どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

いちばん哀しかった あの日さえもう かがやいている

「寂しい」と口に出せる人から幸せになっていくと最近誰かが言っていた。私は、被害者面をやめられた人から幸せになっていくと思っている。

ここでいう被害者面とは、過去の己の選択を「選ばされただけ」と後からひっくり返すようなこと。大人同士の合意の上で進んだ道の先に自分の思うものがなかったとき、「騙された」と相手を加害者に仕立ててしまうような言動のことだ

高校生に毛が生えたくらいのアラツーなら、こんなツイートのように「目覚める」こともあると思う。苦い経験は振り返ると十分に被害だったと自覚して、自己責任の範囲において自分を守ったり労ったりする方に活かせるなら、それはそれで良いと思うのだ。

でも大人が、幸せになりたい大の大人が、自ら主体性を否定することを言うべきではないと私は思う。

付き合えなかったことを「やり捨てられた」とか、結婚に至らなかったことを「二十代の貴重な時間を奪われた」って言い続けるとか。判断能力がある大人の自省が、そんなふうにずっと受身のかたちをとるのはおかしい。襲われたわけではないのだからあなたが寝ることを選んだのでしょう、あなたが相手といることを選んでいたのでしょう

 

一方で、被害者の立場を利用することを否定したいわけでもない。傷つけられてしまうこと、それが自分勝手なナイーブさによるものではなく、およそ客観的に見ても被害者にあたる立場に置かれることは、事の軽重はあれど誰にでもある。途方に暮れるのも仕方ない。

ただ、その先の私を幸せにできるのは、被害者な私ではない私だと思っているだけ。

傷ついた後で立ち上がるには、傷つけられてしまった情けない自分自身をゆるして元気づける必要がある。それは相手を悪者にしてでも、やるべき価値のあることだ。そのために「やり捨てられた」とか「二十代の貴重な時間を奪われた」とか、そういう言葉で自分を正当化するのは合理的だと考えている。

確かにひどい話だけれど、でもこれを選んだのは当時の私か、あのとき私が合意して今があるのか、という事実に向き合うのはそうして元気になってからで十分だろうと

 

余談だが、女性が恋人と別れた瞬間に相手のことを悪く言ったり「大した存在じゃなかった」と言ったりするのも好きだ。一度完全に否定することで予後が良くなるのであれば、いくらでも元恋人を悪く言ってほしいと思う。そうしなければ断ち切れないほど魅力的な相手なのか、賢者モードになったら本当に大した事のない相手だったのか、本人が一番わからなくなるほどやりきって元気になってほしい

 

本題に戻って、今、被害者面と一番遠いところにいるのが例のpecoさんだと思っている。

昨年8月に元夫との婚姻関係を解消し、元夫と子との「新しい家族の形」を築いているという女性。元夫が世間からあらゆる切り口で批判され悪者にされる中、自身に向けられる同情論に「私が全部選択してきたことです」とコメントしていた。

peco自身への同情論に心境を吐露「ryuchellにお願いされて一緒にいるわけではない」〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース

結果だけ知る私たちには彼女が被害者に見えても、当然彼女の人生にはそんなこと関係がない。そして彼女自身が対面してきた現実さえ、それが彼女の立場から見てどんなものであれ、彼女の将来に直接的には関係できなくなった。

子の親として、その父に「騙された」「縛られた」と被害者のポーズをとらないこと、それが彼女の覚悟で、強さだと思う。これはもう、母は強いとかいう一言でまとめていい話ではない。彼女がすごい。

 

それで今回は何の話をしてたのだっけ?

そう、ただの賢者タイムに後悔するタイプの行為を軽々しく犯罪と同じように呼んだり、捨てられた/買われたと受身な言葉で自分を振り返り続けたり、そういうマチュリティの低い大人になっていないか定期点検しながら、幸せに生きていたいなという話です。

 

大丈夫。結婚したかった人に手酷く振られても、ゆるせないと思うような裏切りにあっても。自分でちゃんと幸せになれるはずよ、私たち

 

いちばん哀しかった あの日さえもう かがやいている

小田和正/心はなれて