どんな言葉で君を愛せば、

22歳新卒、OL人生のスタート

結局、インスタに載せられない夜が一番幸せだったりして

今振り返って、どうしようもなく幸せだったなと思う夜の共通点。インスタに載せられるような、綺麗な写真が残らないこと。そして一番お気に入りのイヤリングを、片耳だけ落としてきてしまうこと。

 

幸せな夜の翌朝は大抵ポエミーな気分になる。宝物自慢の場であるインスタにも勿論それを記録しておきたいところだけれど、わたしは好きな人と過ごす夜はスマホを出す余裕すらないままに鞄を置いてしまうことが多くて、写真を全く撮らない。食べ物すら撮らないのに況や自撮りをや、である。

そしてそんな夜につけるイヤリングは決まって、自分が一番かわいいと思っているものだ。つけている自分のことをかわいいと思える、とっておきのペア。だって特別な人と会うのだから。気のおけない友達と飲むだけなら服は居酒屋でタバコの匂いがついても気にならないものがいいし、アクセサリーは何かの拍子に落としてしまってもダメージが少ないものがいい。でもその夜会うのが誰よりも可愛いと思われたい相手なら、服もアクセサリーも妥協できなくて、酔うとそれらを失う可能性が高いことも承知の上で完璧に武装していく。

 

今わたしが一番好かれていたい人の誘いはいつも突然で、だからこそ毎日気を抜けない。とはいえ洋服は全く同じものが2着ない以上は毎日いちばんお気に入りを身に着けるわけにはいかないから、会社の帰りに急に会えることになった今回も本当は少し悔しかった。本当は会う3日前には美容院に行って髪をツヤッツヤのトゥルットゥルにしておきたかったし、もっと身体のラインを強調できる服装で会いたかったし、他の人と飲んでいたおかげで赤くなってしまった顔なんかじゃなくて、色白だと言われる肌が相手の印象に残るような状態で会いたかった。言い出せばキリがなかったり、何を悔いたところで彼に会えた幸せ以上に気になる問題なんて何もなかったりもする。

 

兎に角、幸せな熱に浮かされた夜が明ければ、そこに残っているのはいつもインスタに載せられるような思い出が空っぽのスマホと、片割れを失ってしまったお気にいりのイヤリングだった。思い出の記録用にインスタに載せるとすれば、そう。手元に残ってしまった、そのイヤリングの写真しかない。

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「そんな夜を重ね、ペアを失い死体となってしまったイヤリングがこんなに…!」と言えたらこのポエムにももう少し重厚感が出た気がするのだけれど、残念ながらというか何というか、昨日片割れを失くした1本のバラ以外は跡形もなく消えていた。

 

失くして間もない間は確かに悲しい。胸が痛い。詩的に言うなれば、片割れを失ってお役御免になった可哀想なイヤリングは、大好きな人ともう会えない可能性を否定できない自分とどこか重なって見えるような気もしてくる。

どこで読んだのか忘れたけれど、失恋で身体は本当に「痛む」らしい。つらい、苦しいと心理的に感じているとき、脳は肉体的な痛みを感じているときと似た動きを見せるのだという。バラ1本とは言わず腕を1本その夜に持って行かれたようにも思える悲しみに暮れているうちは、痛みというダメージを自分でも気づかないうちに負っているということを忘れないほうが良い。

悲しくて悲しくて途方に暮れる時期に、焦って負の思い出を自分の世界から葬らなければと思う必要はきっとなくて。脳が生み出すその痛みが癒える頃には、あんなに「イヤリングは片方だけじゃ使えないのにどうしても捨てられない」と悩んでいたのが嘘みたいに、捨てたタイミングさえ思い出せないくらいケロっとして捨てられてしまうものだから。

 

ああ、わたし、あの人のことが好きだったし今でも大好きだなあと思いながら、インスタグラムの王道「真っ白な布の上」で昨日無くしたイヤリングを撮って、友達や会社の人が見ているインスタではなくこのブログに載せた。22歳、社会人。寂しさや悲しみに口を閉ざすほど大人にはなれなくて、本名アカウントでポエムを綴るほど若くもいられない。

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たくさん歩かせてごめんねと笑いながら繋がれた汗ばむ手のひらも、タクシーの暗がりの中でされたキスも、寂しいけどおやすみと笑った声も。私が見て聞いて触れた彼の何もかもが優しかった夜のことは、インスタには少しも表れない。前回の「またね」で昨日が来たように、昨日言われた「またね」も昨日みたいな夜に繋がってるって期待しても良いのかな。あれが最後になるなんてと絶望するのにも、イヤリングを失くして喪失感を覚えるのにも飽きてきた。「もういっそピアス開けちゃおうかな」と言い始めて1年以上が経ちました