どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

じぶん・この面倒な存在

こんばんは。さやかです。今日も自分語りというか、自分で自分の思考を整理する目的で下書きも構成案も無く書き殴っていくポエムになる予定でして、読んでくださる方にどんな価値を提供することができるのか全くわからず不安です。

さて私は自分自身を本当に面倒くさい性格の人間であると思っているのですけれど、改めてそのことを強く確信する出来事があったので「じぶん・この面倒な存在」というタイトルでブログを書いてみることにしました。お分かりだとは思いますが、鷲田清一さんの『じぶん・この不思議な存在』のパクリです。確か中学生の時に国語の教科書で読みました。

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

 

どんなときに私って面倒くさいなあと思ったかというと、自己矛盾が多すぎると感じた瞬間です。それはたとえばどんな矛盾かといえば「自分が誰かの中で優先度1位の対象であることを夢見るくせに、いざそういう状況になってみるとそのプレッシャーに耐えられずに1位を譲ってしまい、しかも後から微妙にそれを後悔する」というもので、我ながらバカみたいだなあという話なのですけれど。もう少し具体的に書くと状況はこうです。

①好きな人と会う日程が決まった

②後日「他の予定が入りそうだから日程を変えられないか」と相談された

③結果的に彼が私の都合を優先してくれた

④私は彼が私を優先したことに罪悪感を覚え遠慮した

⑤私が遠慮したので日程を変えることになった

⑥優先されたときに素直に喜べなかったことを後悔している←今ココ

……我ながらどうかしている、と思うのは特に④の行動です。自分が誰かの中で優先順位が高い状態は普通に考えれば幸せだし、それが好きな人なら尚更なはず。それをわざわざ「本当にそれでいいの?私はいつでもいいよ」という言葉で遠ざけて、自分じゃない誰かを優先させた上で結局少し寂しさを覚える。行動と感情が一致していなさすぎて、本当にどうかしているとしか言いようがありません。

ただ昨年頃の私にとっては、当時好きだった人と、相手にとって都合がいいときにしか会えないのが当たり前でした。いつもいつもこちらの都合なんて聞かれず相手が会いたいときにだけ会っていたし、それに関して疑問を感じる余裕すら私にはなかったのです。そんな事情もあり、最近になって大好きな先輩から「君の都合に合わせて調整するから」などとLINEで言われた日にはそれだけで泣きたいほど嬉しくなってしまいました。泣きたいほど嬉しかったというか、何気なく送られたその文面を見て実際に泣いた自分にドン引きしました。先輩は画面越しにそれを知る由もないし、エピソードとしてあまりにも重いので話す気はさらさらないのですけれど。

とにかく私は、たかが日程を決めること一つとってもこんなに自分を好きになったり嫌いになったりしてしまう、面倒くさい自分のことがやっぱり嫌いです。どうして私はこんなにも面倒くさいのでしょう。誰かを好きになってしまった途端に私は、自分の価値がまったくわからなくなってしまうのです。なぜ自分が優先されたときにプレッシャーを感じてしまうかといえば、自分が相手に他の人との予定を断らせるだけの価値を提供できないと思ってしまうからなのだと思います。そして価値を提供できないことに対して負い目を感じるのは、きっと私自身が一緒に時間を過ごす相手に対して何らかの価値を求めているからに他なりません。

相手が自分を何かより優先しようとしていることがわかると、その相手が断る何か以上に自分が相手に提供できるものがあるかどうかを考えてしまい、その間ずっとプレッシャーを感じているくらいなら最初から自分を優先してもらわない方がスッキリすると思って断ってしまいます。でも結局「女の子はワガママなくらいで丁度良い」とか「自分を大事にしてくれる男と付き合う方が幸せだ」とか、そういう外的な指標を自分に内面化してしまっている節もあるので、相手の中での自分の優先順位をあえて下げるという自分の行動がその指針から逸脱したものとなることによる別の罪悪感が生まれて。さらにそれは段々と「私だってあなたに早く会いたかったし長く一緒にいたかったし、だってそもそも私が約束してたし、」という自分でも一番認めたくない感情に繋がっていってしまって、そうなってしまうともう尚更表には出せないものになるので行き場を失ったそういう黒い気持ちは全部自分に向かってきて、余計に自分のことを嫌いになって。

一度は隠そうとした気持ちなのだから墓場まで持っていくべきなのに、好きな人が読むかもしれないこんな場所にこんなかたちで吐露してしまう自分の弱さがやっぱり嫌いだし、私はどうしようもなく面倒くさいなあと思いつつ令和元年5月1日に何とか間に合わせたいので推敲せずに投稿させていただきます。おやすみなさい。さやかでした。