どんな言葉で君を愛せば、

22歳新卒、OL人生のスタート

映画「アイネクライネナハトムジーク」を見ました

こんばんは。さやかです。今夜は金曜日に見てきた映画の話をしようと思います。まず最初に断っておきますが、本記事はネタバレをするつもりで書くわけではないにせよ、何がネタバレになってしまうかは人によると思うので、映画「アイネクライネナハトムジーク」を見ていない方で、これから見る可能性のある方はブラウザバック推奨です。よろしくお願い致します。

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思い立ったが吉日

さて、映画を映画館で見るのは5月に『愛がなんだ』を見て以来でした。それから今日に至るまで見たかった映画は数多くあり、中でも推しである深川麻衣ちゃんの出演作『空母いぶき』と、人に薦められて見ようと思っていた『アルキメデスの大戦』との2つは見る日まで決めていたのに結局行けずに上映期間が終わってしまった為、印象に残っています。どちらもAmazonで買えるようになったらすぐに見るつもりです……悔しい。

私の中では映画に対する興味には結構明確にレイヤーがあって、予告とか告知を見て気になったあと、その興味は自動的に来年にはAmazonで見られるようになるしたぶん地上波でも公開されるだろうという篩にかけられ、それでも今映画館でお金を払って見たいと思ったときに初めて上映している劇場や時間を調べます。その篩というかハードルを飛び越える要因はいくつかありますが、好きな俳優が舞台挨拶に選抜されるような役で出演しているとか、自分がある種の尊敬を感じている人が絶賛していたり私に薦めてくれたりしたという場合が多いような気がします。

それにしても映画って、しばらく上映してるわけだしいつでも見に行けるよねと思っている間に勝手に上映期間が終了していることが多すぎませんか?有効期限1か月だしのんびり考えよう~と思っていたバカみたいにお得なクーポンと同じくらい勝手に期限切れになっているような気がするのですが。いい加減にしろ。これはもちろん、映画を見たりポイントを使ったりするのを先送りにするのはいい加減やめにしろという自戒です。

私は人のオススメを受けて「絶対見ます!」とか「試してみます!」とか言っておきながら実行に移さない人があまり好きではなくて、「さやかちゃん肌綺麗!使ってる化粧品教えて!」と尋ねてくるから愛用品を答えたら「え……高級品使ってる自慢ですか?」と返して来るようなイカれた女と変わらないと思っています。いや、それはさすがに言い過ぎたけれど、人に質問したりツイッターで情報収集アカウントなるものを作ったりしておきながらそこで得た情報をもとに行動を起こせない人って、手段が目的になってしまっているというか、情報に触れていることに自己満足して終わってしまう人なんだなと思ってしまうというか。

無論これは、私が薦めた本を読んでみないヤツは馬鹿だと言っているわけではありません。矛盾するように聞こえるかもしれませんが、私がこのブログやツイッターで自分が良いと思ったものを紹介して、それを読んだ人が実際にその本とか映画を見るかどうかということはあまり気にならないのです。それは「この間書いてたあれ読んだよ!」とか「同じ分野でもう少し専門的な内容の本があれば教えて」と言われたらそれ以上に嬉しいことはないけれど、この文章は特定の誰かのために時間を作って考えているというわけではないので、読んでくれた人のアンテナに触れるかどうかはわからないし。

長々と書いてきましたがつまり、私は情報を得て感化されたときにそれを実行に移す機動力とか体力がない他人が嫌いというよりは、自分がそういう状態で在りたくはないなと思っているというだけのことです。『空母いぶき』と『アルキメデスの大戦』は私にとって映画館で見るという行動に移すべきだと思った作品だったので、それができなかったことを反省し、見ようと思った時に即刻チケットを予約したのが『アイネクライネナハトムジーク』だったのでした。

Eine kleine Nachtmusik

アイネ(或る)クライネ(小さな)ナハト(夜の)ムジーク(曲)。ドイツ語です。英語にするとa little night musicとかになるのかしら。映画の原作は伊坂幸太郎の同名小説ですが、文脈なしにアイネクライネナハトムジークと言われれば多くの人が思い浮かべるのはモーツァルトのセレナード第13番ト長調だと思います。ちなみに米津玄師の名曲アイネクライネは日本語にすると「或る小さな」なので、「どんな言葉で君を愛せば、」と読点で終わっているこのブログのタイトルと同じようにその後に続く言葉を読み手に委ねるつくりになっています。

もう2000字近く前置きを話してきてしまったのでそろそろ本題に入りますが、私が映画『アイネクライネナハトムジーク』を見た理由は、最推し俳優・三浦春馬くん主演の映画が「映画は見たいと思った時に見ないとダメだ」と強く思っていたタイミングで公開されたからであり、感想を簡潔に述べるなら「人生におけるタイミングの重要性を再確認した」、これに尽きます。

タイミングの重要性というか、自分の人生で何が起きるか、どんな結果を得られるかということにおける時機が占める割合の重さに希望と絶望を感じました。『アイネクライネナハトムジーク』は『愛がなんだ』と同じ今泉力哉監督の作品ですが、私は監督のファンというわけではなく、どちらにも自分の好きな俳優がキャスティングされていたというだけの偶然です。人物の描写が薄味であまり没入感が無いのは今泉監督作品の仕様なのか『アイネクライネナハトムジーク』の原作が短編集だからなのかは2作品しか見ていない私には判断できませんが、とにかく強い情動を誘う映画ではありませんでした。これだけ登場人物がいて誰一人として自己投影できる対象がないのも珍しいなと若干冷めた思いで見つつも、終わって全体を振り返ってみると「ああ、あるよねこういうこと」と頷いてしまったり、「星の数ほどのこういう偶然のタイミングが重なって今の私があるし、これからの人生もそうやってつくられていくのだよな」としみじみ思ったり。

私はどうしても劇的な人生に憧れてしまうところがあって、それは毎日を会社と自宅(とジム)の往復だけ、しかも会社での仕事をそれほど負荷にも感じていない、という快適で健全で単調な暮らしをコンプレックスに感じることと直結しています。辛くなければ頑張っていない、頑張っていない自分はダメだと思ってしまうのは体育会のノリを忘れられていないだけなのかもしれないし、それなら激務な職を選べばよかったじゃないかというセルフツッコミで毎日心をこじらせて死にそうになっているわけです。が、この映画を見て当然の如くそうして悩んでいるのは自分だけではないのだよなということ、それから他愛もないありふれた、でも同じ時間同じ場所では二度と起こり得ない出来事が積み重なって、あとから振り返ってみればそれがドラマになるのだよなということを考えて、少し肩の力が抜けたような気がします。

もし主演が三浦春馬くんではなかったら、もし私が『アルキメデスの大戦』を見逃したばかりではなかったら、おそらく見ることはなかった作品だけれど、今ここでこの作品を見たことが将来自分の身に起こる何かと意味をもって繋がるのかもしれないと思うようになりました。出会いも別れも結婚も恋愛もほぼタイミングの一言で説明がついてしまうし、「あの時に見た映画がアイネクライネナハトムジークで本当に良かった」と思えるそんないつかの夜だってきっと不意に訪れるのだろうけれど、その偶然は必ず私が語るに足らないほどの日常を積み重ねた上にあるのだろうなと。そういう意味で、見て良かった作品だなと思います。

可視化されない過程について

随分懐かしいツイートを思い出したので引用してみますが、このブログを始める前、去年の冬に私はこんなことを考えていました。当時は大学生だったので、上司というのはインターン先でお世話になった社会人の方です。

ツイートの文脈は忘れてしまいましたが、当時は私がネットで知った憧れの人に会いに行って、そこで言われるがままにさやかというアカウントをつくったことを指してすごい行動力だと言ってくれた人が多かったように思います。実際にはその人に会ってみたいと思いながらそれを申し出る勇気はないという無行動の期間が1年以上あったり、そのオフ会の企画にも応募していいものかどうかで悩んだりといった紆余曲折があって、私は常にそういった過程を踏まえて自分は優柔不断なのだと思っていたわけですが、そんな私しか知らない過程は外から見たら無いのと同じなので、私の印象が「会いたいと思った人にはすぐに会いに行くすごい子」になるのですよね。

またもや古いツイートを掘り起こしますが、仲の良い友人にもこんなことを言われました。

私は大学生の時によく旅行をしていたのですが、たとえば一人で飛行機のチケットと宿だけは予約して北海道に行ってきたというインスタの投稿を上げると友人から「一人で!?急に北海道!?」と驚かれるのです。でも私がはじめて北海道に行ってみたいと思ったのは小学生の時で、そこから実際に海を渡って降り立つまでに10年以上かかってしまったわけで、とてもじゃないけれど興味を持って即行動に移せる人間だというエピソードにはなりません。

人から見れば無いのと同じというのはだから無意味だということではなくて、多分そこで大切になってくるのは想像力なんだろうなと思うのです。つまり、劇的なことは何も起こらないけれど毎日それなりに仕事をして生活している日常とか、自分なりの結論を出す前の思考って語る機会も語られる機会も基本的にはあまり無くて、自分のそういう紆余曲折は見えるけれど、何か行動を起こしたり大きな成果を収めたりする他者のそれは見えにくい、見えにくいけれど確実に在るのだということを忘れないようにしたいなと。人のことは表面しか見えないし、自分も人には可視化された言動でしか判断されないということを意識して行動しつつ、自分が誰か自身やその人の成した成果を見る時にはその見えない過程の部分にも思いを馳せられる人でありたいなと改めて思いました。

また映画の感想を書くはずの回が壮大な自分語りになってしまいました。想像力と同時にレビュー力もつけたい今日この頃です。せっかく始めにネタバレ注意と書いたので最後に少しだけ具体的な内容に触れてみますが、最近までドラマ『TWO WEEKS』で逃走していた春馬くんが彼女を追いかけて走り回るシーンは見ものでした。それから、主人公のプロポーズ(失敗)のシチュエーションは結構私の理想です。昔付き合っていた人に夜景の見えるお洒落なレストランで結婚したいと切り出されたのも良かったけれど、どちらかというと今は何でもない日に何でもないことのように「そろそろする?」「何を?」「結婚」と言われたいというか、そういう会話が延長線上にある日々に憧れます。まずは彼氏をつくるところからですね……ははっ……

おやすみなさい。また一週間頑張りましょう。さやかでした。

アイネクライネナハトムジーク (幻冬舎文庫)

映画『アイネクライネナハトムジーク』公式サイト