どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

おしまいになりたいって何?と笑われた夜に戻りたい

24歳くらいで死にたいとずっと思っていた。

先月、わたしは24歳になった。これからどれほど楽しいことがあるとしても、今みたいな日々も同じように続くなら、やっぱりもうおしまいにしてしまいたいなと思う

 

一方で、22まで私に何不自由ない暮らしをさせ、何の借金も負わさず大学まで卒業させてくれた親よりも先に死ぬの?今2人に何かあったら、まだ高校生の妹はどうするの?ということを考え出すとどうしようもなくなってしまう

 

実際のところ、まだ祖父母は存命だし両親の兄弟家族とも関係は良好。両親に万が一のことがあってそのときに私がいなくても、弟や妹のことはどうにでもなるのだろう。逆に私がいれば妹に満足な学生生活を送らせてあげられるかと考えると現実的には厳しい

 

じゃあ私は、一体何のために生きているのだろう。ひとりだとそれがわからなくなってしまうから、私は結婚したいのかもしれない

 


そういえば、幼い子どもを残して母親が自ら命を絶ったニュースを見ると、「子どもがいるのに」と多くの人が思うらしい。もちろん産後に辛い思いを経験された方をはじめ、幼い子どもがいる状況は女性が精神的に追い詰められやすいことを知っていて「とても母親が無責任だなどとは言えない」と反応している人も見かけたし、皆がそうだとは言わない。

でも「子どもを生む/育てることは、親自身の生きがいになる」というのは、何となく皆が共有している感覚ではないかと思うのだ

 

しかしその裏で、幼い娘をもつ母親と思われる方が描いた「ずっと死にたかった私が子どもを生んだら死ねないと思うようになった」という趣旨の漫画が、一部の心ない人たちのおもちゃになっているのも見てきた。

緊急事態宣言下にツイッターで話題になったその漫画は、「若い頃、漠然とずっと私は死にたかった」という独特な語順の一文に始まる。そして彼女が28歳で結婚、29歳〜30歳で出産したことが描かれ、あどけない娘の笑顔を見て「(コロナウイルスに感染して)死ねない…まだ死ねない」「1日も早く収束しますように」という結びで終わっていた。投稿ツイートをご本人が削除されているので画像は載せないでおく

 

子どもを生んだら責任を持って育てるべきという感覚と、子どもを生み育てる中で親としての責任と生きがいを感じるようになること、結果的には矛盾しないはずなのに、前者の感覚をもっていると思われる人が「子どもが生きがいになった人」に対して何か言いたくなるのはどうしてなのだろう。

後者の隙は順番?

 

結婚して妊娠した女性も、妊娠して結婚した女性も、結果として母になっているだけ未婚子無しの私よりえらい。えらいと私は思う。

順番なんてどっちでもいいじゃない?生んでから母親として生きる覚悟を決めても、覚悟を決めてから生んでも。付き合ってから関係を持っても、関係を持ってから付き合っても

 

 

でも関係を持ってから付き合うパターンばかりでそれが結婚に繋がっていないわたしは、やっぱりもっと順番を重んじるべきなのかもしれない。そう思って時には慎重になってみるけれど、結局話し合いだけでその相手のことを元恋人よりも好きになるなんて無理で、諦めて寝技に持ち込んで自分の気分を高めて付き合って、そうやって築き始めた関係も今また終わりそうで死にたくて、わたしは一体何をしているのでしょうか

 

お前はどうしたいの?わかりません

 

 

去年の冬、死にたいをおしまいになりたいと言い換えていた私のアカウントを特定して「おしまいになりたいって何?」と笑ってきた元彼のこと、その夜は確かに好きだった。付き合い始めたときに好きではなかった人のことを付き合ってから好きになれたのは、自分の中でその順番が逆になったのは、彼が初めてだった

 

夏には友達になりたいと言われて、友達になりたいって何だよと思っていたのにいつのまにか本当に良い友達になってしまった。これも順番が逆。友人から恋人になるのではなく、友人であった期間がない恋人が友人になった。私は何もしていないので、偏に傷心中の私を「美味しいものたべよ!」と誘い出してくれた先輩や友人のおかげだ

 

新しくできた友人は数年後に結婚するつもりらしいから、このまま友人関係に身を置き続けるのであればいつかそれを祝うことになる。自分がまだ独身でも。そんな懐深い振る舞いが私にできるかしら。でもその未来を怖れて今のうちに縁を切るほど私は強くないし、ああもう、やっぱり、おしまいになりたい

 

お前はどうしたいの?

好きな人と結婚したいです