいたことに大きな影響を受けているのだとは思うのですけれど、いつまでもそれを言い訳にして甘え下手でいるわけにはいきません。良い加減で甘える力を身に着けたいです。

そう、一人で生きていく力はきちんと裏で継続的に育みつつ、表面はほんわかしていて女の子らしく、か弱そうで、守ってあげたくなる、俺が支えてやらないとコイツはダメだと思われる、そういう女子に私はなりたい。いや、本当になりたいのかな。やっぱり本当は、一人でも逞しく生きていけそうな私を好きになってもらえた方が嬉しいような気がする。もしかしたら、変われない私のままで好かれたいというこの気持ちこそが、一番大きな甘えなのかもしれません。

今夜も最後までお読みいただきありがとうございます。おやすみなさい。さやかでした。