どんな言葉で君を愛せば、

22歳新卒社会人、OL人生のスタート

クソ男に泣かされるのは私がクソ女だから?

クソ男に泣かされるのは私がクソ女だから?

なんだかツイッターの話が多くて申し訳ないのですが,今日も懲りずにツイッターを使っていて思ったことを書くつもりです。ツイッターって少し見ているだけでも雑多な情報が入ってくるので,ついいろいろと考えさせられてしまうんですよね。見なければ間違いなくストレスは軽減しますが,それはまあ面白くない気がする。ブログを書くにも人と話すにも「そういえばツイッターでさ,」という導入ばかりになってしまうと個人的には気になってきますが,私がそうなら話す相手も大抵そうだし,それだけツイッターが生活に紐付いてるということでそろそろ納得するべきかもしれない。

さて,そんな私の情報源・ツイッターでは,鍵アカウント以外で異性に限らず人間関係の愚痴を言うと,それが知らない人の目に触れる数が増えれば増えるほど「関わる人間はお前自身の質」みたいな調子でなぜか自分の身に起きたことをただ嘆いただけのこちらが叩かれるようになります。叩かれるというかクソリプがついたりクソ引用RTで言及されたりします。炎上というほど激しいものではなくても,こちらがすでに傷ついた状態で発したツイートに文脈も何もわからない外部の人間から突然平手打ちが飛んでくる現象は,まさに泣きっ面に蜂です。踏んだり蹴ったり。弱り目に祟り目。今日も「事故物件男に行き遭ってしまったことを嘆いている女は,まず自分が事故物件でないかを確認したほうがいい」という言葉を見て,胸の詰まる思いがしました。

 

いじめられるのはいじめられる側にも問題がある?

自己責任論というか,お前自身に問題があるのだという論も一理あると思います。自分が変わって解決する部分は確かにあるし,あまりにも他責的で自分が変わろうとしない人は私も好きになれません。私自身,他人の私に対する態度で自分のレベルを測ったりしますし,自分で身を置く環境を選ぶことである程度嫌な思いをすることが減らせると考えていたりもします。

また,過去にこのブログでもこんなことを書いていました。

(中略)セフレに泣かされたり,Tinderの非モテくんへの不満をこぼしたりしている方がツイッターではわかりやすくウケる一方で,そうした負の発信は人の悪意を引き寄せやすく,自分にとってプラスにならないことも実感し始めました。クソ男を叩くツイートはクソ男を叩きたい男女とクソ男を叩く人間を叩きたい人間しか呼ばないんですよ。

ここで一度話が大きくなりますが,私はこれまでの人生で基本的には人に恵まれてきたと思います。人の剥き出しの悪意に触れたり,誰かを陥れようということばかり考えている人と出会ったりすることは,ツイッター以外では全くと言っていいほど経験がありません。

その要因は,勿論ネットと違い匿名性が低いということがありつつも,私自身が選んで身を置いてきた環境が良かったことにもあると思っています。であれば,ツイッターもできるだけ居心地の良い場所に自分で寄せていくべきだろうと。こんな素敵な人と関わりたいな,こんな人たちに囲まれていたいなと思えるような人物像にまずは自分を近づけることが一番だと思いました。

もはや前置きとかそういう次元ではない。 - どんな言葉で君を愛せば、

でもこれって強者の論理というか,原則であってすべてではないというか。ツイッターで140字で語られた前後の文脈もわからない一事実を全てこの「クソ男に悩むのはお前がその程度の女だから」という論に落とし込んで,それを本人にぶつけるっていうのはあまりにも乱暴ではないかと思うわけです。「関わる相手のレベルがお前のレベル」という言い方だとまあ確かに…それはそうだな…と思いますが,たとえば「いじめにはいじめられる側にも原因がある」という話になれば,違和感を覚える方もいるのでは?

ラーメン屋に行くような女だから結婚できないわけではないだろうし,多分ラーメン屋に行けるような女だから結婚できるというわけでもないでしょう。私も好きな人と付き合えなかった時にはすべて自分に原因を求めて「私がもっと可愛かったら」とか「私があのとき◯◯していれば」とか何でも自分を責めるように考えてしまうし,それは就活で行きたかった会社に内定を貰えなかったときも同じでしたが,相手がいることに関して自分にすべての原因があることは滅多にないはずなのです。

だからこそ就活に関しては,就活はマッチングだからと落ちた人を擁護する論調も出てくるのですよね。あなたの能力が低かったとは限らないとか,採用側にも都合があってやむを得ず不採用にされた可能性も高いから,落ちた会社に落ちた理由を聞くよりは受かった会社に受かった理由を聞く方が良いとか。就活は恋愛(婚活)と似ているとかいうことをいう人も,選考落ち勢を擁護する人もたくさんいるはずなのに,そこで似ているとされている恋愛とか人間関係の話になると急に「お前が悪い!」になるのはどうしてなのでしょう。

 

時に行き過ぎる自責論

140字程度で説明できることなんて限られているし,何かを嘆いている人を見てその原因がどこにあるかなんて部外者がパッと見ただけで理解できるわけがないと思うし,またその必要もないと思っています。またツイッターに限らずブログで何文字もかけて説明したところで,私のような匿名アカウントの場合は身バレを防ぐために様々な情報を隠して話す必要があるわけで,結局傍から見て問題の要因を正確に分析することができるわけがないのです。

愚痴を見て一般論にあてはめて分析するのも,男の愚痴を吐く女を見てレベルが低いと見下すのも勝手だけれど,それを本人にぶつけるのはあまりにも乱暴で失礼ではありませんか。

ツイッターならミュートすれば良いとお思いかもしれませんが(確かに私はあまりにも失礼な人間はミュートしますが),「関わる人間のレベルがお前のレベル」論にあてはめれば「クソリプがつくのはお前がその程度のレベルにいるから」ということになりませんか?私はそうやって「クソリプをもらうレベルの人間に見られる」ことが嫌なので,クソリプがついたツイートは多少拡散されて伸びていても削除したことがあります。

でもよく考えれば,どんなにツイッターで良くブランディングしたって,大きな影響力を持ってツイッターアカウントとしての格を上げたって,クソリプはつきますよね。むしろツイートが多くの人の目に触れるようになればなるほどクソリプは増えます。大拡散されたツイートのリプ欄を見ればすぐにわかると思うのですが,大抵そこは地獄です。

つまり,自分のレベルを上げれば完全に嫌な思いをすることが無くせるかといえばそんなことはありません。見ず知らずの人間の泣きっ面に突然平手打ちをキメてくるような人は,特にネットにはたくさんいます。でも私の中には自責論もあって「クソ男に泣くのはお前がクソ女だから」というクソリプは無視したくても胸に刺さってしまうし,「愚痴を言うことは自分がその程度の人間であることを晒すこと」だとか「関わった男を悪く言うことは自分の格を下げること」だと言われれば黙るしかなくなってしまう。

自分の身に降り掛かったことをツイッターでネタにしていいねを集めて,それでやっと飲み込めるくらいの大きさになる感情もあるんですよ。それを赤の他人にいきなり針のような言葉でチクリと刺されたりとか,お前が低レベルで弱いからそんなことが起こるんだと叩かれたりとか,そんなの辛すぎるじゃないですか。

理解してくれとは思いません。ただ,ただ放っておいてくれればいいのに。これは前から思っていたことでしたが,以下の婚活中の女性の一連のツイートを見ていて本当に悲しくなったので,このタイミングでブログに書きました。

本当はこんなに長々と書いてきたので解決策を提示して終わりたいところですが,どうしたらツイッターで自分のことを打ち明けて共感を得ながらクソリプは見なくて済むように匿名アカウントを運用できるのか,私にはわかりません。クソリプと引用リツイートによる説教が嫌いだということ,自責論は行き過ぎると問題だと思うということしか言えなくてごめんなさい。

今夜も酷い言葉を浴びせられている善き人たちが,どうか嫌なことを忘れてゆっくり眠れますように。おやすみなさい。さやかでした。