どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

この世に頭の悪い悪魔はいるのだろうか

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社会や制度といった概念は、確かに人が作り出したものだけれど、一度作られてしまえば作った者の意図には関係なく動き出してしまい、完全に統制することはできなくなる。当然、新たに作る前には、その順機能と逆機能について、顕在的・潜在的側面の両方から検討されるはずだ。ただ、作り出したその虚構に伴って、あるいは伴わずに後に起こっていくこと、そのすべてを予知して対策できるわけがない。考え得る全ての可能性を想定しようという前提があったとしても、やっぱり人は神にはなれない

 

ところで私は、頭の悪い人は邪悪にはなれないと思っている。邪悪であると言われるためには、無邪気にではなく、悪意を持ってその結果を引き起こしたと客観的に考えられることが必要だろう。行為の影響が及ぶ範囲が広く、結果が予想しにくくなるほど、そこに邪悪さが存在するために必要な能力は大きくなるはずだ。つまり誰かを邪悪であると思うことは、即ち、その人はある程度賢いと認めることだと考える。

「このルールを作った人は、こういう弊害が起こることを予測できなかったのか?頭が悪いのか?」と思うことと、「こんなルールを作った人間は邪悪だ」と思い込むことは、私の中では全く違う。「邪悪だ」の前には、この人は計算尽くで悪意をもって実行したはずであるという括弧書きが見える。悪魔の仮面を被せ、自分を含む普通の人間と区別しようとしているように思う。もし、何もかも思い通りに進められる悪魔的に邪悪な人が存在していれば、もうそれは人間よりも神に近いのかもしれない

 

もちろん、邪悪でなければ良いということではない。悪意とそれを実行する能力がなくても、同時に教養や想像力にも欠けていれば、最悪の結果を招き得る。ただ、同一の対象について邪悪だと批判しながら愚かだと蔑むことはなかなかできないし、相手を邪悪であると思い込まない方が良い場合は多いと思っている。

今日、こういう文章で締め括られる記事を読んだ。

本当は女性が自分のしたい生き方を実現できない社会の方が問題なのに。私は男社会で別の役割を演じる女性に、恨みの矛先を向けていました。それが女性を分断して団結できないようにする男性社会の思うツボであることも知りませんでした。
「基礎的な会話ができない」28歳の私が結婚相談所で出会った男性に持った強烈な違和感 1日に3、4人…婚活したけれど (4ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

社会の中で別々の役割を担う女性たちが、手を取り合って団結し男性と対峙するという構図は、確かに実現するのが難しいように思える。でもそれは「男性社会の思うツボ」なのだろうか。

 

男性対女性に限った話ではない。たとえば地方で観光ホテルを営みながら暮らしている人と、観光業とは無関係でただその土地に暮らしている人には、同じ県民・市民であるという共通点がある。そして、感染症禍で「越境自粛」がさけばれる中、県外ナンバーの車に乗って来る宿泊客がいる。ホテル側からすれば大事な顧客だが、他の住民からすれば感染症を持ち込む脅威にしか見えない可能性はあった。ひどくこわがった住民のうちの一人が、ホテルの駐車場に停められた県外ナンバーの車に「帰れ」と書いた紙を貼ったかもしれない。余所者を受け入れるなとホテルに抗議の電話を入れたかもしれない。 

この例えはすべて想像上の話だけれど、実際にそういう住民同士の分断があったとして、その分断は「越境自粛を呼びかけた人間の思うツボ」だろうか。住民同士の分断をつらく思う住民は、対岸にいる住民と対話しようとしたり、越境自粛を呼びかけた人を「正義感に燃えて過剰にその行為を責めてしまう人が出てくると予想できなかったのか?」と批判したりするかもしれない。でも「私たちがいがみ合うことは邪悪な政府や議会の思うツボだ」とは、普通思わないのではないか?

 

部分最適の追求が全体最適に繋がらないのも、差別が維持されるときにそこに共犯関係が成立しているのも、何も不思議なことではない。自ら望んで家庭に入る女子は、確かに女性の賃金の中央値や平均値を下げるかもしれないし、間接的にステレオタイプの再生産に加担しているかもしれない。でもそれが彼女にとって個別の最適解であるのならば、誰もそれを責められない。

 

自分と異なる生き方をしている人が時に羨ましくなるのも、個人的にはわかる。自分が婚活をしているときに、結婚した同性を羨ましく、妬ましくすら思ってしまう気持ちも理解できる。独身のまま働いている女同士でも、働き方や収入など別の切り口で共感が難しくなることはある。

でもそうやって女同士が女という共通項だけで手を繋ぎ合えないのは、男の思うツボだろうか。男が作った社会はそんなにも邪悪に設計されているのだろうか。もしそうなら、そんな邪悪な社会を作った“男”は、それほどまでに賢いのだろうか?

 

私はそうは思わないけれど、理不尽な苦しみを乗り越えるために見えない何かや脅威そのものに神性を見出す営みって人類史において普遍的なものだし、それで救われる魂があるならそれでいいのかもしれない。あるときには信じられないほど賢く、またあるときには信じられないほど愚かな悪魔が、絶対にいないとも限らないのだし