どんな言葉で君を愛せば、

22歳新卒、OL人生のスタート

ねえ知ってる?雨に濡れながら号泣したら、一周回って笑えてくるの

「あ、やばい、泣きそうだ」と思った。

日曜日の午後。外は小雨。かっこいい男の人と半日デートして解散して、表参道のスターバックスで一人、温かいミルクティーを飲みながらツイッターを開く。本当はジ・アレイでタピオカミルクティーを飲みたい気分だったけれど、一人で長蛇の列につくだけの気力はなかった。短時間睡眠で歩き回った疲れからか、やや眠気を感じつつ、それでも今夜一緒にお酒を飲める人がいないかタイムラインを探ってみていた。珍しくというか何というか、誰からも連絡は来なくて、なるほどこれが連休中の夜かと。

自分で言うのもどうかと思うけど、今日の私、わりと、結構、比較的、可愛かったのよね。私なりになかなか良い私を作れていたの。新しい服を着て、髪をゆるく巻いて、肌の調子も悪くなくて、カラコンを入れて、ネイルもちゃんとツヤっとしていて。それを誰かに可愛いと言われたかったんだと思う。多分それが足りなくて私は真っ直ぐ家に帰れなかった。病気かなとも思うけど、それくらい普段の私は、かわいいとか綺麗とか好きとかいう言葉を私が恥ずかしくなるまで言ってくれるような人に囲まれる幸せな環境にいるんだな、と改めて感じた瞬間でもあり。でも今夜は誰にも誘われなくて、誰にも誘われなかったときに「今夜空いてる?」って連絡できるような人にも何となく自分から声をかけられなかった。

話は少し変わるけれど、最近自分がどうしても一人で帰りたくない日に「今何してる?」と誰かしらに連絡できるようになって思ったのは、私が過去に好きだった時期に、私に気まぐれにそんな連絡を寄越してきていた好きだった人も、べつに私の好意を利用しようなんてつもりは更々無く単に寂しかったのかもしれないのだよなということ。私にはどうしても自分に対してわりと自由気ままに、率直に言ってしまえば身勝手な振る舞いをしてくる人に対して、自分よりずっと強い精神を持っているように思えてしまうところがあって。彼らには自分を肯定してくれる誰かと会いたいなんて気分になる瞬間など無いはずだと思い込んでいた節がある。

でも私が「この人は私の事好きだから」「この人は奢ってくれるから」なんて理由で誰かに予定を打診することが無いように、多分私が自ら振り回されに行った好きだった人にも「こいつの好意を利用してやろう」なんて意識はなかったんじゃなかろうかと。ただ誰かに会いたい夜があって、自分が会うだけで喜ぶ相手なら誘いやすくて、良くも悪くもそれくらいの気分でしかなかったんだろうなって。

そういえば映画「愛がなんだ」にもそんなシーンがあったな。自分のことを好きなナカハラを振り回していた葉子に対してテルコが「葉子ちゃんも寂しいとか思うことあるの?」と尋ねて、葉子が「あるよ」と怒っていたような。

……何の話でしたっけ。

そう。連休中日の夜に誰も釣れなくて、私は今誰にも会いたいって思われない人間なんだなって絶望して。あ、やばい、泣きそうだって思ってとりあえずイヤホンを外の音が聞こえないような大音量にしながらスタバを出て。駅のホームで帰りの電車を待ちながらずっと泣きそうで、電車に乗り込んでからも泣きそうで、乗換駅のホームを歩いているときにイヤホンから流れてきたのがAlan WalkerのOn My Way。涙腺にクるメロディーラインにもう耐えられなくなって、音も無くボロボロ泣いた。

ちょっと想像してみてほしいのだけれど、駅の構内や電車で一人ぼろぼろと涙を流している22歳の女はどう考えてもヤバい。絶対に近づきたくないと思うはずだ。ただ、普通の人は同じ電車に乗り合わせただけの他人のことをそれほど気にしていないので、俯いてスマホを覗いている女のサイレント涙には意外と気づかない。大丈夫。大丈夫ではないな。

 

とにかく私は、泣きながら最寄り駅に着いた。

地上に出たときには小雨だったから傘をささなかったけれど、運が良いのか悪いのか歩き出して数十秒で土砂降りになって。道行く人が傘をさし始めたり傘がない人が走って行ったりするのを視界には認めつつ、私はただすべてが面倒でそのまま歩いていた。

髪も顔も濡れてぐしゃぐしゃになって、もう自分でも涙なのか雨なのかわからなくなったとき、気付けば周囲には人がいなかった。気が緩んで歩きながら溜息をひとつついたら、それが嗚咽になって止まらなくなって。その後は前から人が来ても我慢できずに泣き続けたから、知り合いに会ってはいなかったことを願うしかない。

号泣しながらマンションの入口までたどり着き、玄関ホールの照明に照らされたときにやっと頭が半分冷静になり、今度は数分間歩きながら泣き続けた自分の滑稽さにジワジワ襲われた。なんと髪や身体を軽く拭きオートロックの鍵を解除しながら私は、笑みを浮かべていたのである。自分の部屋にたどり着くまで、知り合いを含め住人の誰とも会わなかったことを幸運に思うしかない。

ドアを開けて靴を脱いで、濡れた服を脱ぎ捨てながらベッドまで行って身を投げ出し、一頻り声をあげて笑った。泣くのにも笑うのにもつかれた頃、一人で「あー、ウケた」と言いながら立ち上がり脱ぎ捨てた洋服を拾い集め、洗濯機に入れてスイッチを押す。濡れてしまった革靴にも必要な処置をした。私は自分の心がダメな状態になっているようなときでも、こういうものを放置できる質ではない。今回はそれが完全に功を奏して、泣いて笑ってすっきりして、そのあと自分を半ば強制的に日常的な動作の中に置いたことで立ち直りが早かった。

人によってストレス発散方法はいろいろあると思うけれど、私は、泣くことでスッキリするタイプだ。正確に言うと、他の方法で発散を試みたところで誤魔化しに過ぎず、抑圧した感情がある閾値まで達するとサイレント涙が出てくる。それが呼び水となって声を上げて泣けて、ある程度発散できると今度はその情けなさに自然と笑えてきて、何だかんだ一人で吹っ切ってしまえてきた。

(過去にサイレント涙に触れた回→他人に差し出すティッシュは、目で見て手で触れる優しさだと思う。 - どんな言葉で君を愛せば、

 

今思えば私が連休中日の夜に一人でいたのは会社の同期や同僚からの誘いをすべて断っていたからであり、「私は誰にも会いたいと思われない人間だ」という落ち込み方はさすがに被害妄想すぎて笑ってしまう。涙が出てきた理由も一人が寂しくなったからだというのは一理あるけれど全てではなくて、上に書いたように、取るに足らないような感情が積もり積もって閾値に達したに過ぎないのだと思う。多分。

一頻り泣いたあとの憑き物が落ちたような感覚は、情事の後の爽やかな倦怠感に似ている。晴れやかで気だるくて、バカになっていた最中のことを思うと笑いが込み上げて来る感じ。私のTwitterアカウントのbioは今「ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり。このポエムはお前のことではないから安心して眠ってください」という個人情報ほぼゼロのポエムなのだけれど、実はこのハッピー賢者モードというのは一般にイメージされる事後だけでなく、泣いたあとのソロ賢者モードも含む。何もセクシーなことばかりしているわけではない。むしろ枯れてる。

ええと、何の話だっけ。

今回のブログにちゃんとタイトルをつけるなら、ストレス発散としての定期的な号泣のすすめ、とかになるのかしら。なんだか鬱々していたり何をしても虚しく感じてしまったりする自覚があるとき、何かを起点にして思い切り泣いてみると案外それだけで肩が軽くなったりするのではないかなというご提案でした。もちろんそれが雨の中である必要はないのだけれど!

最後までお付き合いいただきありがとうございます。ちょっと陰の回が続いてしまったので、次は一転して明るさ100%なことをお話したいです。おやすみなさい。さやかでした。

 

愛がなんだ (角川文庫)