どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

思わぬところで清濁併せ呑む素敵な主婦に出会ってしまった

こんばんは。さやかです。

これは完全に偏見なのですが、おそらく私の書く長文ブログを毎回最後の「おやすみなさい」まで読めるほど活字が好きな皆さんは、本を読むのも好きなはずです。そうに決まっています。そこで気になったのが、普段どんな媒体で、どんな出会い方をした本を読むことが多いのかしら、ということです。

人から何かを聞き出したいときにはまず自分から、というわけで先に私の話をすると、私は本を基本的には紙媒体で読みます。それも、書店や図書館で出会い頭に何となく惹かれたものが多いです。購入まで至らなかった本でも、目に止まる本のタイトルや帯の謳い文句はそれ自身が私の、自分でもわかっていなかった興味・関心を掘り起こしてくれることが多く、本の多い場所はブログのネタ探しにも最適だと思っています。私は仕事の帰りに本屋さんに立ち寄り、ふと我にかえると一時間以上経っていたなんてこともザラにあって。以前はそれを「パッと選んでパッと帰っていれば今日1冊読み終わることができたかもしれないのに!」と反省してしまうこともあったのですが、最近は「いま売れている、あるいは書店が売りたいのはどんな本か」「広く関心を集めている内容は何か」ということが見えてくる本屋歩きという緩く広いインプットにも意味があるように思えてきたので良しとしています。

ネットで誰かが紹介している本もわりと読んでみる方です。自分にハマるかどうかは別として、本をたくさん読んできたと思われる方の「おすすめ」のハズレのなさはすごいなと日々思っていますし、自分と本の好みが似ている人を見つけておくと、読みたかった本・読みやすい本に出会うのがかなりイージーになりますね。私はツイッターでフォローしている方だと、トマルさん(@maru_maru_ir)のチョイスはいつも参考にしています。

 

さて本題に入りますが、映画の宣伝などによくある「予想外の結末」という陳腐な表現。使い古されすぎて、こう謳われた物語の展開は大抵予想の範疇に収まっているような印象があります。でも物語ではない学術書のような書籍は逆に「予想外の結論」という予告無しに予想の斜め上をいく着地の仕方を見せてくれることがあって。実は今回ご紹介したい本も、タイトルや読み進めていく間の話の流れからは結びの想像ができなくて、それも含め面白いなと思ったのでした。

戦争がつくった現代の食卓-軍と加工食品の知られざる関係

「戦争」「軍」「加工食品」「知られざる関係」……どうですか、これらをキーワード的に拾うと、どうしても加工食品のイメージは下がりそうではありませんか?私は、加工食品は軍隊のために作られるところからスタートしているからできるなら食べない方が良いとか、その加工食品がいかに私達の食卓を侵してきているのかを警告するような結びが導かれるのではないかと思って読み始めました。

さんざん加工されて密封された手軽な食品を私たちが子供に持たせて学校へ送り出すのは、消費者のあわただしい生活に目をつけた大企業が、かわいい我が子に何か食べられるものを持たせれば安心できるという親心につけ込んだ商品をつくり出したから(というだけ)ではない。

(中略)

子どもの弁当が健康的でなく、新鮮でもなく、環境に優しくもないのは、それが本来は子ども向けではなく兵士用につくられたものだからである。

序盤は加工食品をふんだんに使って用意される子どものお弁当に関して、明らかに批判的な表現が続きます。

そして本書はアメリカの本なので、軍というのはもちろん米軍のことを指していて。米国の食料市場における過去・現在の米軍の立ち位置というか、存在感の大きさなどにも触れながら話は進みます。

軍全体で一週間に消費される食料品の必要量を満たそうとすれば、主要農作物の産地から作物がごっそりなくなり、全国の食料品店の棚も空っぽになり、多数の製パン会社を何か月も動員する必要があるかもしれない。軍はいわばアメリカの風景を消費する巨大な口であり、購買品について大幅な値引きを要求しているとはいえ、それでもなお2011年の1年間だけで38億ドルを支出しており、アメリカで群を抜いて最大の食品購買者となっている。

個人的には帝国主義と食の歴史的な関係について述べられる章で、若干唐突に出てきた完全菜食主義の批判も印象に残りました。

完全菜食主義の食事を批判すべき論拠があったとすれば、それはアステカ帝国である。旧石器時代までに、メソアメリカ地域原産の大型草食動物はすべて狩り尽くされて絶滅していた。

(中略)

そんなわけで、タンパク質に飢えたアステカ人が、メキシコ盆地に居座り続ける大型の哺乳類、すなわち人間に目をつけたのも当然かもしれない。

他の帝国主義者と違ってアステカ人は土地や権力といった所謂戦利品に興味を示さなかったといいます。それは彼らが戦争をする際に最も欲していたのが、敵兵の身体自体、もっと言葉を選ばずにはっきり言うなれば「新鮮な人間の肉」であったからだと。話が単純にグロかったというのもあるんですが、菜食主義と言われるとどうしても昨今の一部のヴィーガンの方々の過激な奇行と結びつけて考えてしまうところが無きにしもあらず……。

 

さて話を戻します。本書は上記のように食の世界史を辿ったり米軍と米国の食文化の関係性をさらったり、工業化されたスーパーの袋入りパンを「非老化性パン様食品」と呼んだりしながら進んでいくのです。「非老化性パン様食品」どう見ても批判的な名前ですよね。ああ、やっぱりこの著者はナチュラル至上主義で「#丁寧な暮らし」をする民なのだなと思っていたら、最後の最後でこうなるのです。

本書の執筆を通じて、私は変わった。むきになって料理を手作りするのをやめた。工場で製造された食品―そしてその延長として、そのような食品の設計や製造にかかわる人たち―が本質的に邪悪だと思わなくなった。

やはり良くは思っていない人だったのですよね。「本質的に邪悪」とは凄い言い方だけれど、そこまで工業化された食品を悪だと思っていた人がなぜそれらに対する態度を軟化させ「テイクアウトやインスタント食品に対して寛容になった」と言うまで評価を変えたのかといえば、それは彼女の生活が「バランスを失っているから」。以前は家族のために時間をかけて一から「食材を切って炒めて食卓に出すという儀式」をすると心が落ち着いていた彼女も、執筆の仕事を抱えて時間に追われるようになると「にわかに典型的なワーキングマザーの抱えるジレンマに以前よりも共感するように」なり、夕食の支度に手を抜くことで「大いにせいせいした」といいます。

もちろん話はそう単純なことばかりではなくて、加工食品のおかげで現代を生きる私たちは料理という仕事からの自由を手にすることができる一方で、工業生産される食品のほとんどは糖分や塩分や脂肪分が多くて繊維やビタミンやミネラルが少ないという不健康なものであったり、安定性と長期保存性を実現するために入っている添加物の成分の多くは、摂取し続けた場合の長期的な影響に関する研究が不十分であったりするという問題も指摘されています。

私たちは巨大な公衆衛生実験に参加しているようなものだ。(中期)私たちはこの実験のモルモットなのだ。

著者もこのように述べていて、米軍による食品に関する技術研究を調査し、よく知ったことで関係者に敬意を払うようになったとはいえ、やはり懸念要素は少なくないという考え方は変わっていないようです。

でも無知なまま漠然と添加物に恐怖を抱いたり思考停止でシャットアウトするのではなくて、よく調べてみた結果として、生活においては加工食品を取り入れて料理の手を抜くことに快感をおぼえるようになって、他の優先事項のためにはいかに手早くテーブルに料理を出せるかも考えるようになっていて、その清濁併せ呑むというか、ダイナミックな柔軟さがすごくいいなあと思いました。米軍がその方向性の大部分を定めているアメリカの食品科学産業は邪悪だ、という結論で終わる本なのではないかと思って読み始めた本でしたが、著者の興味と生活に即したもっと広く柔らかい内容で、良い意味で予想を裏切られました。

 

本書の著者が生活の変化と自身の調査結果から加工食品への態度を軟化させたり、あと名前をド忘れして具体的には述べられないのですが、主義が対立して犬猿の仲にあった芸術家同士が実際に会ってお互いの芸術論を語り合った結果、認め合うようになったり……みたいな話が私は大好きで。それは、自分が正しいと信じてきたものとか価値があると信じてきた何かに対して、実は思っていたほどの意味とか優位性は無かったということを認めるのってなかなかに力の要ることだと思うからです。その信念が強固であればあるほど、そこに費やしてきた時間が長ければ長いほど。だからこそそれを鮮やかにやってのける人を前にすると眩しくて仕方ないし、まさかその感覚をこの本から得られるとは思っていなかったので嬉しい驚きに抱かれながらご紹介してきたというわけです。興味を持たれた方はぜひ読んでみてください。

戦争がつくった現代の食卓-軍と加工食品の知られざる関係

戦争がつくった現代の食卓-軍と加工食品の知られざる関係

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。普段どんな風に読む本を選んでいるのか、それは電子書籍なのか紙なのか、良かったら教えてください〜!

それではおやすみなさいませ。さやかでした。