どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

別に、特別落ち込んでいるからこんなことを考えているわけではなく、

24歳で死にたい、とずっと思ってきた。

24という数字には大した意味はなくて、漠然と遠いような近いような、よくわからないけれど若いうちに死ぬといえば24くらいかな、と思っていた。もしかしたらクリスマスケーキ理論に影響されたのかもしれない。そして、来月で私は23になる。24とは言わず22で死んでしまいたい、とこの1年間も時折考えていたのに、ついに23まで生きようとしている。なんだかなあ。

私が初めて死にたいと思ったのは13歳の夏で、理由は今思えば取るに足らないけれど当時の私にとっては世界のすべてに思われたものだった。べつにクラスでいじめられていたとかでもない。端的に言ってしまえば、部活の顧問との相性が良くなかった。試合に出られない先輩にいじめられつつ、一緒に試合に出て勝てなかった先輩たちにいじめられつつ、それでも下級生だった私が勝ち取ったスタメンの座を、その人は自分が気に入られたい他の部員のために譲れと言った。私に拒否権などないことがわかりながら「いいよな?」と半笑いで言われた瞬間のことは今でも忘れないし、私はあの人のことを絶対に教員だとか先生だなんて言葉で呼びたくはない。

話が脱線してしまったけれど、それこそ血の滲むような努力も大人の匙加減ひとつで泡と消えてしまうのだと大袈裟に絶望した私は、そのことをきっかけに部活の時間が苦痛でしかなくなった。球技だったのだけれど、ボールが怖くてたまらなくなった。身体が竦み、顔を背けてしまい、ミスをしてはまた怒られた。怒られるだけなら良かったのだが、中学の体育会の顧問なんて人間よりも鬼に近い存在なので、動けずにいる私の身体に容赦なくボールを当ててきた。

私は部活ノイローゼのような状態になっていたのだと思う。逃げ出すこともできなかった。当時の私は学級委員をしていて、いじめられている子とも田舎の中学を仕切るギャルともそれなりに仲良くしていて、部活ではレギュラーを張りながら次期部長に指名されていて、なんというかつまり、自分で言うのもアレだけれど、典型的な「いい子」だった。両親は私をひどく甘やかすこともしなかったけれど、私がそういう子どもであることを喜ばしく思ってくれていたと感じるし、実際に学校の行事で親から子どもへ手紙を送るという企画があったとき、そこにもそう書かれていた。あなたのことを誇りに思っている、と。

そんな調子で、自分はいい子でなければならない、部活が嫌だからって逃げ出すような情けない姿は誰にも認められない、などと思い込んでしまった私が最終的に出した答えは「部活から逃げるには、もう死ぬしかない」だった。

馬鹿でしょう。世界が狭いでしょう。

来月には死ねるから、来週には全部終わるから、今日だけ頑張ろう、そう自分に言い聞かせないと部活に行けない日々を過ごして、ある水曜日の夜に自室で首を吊った。意識は飛んだけれど、物音で階下にいた母親に気付かれたらしい。目が覚めたら私はベッドに寝かされていて、横では母が泣いていた。

 

それからもう9年が経つのだ。

9年間、死にたいとカジュアルに思ったことは星の数ほどあった気がするけれど、自ら積極的に死のうと思ったことは一度もない。

親よりも先に子どもが死んでしまうことは、逆順とされる。順とは道理、逆順とはつまり道理に反すること。親より長生きすること以上の親孝行は無いとはよく言ったもので、逆順の喪失(親から見た子の死)は悲嘆の心理学の世界において人間の心に最も深くて大きな悲しみを引き起こす要因であるとされていて、おそらくそれは人間の動物的な本能によるものだと思われるのだけれど。

「人間も含めた動物の本能的な行動や精神活動は、それぞれの種が生きている生活環境の中で、各々の個体が自分の遺伝子を子孫に伝えることができやすいパターンに形づくられている」ので、たとえば子どもや大切な人を失った悲しみを強く感じるのは、少産保護戦略(少なく産んで大事に育てる)且つ大きな脳にたくさん本能を装備した人間にとって「もう二度とそんなことが起こらないように」という気持ちを強く持つこと(その気持ちによって行動に影響が与えられること)は、生存・存続の上で欠かせないものだということになります。ライオンに襲われて子どもを失ったとき、深い悲しみを感じてもう二度と襲われないようにと周囲を一層警戒するようになったヒトと、子を失っても何も感じずにライオンを警戒するようにならなかったヒトでは、おそらく前者の方が生き残ってきたはずだ、ということです。

遺伝子が人を失恋で死ぬように設計したわけがない - どんな言葉で君を愛せば、

私は死のタイミングとその方法を選ぶことは究極のワガママだと思っていて、そのワガママを通すと両親を最も酷い悲しみの中に取り残すことになる……というわけで、両親を悲しませたくないという感情が私に親より先に死ぬことを許さない。

そういえば、あわよくば死にたい、そしてそのついでに誰かの役に立てたら最高だと思って高校生の時に臓器提供意思表示をすることにしたのだった。もちろんあわよくば死にたいだなんて誰にも話したことはないけれど、娘が脳死になったときのことを考えたい親などいないだろう。当時、両親は微妙な顔をしていたし悪いことをしたと思う。今も私はあらゆる状況であらゆる臓器を提供すると免許証の裏に宣言している。もう成人してしまったから、そこに両親のサインはない。

 

あわよくば死にたいが、両親を深く傷つけるのは嫌だから二人が生きている間に自分の意志で死ぬなんて選択はできない。関わった誰かに責任感や罪悪感を感じさせるのも本望ではないから相手がいる交通事故も嫌。ついでに腕を切るとか飛び降りるとか痛そうなのも嫌。

私は親しい人を亡くしたり目の前で誰かの死を直接見たりするうちに人間の命なんて呆気なく終わってしまうものだと思うようになったのだけれど、終わってみれば呆気ないわりに、実際のところ、終わりまでが果てしなく長いように思われる。苦しまず痛みを覚えずに死ぬのは案外難しいのだ。

この文脈で、安楽死という選択肢を思い浮かべる人は多かろうと思う。安楽死について調べたことがある人はどれくらいいるのだろうか。今のところ、日本人が安楽死できるのはスイスだけらしい。費用はおよそ200万円でそれほど高くないが、ドイツ語で死にたい理由を説明して協力者たちを納得させなければいけないのだと聞いていた。ドイツ語なんて学生時代に第二外国語の単位が回収できてからは一度も触れていない、これは無理だ……と思っていたらどうやら英語でも聞いてもらえるそうだ。

私の身で考えると、費用面は問題なし。英語も多分大丈夫。でも死にたい理由として、何をどう話せばいいだろう。「24歳で死にたい、とずっと思ってきた。24という数字には大した意味はなくて、漠然と遠いような近いような、よくわからないけれど若いうちに死ぬといえば24くらいかな、と思っていた」なんて言った日には日本に帰されそうだ。そもそも幸せなことに両親が健在しているので、彼らが生きていてくれる間は私もスイスで眠ることを夢見るわけにはいかないのだった。

 

さて、まとまりも突拍子もない不謹慎な思いを打ち明けてきてしまって、ここまで読んでくださった方を不快にしてしまったなら申し訳なく思います。色々なことが空回りする日々で多少気持ちがまいっているのは事実ですが、わりと普段から薄っすらと意識の中にはあることをそのまま書いてみました。タイトルにもした通り、特別落ち込んでいるからこんなに暗い内容になっているわけではないし、このブログを遺書にしたりとか「おやすみなさい」を最後の言葉にしたりとかするつもりは毛頭ないのでどうかご心配なく。

ツイッターでポエムを発した直後に会った人にはよく「ツイート見てると心配になるけど元気そうで安心した」と言われますが、本当にそんな感じです。実はジムで体幹鍛えながら「泣けちゃう」とかツイートする日もあります。泣きたくなる気持ちにも人生は長すぎるなあと思う気持ちにも全く嘘はないのだけれど、いかにも大丈夫っぽく生活できてるならそれは十分大丈夫だよね?私って、大丈夫ですよね?

お読みいただきありがとうございます。おやすみなさい。さやかでした。

小早川秋聲ー無限のひろがりと寂けさとー

おはようございます。こんにちは。さやかです。土曜日の夜は日曜日の朝寝た(他に言いようがない)ので昼夜逆転してしまったかと思いきや、昨夜は23時前から睡魔が襲ってきてくれて、寧ろいつもより早くウトウトし始め、そして月曜日である今朝は昼の12時に起きました。

……というツイッターに書けば済むような話をわざわざブログに書いているのはしばらく@oyasumitteのツイッターをおやすみすると決めてログアウトしているからなのですが、結局必要なDMを見るためにログインはする予定だし、何の為なのか自分でもわかりません。とりあえずおすすめしたかったのでブログを更新してその通知をツイッターで流すという回りくどすぎる方法でご紹介するのはこちらです。

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従軍画家であった小早川秋聲の回顧展。目玉は陸軍の依頼で描かれたのにも関わらず受け取り拒否された「國之楯」です。

筆舌に尽くしがたいとはこのことなので、もう時間があるならとりあえず見に行ってください。今夜18時までです。もっと早く夏休みのうちにご紹介できればよかったのですが、私もすっかり忘れていました。情報感度が落ちていて良くないですね。もう一度言います。京橋の加島美術で今夜18時までです。ぜひ。

思わぬところで清濁併せ呑む素敵な主婦に出会ってしまった

こんばんは。さやかです。

これは完全に偏見なのですが、おそらく私の書く長文ブログを毎回最後の「おやすみなさい」まで読めるほど活字が好きな皆さんは、本を読むのも好きなはずです。そうに決まっています。そこで気になったのが、普段どんな媒体で、どんな出会い方をした本を読むことが多いのかしら、ということです。

人から何かを聞き出したいときにはまず自分から、というわけで先に私の話をすると、私は本を基本的には紙媒体で読みます。それも、書店や図書館で出会い頭に何となく惹かれたものが多いです。購入まで至らなかった本でも、目に止まる本のタイトルや帯の謳い文句はそれ自身が私の、自分でもわかっていなかった興味・関心を掘り起こしてくれることが多く、本の多い場所はブログのネタ探しにも最適だと思っています。私は仕事の帰りに本屋さんに立ち寄り、ふと我にかえると一時間以上経っていたなんてこともザラにあって。以前はそれを「パッと選んでパッと帰っていれば今日1冊読み終わることができたかもしれないのに!」と反省してしまうこともあったのですが、最近は「いま売れている、あるいは書店が売りたいのはどんな本か」「広く関心を集めている内容は何か」ということが見えてくる本屋歩きという緩く広いインプットにも意味があるように思えてきたので良しとしています。

ネットで誰かが紹介している本もわりと読んでみる方です。自分にハマるかどうかは別として、本をたくさん読んできたと思われる方の「おすすめ」のハズレのなさはすごいなと日々思っていますし、自分と本の好みが似ている人を見つけておくと、読みたかった本・読みやすい本に出会うのがかなりイージーになりますね。私はツイッターでフォローしている方だと、トマルさん(@maru_maru_ir)のチョイスはいつも参考にしています。

 

さて本題に入りますが、映画の宣伝などによくある「予想外の結末」という陳腐な表現。使い古されすぎて、こう謳われた物語の展開は大抵予想の範疇に収まっているような印象があります。でも物語ではない学術書のような書籍は逆に「予想外の結論」という予告無しに予想の斜め上をいく着地の仕方を見せてくれることがあって。実は今回ご紹介したい本も、タイトルや読み進めていく間の話の流れからは結びの想像ができなくて、それも含め面白いなと思ったのでした。

戦争がつくった現代の食卓-軍と加工食品の知られざる関係

「戦争」「軍」「加工食品」「知られざる関係」……どうですか、これらをキーワード的に拾うと、どうしても加工食品のイメージは下がりそうではありませんか?私は、加工食品は軍隊のために作られるところからスタートしているからできるなら食べない方が良いとか、その加工食品がいかに私達の食卓を侵してきているのかを警告するような結びが導かれるのではないかと思って読み始めました。

さんざん加工されて密封された手軽な食品を私たちが子供に持たせて学校へ送り出すのは、消費者のあわただしい生活に目をつけた大企業が、かわいい我が子に何か食べられるものを持たせれば安心できるという親心につけ込んだ商品をつくり出したから(というだけ)ではない。

(中略)

子どもの弁当が健康的でなく、新鮮でもなく、環境に優しくもないのは、それが本来は子ども向けではなく兵士用につくられたものだからである。

序盤は加工食品をふんだんに使って用意される子どものお弁当に関して、明らかに批判的な表現が続きます。

そして本書はアメリカの本なので、軍というのはもちろん米軍のことを指していて。米国の食料市場における過去・現在の米軍の立ち位置というか、存在感の大きさなどにも触れながら話は進みます。

軍全体で一週間に消費される食料品の必要量を満たそうとすれば、主要農作物の産地から作物がごっそりなくなり、全国の食料品店の棚も空っぽになり、多数の製パン会社を何か月も動員する必要があるかもしれない。軍はいわばアメリカの風景を消費する巨大な口であり、購買品について大幅な値引きを要求しているとはいえ、それでもなお2011年の1年間だけで38億ドルを支出しており、アメリカで群を抜いて最大の食品購買者となっている。

個人的には帝国主義と食の歴史的な関係について述べられる章で、若干唐突に出てきた完全菜食主義の批判も印象に残りました。

完全菜食主義の食事を批判すべき論拠があったとすれば、それはアステカ帝国である。旧石器時代までに、メソアメリカ地域原産の大型草食動物はすべて狩り尽くされて絶滅していた。

(中略)

そんなわけで、タンパク質に飢えたアステカ人が、メキシコ盆地に居座り続ける大型の哺乳類、すなわち人間に目をつけたのも当然かもしれない。

他の帝国主義者と違ってアステカ人は土地や権力といった所謂戦利品に興味を示さなかったといいます。それは彼らが戦争をする際に最も欲していたのが、敵兵の身体自体、もっと言葉を選ばずにはっきり言うなれば「新鮮な人間の肉」であったからだと。話が単純にグロかったというのもあるんですが、菜食主義と言われるとどうしても昨今の一部のヴィーガンの方々の過激な奇行と結びつけて考えてしまうところが無きにしもあらず……。

 

さて話を戻します。本書は上記のように食の世界史を辿ったり米軍と米国の食文化の関係性をさらったり、工業化されたスーパーの袋入りパンを「非老化性パン様食品」と呼んだりしながら進んでいくのです。「非老化性パン様食品」どう見ても批判的な名前ですよね。ああ、やっぱりこの著者はナチュラル至上主義で「#丁寧な暮らし」をする民なのだなと思っていたら、最後の最後でこうなるのです。

本書の執筆を通じて、私は変わった。むきになって料理を手作りするのをやめた。工場で製造された食品―そしてその延長として、そのような食品の設計や製造にかかわる人たち―が本質的に邪悪だと思わなくなった。

やはり良くは思っていない人だったのですよね。「本質的に邪悪」とは凄い言い方だけれど、そこまで工業化された食品を悪だと思っていた人がなぜそれらに対する態度を軟化させ「テイクアウトやインスタント食品に対して寛容になった」と言うまで評価を変えたのかといえば、それは彼女の生活が「バランスを失っているから」。以前は家族のために時間をかけて一から「食材を切って炒めて食卓に出すという儀式」をすると心が落ち着いていた彼女も、執筆の仕事を抱えて時間に追われるようになると「にわかに典型的なワーキングマザーの抱えるジレンマに以前よりも共感するように」なり、夕食の支度に手を抜くことで「大いにせいせいした」といいます。

もちろん話はそう単純なことばかりではなくて、加工食品のおかげで現代を生きる私たちは料理という仕事からの自由を手にすることができる一方で、工業生産される食品のほとんどは糖分や塩分や脂肪分が多くて繊維やビタミンやミネラルが少ないという不健康なものであったり、安定性と長期保存性を実現するために入っている添加物の成分の多くは、摂取し続けた場合の長期的な影響に関する研究が不十分であったりするという問題も指摘されています。

私たちは巨大な公衆衛生実験に参加しているようなものだ。(中期)私たちはこの実験のモルモットなのだ。

著者もこのように述べていて、米軍による食品に関する技術研究を調査し、よく知ったことで関係者に敬意を払うようになったとはいえ、やはり懸念要素は少なくないという考え方は変わっていないようです。

でも無知なまま漠然と添加物に恐怖を抱いたり思考停止でシャットアウトするのではなくて、よく調べてみた結果として、生活においては加工食品を取り入れて料理の手を抜くことに快感をおぼえるようになって、他の優先事項のためにはいかに手早くテーブルに料理を出せるかも考えるようになっていて、その清濁併せ呑むというか、ダイナミックな柔軟さがすごくいいなあと思いました。米軍がその方向性の大部分を定めているアメリカの食品科学産業は邪悪だ、という結論で終わる本なのではないかと思って読み始めた本でしたが、著者の興味と生活に即したもっと広く柔らかい内容で、良い意味で予想を裏切られました。

 

本書の著者が生活の変化と自身の調査結果から加工食品への態度を軟化させたり、あと名前をド忘れして具体的には述べられないのですが、主義が対立して犬猿の仲にあった芸術家同士が実際に会ってお互いの芸術論を語り合った結果、認め合うようになったり……みたいな話が私は大好きで。それは、自分が正しいと信じてきたものとか価値があると信じてきた何かに対して、実は思っていたほどの意味とか優位性は無かったということを認めるのってなかなかに力の要ることだと思うからです。その信念が強固であればあるほど、そこに費やしてきた時間が長ければ長いほど。だからこそそれを鮮やかにやってのける人を前にすると眩しくて仕方ないし、まさかその感覚をこの本から得られるとは思っていなかったので嬉しい驚きに抱かれながらご紹介してきたというわけです。興味を持たれた方はぜひ読んでみてください。

戦争がつくった現代の食卓-軍と加工食品の知られざる関係

戦争がつくった現代の食卓-軍と加工食品の知られざる関係

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。普段どんな風に読む本を選んでいるのか、それは電子書籍なのか紙なのか、良かったら教えてください〜!

それではおやすみなさいませ。さやかでした。