どんな言葉で君を愛せば、

22歳新卒、OL人生のスタート

ダメ男に掘られた自己肯定感の穴に人の優しさが刺さった。

こんばんは。しばらくホテルに缶詰めにされて家に帰れない合宿研修で,ひっそりと鬱になっているさやかです。今日はこの研修で初めてお酒を飲まずに済む夜で,少し気分が復活してきたのでブログを書こうと思います。よろしくお願いします。

 

私はどこまでも犬だった

実は最近,出会ったばかりの男の人に「さやかちゃんってもしかして自己肯定感が低い?」と言われたことがありました。私は首にヒヤリと何かをあてられたような感覚に陥りましたし,実際わかりやすく動揺してしまったのだと思います。動揺を察した彼に「僕にとってはごく普通のことを言うだけで君は大袈裟に喜ぶから」と説明されたとき,思い当たる節しかなくて笑ってしまいました。ごく普通のことについての詳細は伏せますが,それは私が好きな人からの連絡はそれが相手の気まぐれであっても実家の犬のように喜びを前面に押し出して応じてしまうタイプ,つまり犬系女子であることの証明に他ならなかったのです。

ということは私は上記のブログを書いた1月から何にも成長していないし,彼にも他愛ないことで大袈裟に喜ぶチョロい女だと思われたし,もうオワリだと絶望しました。好きになりそうだったというか,既にちょっと好きだったのにまた懲りずに犬になって失敗してしまったな……と。

それから,自分が特別優しくされていたと思っていたことがとても恥ずかしく思えました。彼は私に他の人にも普通にすることをしていただけなのに,私は彼のその優しさを普通ではないと思ってしまったわけです。思うところがあって最近は距離を置いていた恋愛工学の言葉を借りて言えば,これってとても非モテっぽい状況です。誰にでも挨拶をする美少女に「おはよう♡」って言われて恋しちゃう中2の童貞と同じレベル。もうとにかく恥ずかしい。彼から「これだけのことでこんなに喜ぶなんて 君は今までどんな酷い目に遭ってきたの?」と追い打ちをかけられたときにはもう顔から火が出るかと思いました。穴があったら入りたかった。

 

どうしよう、好きな人が優しい

出会って1週間の人に自己肯定感の低さを指摘されてしまって,もう本当に私は終わりだ…よっぽど卑屈なんだ…と卑屈を極めて絶望しかけたのですが,私の動揺を察した先方は「僕は君に酷いことを言ったり急に連絡を断ったり絶対にしないから,大丈夫だから」と繰り返し安心させようとしてくれるのです。これが結構嬉しくて,結構というか嬉しすぎて涙さえ出そうになりました。

自己肯定感が低いことって,家族の中で育てられる過程で親からの愛に飢えていたとか複雑な家庭環境で育つとそうなりやすいとか,とにかく幼少期の家庭環境に要因を求められがちです。でも私の育った家庭は過去から現在まで円満も円満だったし,基本的に人の悪意に触れなくても済む環境に身を置くことができていたので,自分が愛されないこととか大切にされないことって別に私にとって元々当たり前だったわけではないんですね。それがここ2年ほど何人かの好きになった男の人たちに振り回され(ることを自分で選んできた結果として),自分が好きな男の人にぞんざいに扱われることが自分の中で通常状態になってしまったのですけれど。

つまり,出会ったばかりの自分が素敵だと思う男の人に優しくされたことは今の私にとっては当然ではなくて,だからこそちょっと浮かれてしまった部分があって,しかも犬系女子だから他愛ないことでもオーバーリアクションで喜んでしまって。でも彼の方から言外に君は特別ではないよと牽制された気がして,牽制されたと思って落ち込んだらそれもお察しされて,牽制ではないし君が特別なのは本当だと言われて,もう情緒は完全にジェットコースターです。

そろそろお気づきだとは思いますがここまでは好きな人が私に優しいんだ〜という自慢で,ここからが今回書きたかった本題です。

 

クソ男をクソ男にしたのは私だった

彼は私が卑屈になったり不安になったりしそうだと思う度に「僕は過去に君を傷つけた人間とは違うよ」と宥めてくれるけれど,本当は私が彼に指摘される前に,過去の男の人に対して抱いていた不安を彼に対して向けてしまっていることを自覚するべきでした。私はある好きだった男の子に不義理な仕打ちを受けて以来,好きになった男の人に対して不義理男へ向けていた感情や態度を向けるようになってしまっていたのです。

ある人に対して生じた感情や欲求,その人と構築した関係性を,そのまま別の誰かに向けたり期待してしまったりすることを,心理学の用語で転移といいます。これは例えば,ある女の人が側から見るとDV男ばかり選んでしまっている状況の1つの説明にもなり得ます。DV男ばかりを引き当ててしまっているという可能性も無くはありませんが,女性が過去にDVをされていた相手に対する感情や態度を,別のDV男ではない男性に向けてしまうことで,DV男ではなかった男性の嗜虐性や暴力性を誘発してしまっている可能性があるのです。人は何もされていない相手に無意味に謝られたり過度に気を遣われたりするとその相手のことを見下すようになってしまうのですが,DVの被害者は無意識のうちにこれをしてしまいがちだからだそう。

私の場合,不義理男に対して謙ったり都合良く振舞ったりしていたことを引きずって,好きになった人には下手下手に出るようになっていました。それは犬属性というような言葉で片付けていいものではなくて,それこそ卑屈としか言いようがないような状態です。彼に指摘される前に,私は自分が引き起こしていた転移に気付くべきだったのです。この2年間,好きになったのが全員特別酷い男の人だったわけではなくて,好きになった相手に不義理男を重ねてしまう私の言動すべてが,普通の男の人の中にある不義理を働く種に芽を出させてしまっていたのではないかと。

 

自責思考は行き過ぎると自意識過剰

成長するためには他責思考より自責思考,とはよく言われますよね。私が真っ只中にいる新入社員研修では,この自責思考を徹底的に叩き込まれます。私は叩き込まれる前から自責的というか自罰的な思考癖があり,自分が頑張れば,自分がもっと良くなれば,と考えがちです。自分の力さえあればすべて解決すると考える行き過ぎた自責思考は,自意識過剰とも言えます。

何かつらいことがあったとき,何か問題が起きたとき,それをすべて自分の責任として引き受けるには自分の許容量が足りない場合もあるし,引き受けることで適切な自意識の範囲を超えてしまう場合もあります。私がこだわってしまいがちな「他の人の私に対する言動」は,明らかに私がコントロールできる範囲を超えていると思います。私が男の人の不義理に泣いてきたのは無意識のうちに感情の転移をしていた私にも原因があって,ただし100%の要因があるわけではなくて。

そして今重要なのは,そのことは私が今好きな人にとっては本来全く関係が無いことだということです。過去の人と自分を重ねていると感じさせてしまうのはすごく失礼ですよね。彼に対しては,転移に気付かせてくれたことにも,「苦しくないと恋じゃない」くらいのことを思っていた私をすっかり「好きな人に優しくされることが幸せ」だという健全な状態に戻してくれたことにも感謝しています。変に謙ることなく良い関係を築いていけたら良いなと思いますが,相手のあることなので「自分が頑張れば…!」といつもの過剰な自責思考に陥らないように気を付けようと今回改めて思いました。

 

さて本日も長いポエムにお付き合いいただき,ありがとうございます。私は明日も研修を頑張ります。おやすみなさい。さやかでした。