フォローしているインスタグラマーの質問コーナーに「20年前の元彼が忘れられない」という相談が寄せられていた。回答は「無理に忘れる必要はなく大事な存在として自分の中にしまっておけばいい」というアドバイスで、それはとても正しいし、それ以外言えないよなとも思う
ただ、正直なところ、20年前の元彼が忘れられない人が忘れられてないのは20年前の元彼じゃないよなあと、ちらっと思ってしまったのは事実だ。だって2年前に付き合っていた元彼のことをよく思い出している私が思っている元彼ですら、もう既に2年前に付き合っていた元彼ではないのだから。2年前ですら、況や20年前の元彼をや、と
今書いていることは本当に、自分以外の誰をチクチクしたいわけでもない。シンプルに羨ましくて仕方ないのだ。元彼が忘れられないと言い切れることが
私がよくツイートしていた「元彼」は、厳密に言うと2年前に付き合っていた「元彼の前の彼氏」で、もっと正確に言えば「元彼の前の彼氏の顔をした、元彼の前の彼氏に関する記憶を美化して抽象化して寄せ集めた何か」だ。実在しない。きれいなモトカレ
(『ドラえもん』「きこりの泉」より)
未練があるわけじゃない。未練ってちゃんと相手のことを覚えていないとタラタラできないはず
でも好きだなと思った瞬間も、引くほど嫌だった行為も、今思えば私が酷すぎたなって場面も、不意に思い出すことはある。生理だから会えないよって私が言った日に「いつも身体目当てなの?」って茶化して会いたがってくれたのは嬉しかったなとか。何かと試されてばかりでうんざりしてたなとか。黙って迎えに来た彼を私が部屋に上げたくなさすぎて外で待たせたこととか、私の友達を紹介してほしいって言われたのに無理って即答したこととか、あったなって
私の言うこういう人が好き〜は全部元彼の要素ですが、そうだな 一番好きだったのは 落ち込んでるとき「あなたのこと本当に賢いと思ってる」「胸を張りなさい」て真っ直ぐ言ってくれるようなところだったと思います#マシュマロを投げ合おうhttps://t.co/365u4OVIlt pic.twitter.com/xsoYBq41wg
— おんせん (@oyasumitte) 2021年5月18日
そういう記憶のパーツひとつひとつが、そんなに美化されているとは思えない。自分がひどい人間だった記憶なんかは特に鮮明すぎて頭を抱えたくなる。でもそれを積み上げた結果の、一人の人としての元彼像は、やっぱり元彼の前の彼氏の顔をした、元彼の前の彼氏に関する記憶を美化して抽象化して寄せ集めた何かだよなと思ってしまう
何の話だっけ
何の話だったかわからないけれど、とりあえず私の言う元彼は元々彼であって全然元々彼ではなく、私は元々彼のことを覚えていないとも忘れられないとも言えない。復縁なんて無い事も、自分からはLINEも送れない状況を作った自分が一番よくわかっている。しかも元々彼がいない今の自分は全然不幸でなく、付き合っていた頃より確実に幸せだ。それなのに「元彼が忘れられない」と確信をもって言い切れる人を眩しく見てしまう私は、お前は、どうしたいのでしょうね
ひとつ言えるのは、ツイートする「元彼へ」には「みんなたちへ」とまったく同じ意味しかないということです
元彼へ 今日も月が綺麗です 幸せでいてください