どんな言葉で君を愛せば、

22歳新卒、OL人生のスタート

認めたくなかった。会社に行くのが辛いこと

今の私の最大の悩みは、自分がマグロであることに由来していると今更気づいてしまった。今夜はそういう自分語りです。

ちなみにマグロってまな板の上の鯉ならぬベッドの上の……ではなく、泳ぎ続けないと酸素を取り込めなくて死んでしまう回遊魚の方です。為念。

 

特に根拠のない義務感

昔から、自分が努力とは思わないことを人にはそうとられることが多かったような気がします。中高生の頃も親は私に勉強しろとか言わなかったし、言われなかった私も自分がそんなに真面目にやっているとは思っていませんでした。

でもたとえば大学生になってからその時期を振り返って、友人に「さやかは本当によくやってたから合格したことに何の不思議もない」、母に「あの子達(下の兄弟)が言っても勉強しないことに気付いて、初めてあなたが当たり前にやってたことが当たり前じゃなかったと気付いた。今思うとよく頑張ってたね」とそれぞれ言われたのが印象に残っています。

そしてそれらの言葉を受けて、私も親と似たような感想を抱いたような気がするのです。自分がそれなりに“頑張っている”ように見えるらしいと知って驚きました。

ただ当然やるべきだという謎の強迫感に追われて、それから逃げるために何かをしてきただけで、自分の意識が高いとかストイックな性格をしているだとか、考えたこともなくて。それは社会人になってからも変わらず、

特に昨年秋頃までの間、働きながら毎日ジムに行ったり業務外の勉強をしたりしてきたのは、日々自己研鑽☆みたいなキラキラなノリではなく、ここでも謎の切迫感に追われていたから。

仕事に余裕があって早く帰れて自由な時間があるのに、その間にも働き続けて伸びていく人がいるのに、少しでも意味の有りそうなことをしないでいられるほど私は強い人間ではありません。ツイートの「単にそうしていないと気が狂いそうなだけ」は、我ながら中々的確な表現をしたな、と。

 

「会社に行くのが嫌」と言わなかった理由

以前から私の書くものを見てくださっている方はこいつずっと会社に行くのが楽しいとか言ってなかったかしら、と思ったかもしれません。

自分でもそう思ってツイートを遡ってみたら、会社や仕事に対して何かポジティブなことを言っていたのは案外昔でした。配属されたのは6月、上のツイートが7月で、8月頃にはなんだか不穏な感じになっていきます。この頃からは少しずつ上司に対する愚痴のようなものも増えていました。

これは当たり障りのない暮らしに幸せを見出していないからこそ出てきたものと思われます。

さらに、秋にはもっと顕著に自分の仕事に対してあまり良くない感情を抱くようになっていました。

 「毎日を会社と自宅(とジム)の往復だけ、しかも会社での仕事をそれほど負荷にも感じていない、という快適で健全で単調な暮らしをコンプレックスに感じる」

「辛くなければ頑張っていない、頑張っていない自分はダメだと思ってしまう」

「それなら激務な職を選べばよかったじゃないかというセルフツッコミで毎日心をこじらせて死にそうになっている」

映画「アイネクライネナハトムジーク」を見ました - どんな言葉で君を愛せば、

 

今この瞬間目の前にある生活における時間的拘束という意味でも、人生における目的という意味でも大きな存在感を放つ仕事。こんなに大事なものに対する悩みを、文章を書くのが好きだと言いながら今まではっきりと言語化してこなかったことにはもちろん理由があります。

シンプルに、向き合うのが怖かったからです。正面からこの問題を自分につきつけるのは危険だと、これもまた言葉にせずともわかっていました。だから推しをつくって会社に行くことを楽しもうとしたり、一緒に働く人たちのことが好きでその人たちの為に役に立ちたいと思うようにしてきました。まさしく自分を騙すように。

 

もう誤魔化しようがない

転機になったのは人事部教育担当との面談。この時期悩みがちな新卒のケアをするために設けられている制度らしいのですが、私に関して言えば完全に裏目に出ました。今の仕事や職場への不満を話すように求められ、今まであえて目を背けてきたフラストレーションを言葉にしたことで、自分が今の仕事をとても嫌っているという事実を認めざるを得なくなったのです。詳しく話して身元が割れるのは怖いので内容は伏せますが。

 

自分の実力以上の成果を求められて苦しみたい。やるべきことに追われていないと自分が生きている意味がわからないのに、自分のキャパの体感二割くらいしか求められていない現状が本当に苦しい。

私はたぶん泳ぎ続けていないと死んでしまうマグロのような人間で、それなのに観賞用の金魚鉢で飼われる金魚になるような、ぬるくて優しくて退屈な環境に身を置くことを選んだのも私。就職活動の戦略を誤ったのは自分だから自業自得でしかない。内定前には示しもされなかった職種での望まない配属とか、日本語がまともに通じないと感じてしまうヤバい上司だとか、そういう偶発的で私にはどうしようもない問題もたしかにあるけれど、大まかに言えば私が今苦しいのは私のせい。

 

自分を読み違えて就活に失敗した。そのことに薄々気付きながら、それを認めたくなくて仕事も通勤も楽しいと思おうとしてきたのがこの半年。楽しかった気持ちも全てが嘘ではないけれど、すべてが純粋なものではなかった。私は就活に失敗し、それによって全てを投げ出すことはせず切り替えて健やかに生きようとしたことにもまた、挫折しようとしている。

 

さっき読んだ本にはこんなことが書かれていた。

「有意義な仕事が長寿につながるとしたら、あなたの寿命を短くするものは何か?失業だ。(中略)しかし、嫌いな職に就いていることは、失業よりさらに悪い。2010年のギャロップ調査によると、疎外感を覚えたり、感情移入できない職に就いている人は、失業状態にある人より幸福度が低い。スウェーデンの就業者を対象とした調査では、単調な仕事は心筋梗塞の発症リスクを高めることが明らかになった。つまり、退屈な仕事はあなたを殺すのだ。」

 

自分が選んで入った会社を自分が配属された1拠点、もっと言えば1フロアだけしか知らずに会社全体に絶望して辞めるなんてありえないと思ってきたけれど、様々な事情で社内での異動はどうやらすぐには叶いそうもなく、でもこのまま終わりの見えない退屈な仕事に向き合い続けるのはあまりにも苦しくて、もう転職しかないかと思いきや、家賃補助が手厚い今の会社を出て一人で部屋を借り直さなければいけないのは怖くて、結局は退屈な仕事をしながら毎日泣くことしかできずにいる自分が情けなくて、こんな情けない姿は家族にも友達にも彼氏にも見せたくなくて、もう全部おしまいにしたい。実家暮らしの同期に辞めたいと相談されて「いいよね、会社辞めても家がある人は」って嫌味を飲み込んだ昼休み。相手を一緒に頑張る仲間と思えない自分の器の小ささに震える。もう疲れた。おわり