どんな言葉で君を愛せば、

22歳新卒、OL人生のスタート

愛し方さえも 君の匂いがした

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人間は愚かな生き物だ。歴史は繰り返すし愚者は歴史に学ばず経験からしか学ばないし、かく言う私は愚かすぎて経験からすらも学べずに、自分が振る方でも振られる方でもお店で男の人と別れ話をしようとするたびに大好きなものを食べてそれを「別れ話をしたときに食べていたもの」にしてしまう。私の中でほかに最後の記憶と紐付いているものとしてはアップルパイやオムライスがある。去年好きだった人と一番最初に一緒に食べたのがラケルのオムライスで、最後の日も何となくオムライスを食べたくて「ラケルがいい」と言ってしまった。ラケルに始まりラケルに終わった恋だったと気づいたのはすべてが終わった帰り道だった。

アップルパイ、オムライス、どれも私の大好きな食べ物で、どれも一度はあまり思い出したくはない記憶と結びついてしまったものだ。そして先日、そこにフルーツタルトが加わった。初めての一人旅で神戸に行って食べた日から、私の中ではフルーツタルトの王様になっているア・ラ・カンパーニュのタルト・メリメロ。大好きなのに、しばらくは見たくないものになった。勝手になったわけではない。私が自分で、そうしてしまったのだ。

記憶と感覚とは結びつくもの

話すリズムと言葉選びの独特さが素敵だった彼は、喫煙者だった。私は最初は吐き気を催すほど苦手だったその煙草の甘い香りに少しずつ慣れ、彼を好きになってしまったあとではもうその悪臭だったものすら大好きになり、同じ銘柄を吸っている他人とすれ違うときのニオイで彼のことを思い出すようになり、そのニオイを纏う人に嫌悪感を感じるどころか親近感すら覚えるようになった。

知覚に対する反応が書き換えられたのである。無意識下で私は条件付けを行っていた。本来全く関係がなかった煙草のニオイと好きな人に会えたときの高揚感や胸がキュっとなる心理的な反応とを、いつの間にか自然に結びつけて、そのニオイに街中で出会うたびに私は彼を思い出して泣きたくなった。嗅覚から記憶を刺激される状態を作ってしまったのだ。

欅坂46の「アンビバレント」や「危なっかしい計画」を聴けば彼を思い出すし、一生思い出すと思うとか言ってみるけれど、それは永遠かと言われれば全くそんなことはなくて。数年後には確実に「あ〜そんなこともあった…かな?確かにオタクに恋をしていた時期があったようななかったような」と言っている。私にはわかる。だって今ですら一時期はあんなに敏感だった煙草の匂いにはもうすっかり疎く、道ですれ違うくらいで相手の煙草臭を嗅ぎ分けてわざわざ彼を思い出すことはない。オムライスを食べても思い出すのは彼じゃなくて大好きな深川麻衣ちゃんの好きな食べ物がオムライスだという事実だ。

記憶と知覚の結びつきはなぜ消えるか

調べたら「有心論」は、2016年に「君の前前前世から僕は君を探し始めたよ」と歌い再大爆発したRADWIMPSの2006年の楽曲であった。2006年って……昔じゃん。それは私も23歳になってしまうわけだわ。

私がまだ義務教育を受けていた2006年。同世代の中で、当時流行った「君と書いて恋と読んで 僕と書いて愛と読もう」というフレーズを知らない人はいないのではないかと思う。それは彼らの同じく2006年の「ふたりごと」という曲のフレーズで、実はサビですらない。全体を見てもなかなかにツッコミどころが多い曲だけれど、脱線が過ぎてしまうので気になる方はセルフで聴いてセルフでツッコんで見てほしい。

ふたりごと RADWIMPS MV - YouTube

で、2019年のキリンビールグリーンラベルのCMで、RADWIMPSのボーカル野田洋次郎が2006年の「有心論」を弾き語りした話に戻ると、不意打ちでそれを聴いた私は思わず泣いた。「誰も端っこで泣かないようにと 君は地球を丸くしたんだろう?」と歌う2006年の懐メロを聴いて、えも言われぬ感情が沸き起こった。中学生くらいまでの多感な時期に繰り返し触れた音楽は、やっぱり自分の中の深いところにある気がする。簡単には消えない。

でも逆に言えば、私はCMで「有心論」を聴くまでRADWIMPSの音楽をあまり聴かない毎日を過ごしていた。エモい気持ちのときはRADWIMPSを聴くし、RADWIMPSを聴くとエモい気持ちになる、あれだけ自分の感情とセットになっていたはずのRADWIMPSの音楽をほとんど思い出さずに生きていた。なぜか。それはひとえに、他の音楽を聴く時間が増えてラッドを聴く時間が減っていったからである。

記憶は反芻しなければ薄れていく。記憶を呼び起こす要素に触れる頻度を下げれば、後天的に獲得した記憶と知覚との結びつきは弱まっていくのだ。しばらくマルボロの匂いを嗅がなければ匂いもそれを発生させていた彼のことも思い出さなくなるし、後々その匂いに触れても自分の記憶を辿る動きは鈍くなる。彼以外の人とも渋谷のツタヤ前で待ち合わせしていけば、彼とそこで何度も待ち合わせた夏の記憶は希釈されていく。

忘れたくないことを忘れないように

忘れたいでも忘れない忘れられない。そう思うことがあるのなら、そこにある何かを忘れたくないのに忘れてしまうことを忘れないようにすることに活かすべきだと思う。何が言いたいかと言うとつまり、忘れられないことの多くは、何か特定の匂いや音などの要素と結びついて繰り返し反芻される。それを望むと望まないとに関わらず。

記憶は特定の知覚と結びつければ想起しやすくなり、そうして繰り返し反芻することによって定着して忘れにくくなるのだから、忘れたくないことを忘れないようにするためにはいかに容易に反芻、反復を繰り返せるかが肝となる。仕事のやり方を覚えたいとか、勉強したことを忘れたくないなどと思うのであれば、それを思い出すきっかけを意識してとにかくたくさん作ること。もちろん勉強やメモを取ることを習慣化してしまって、意識せずとも必ずその忘れたくない内容に触れるような日常を設計するのもひとつの手だ。

悲しいからせめて好きなものを食べて気を紛らわせようとして、別れ話をする場で好きな食べものを選ぶ行為はおすすめしない。好きな歌を聞きながらその場に向かうのも良くない。普段は絶対選ばない、嫌いなものを選択できればベストだ。忘れたいことには好きでないものを、忘れたくないことには好きなものを結びつけるのが良い。うっかり好きなものとセットにしてしまった苦い記憶だって、そのうち消えてはいくけれど。

 

愛し方さえも君の匂いがした

歩き方さえも その笑い声がした

♪ RADWIMPS / スパークル