どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

何にでも言葉で説明をつけたくなってしまう私へ

 

われわれは、あるがままにものごとを見るのではない。われわれがあるままにものごとを見るのであるーーー

 

こんばんは。さやかです。最近私は、大学生の頃に心理学の講義でほんの少しだけかじった「エニアグラム」の基礎がわかる書籍を読みました。こちらです。

新版 エニアグラム【基礎編】 自分を知る9つのタイプ

新版 エニアグラム【基礎編】 自分を知る9つのタイプ

  • 作者: ドン・リチャード・リソ,ラス・ハドソン,高岡よし子,ティム・マクリーン
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/03/29
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

エニアグラムという語自体は円九分割図という図形のことですが、ここでいう「エニアグラム」は心理学的な文脈にあるもので、ざっくり言うと性格を9タイプに分ける性格類型のことです。詳しく知りたい場合は是非この本を読むかネットで調べるかを自力でしていただきたいと思いますが、エニアグラムに対する私の感想を言葉を選ばずに言うなれば、ちょっとアカデミックなだけのよくある性格診断だという印象を受けました。個人の感想です。

 

本書についても私は読み始めて数分で、とてもじゃないが全部読む気にはなれないと感じていました。「つまらない本を読み始めてしまったからと意地になって読み進めるヤツはバカ」「つまらないと思った映画を最後まで見て2時間も無駄にするやつはバカ。賢い人はつまらないと思った時点で席を立って時間的コストをカットする」などという、いかにもツイッターでイキるビジネスパーソンが言いそうな言葉たちが頭をよぎった為、エニアグラムの概要など多くを読み飛ばしていくつかの質問に答えて自分のタイプを診断し「ふむ」となり、さらに質問に答えて点数を出し「ふむ」と思いました。

アカデミックな分析だとか深い自己理解がどうだとか言われてもエニアグラム自体に関する印象は「スピリチュアル」だとかいう言葉が出てくることからもお察しの通り結局は占いみたいなものじゃん、という思いが私は強くて。あまり真に受けるとよろしくないものであるような気配は感じつつ、やはり自分のタイプは気になってしまったので質問に回答して点数を出すところまでやってしまいました。私は6番のタイプでした。

 

タイプ6番について大まかに言うと、考え方やシステム、信念への忠実さが特性としてあります。概して自分自身の為よりも自分の信念のために強い意志をもって動くそうで、自分自身よりも共同体や家族を守ることを優先するらしい。それはなぜかと言うと、見捨てられたくないから。この見捨てられたくないという不安、自信の無さがタイプ6の中心にあります。

そしてタイプ6はそうした自分の不安に常に気づいていて、自分が頼りにしている基盤が崩れたときのことをいつも考えてしまって、石橋を叩いて渡る前に叩き割って「ほらね、やっぱり割れた。渡らなくて良かった!」と安心する……ということが起きてしまうんですって。

正直、言われたことの7〜8割はわかる気がしました。たとえば「タイプ6は背景事情として、不安と恐れの上に信頼のネットワークを築こうとしている」という指摘は本当に的確で。

彼らは往々にして、何ともいえない不安に満たされると、その理由を見つけたり、つくりだそうとします。人生の中には堅固で明快な何かがあると感じたいあまり、自らの状況を説明すると思える解釈や見解に執着しかねません。

私は去年の夏に一人の男友達と関係を持ち、その日を堺に彼に対して恋愛感情が芽生えたような状況に陥ったのですが、そのことを当時偶然目にした「Sトリガー理論女性は身体の関係を持った相手のことを好きになるという主張。ピンとこなければ「恋愛工学」でググってみてください)」というものと結びつけて自分の中で納得し、また恋愛工学にも一理を見出すようになっていました。実際には私は寝る前から相手に多かれ少なかれ好感を持っていたから関係を持ったのだし、関係を持った人は他にもいる中で彼だけを好きになっていたのだから、単純な理論で説明をつけるべきものではなかったかもしれないのに。

 

タイプ6の人は「当てになる信念をひとたび確立したら、それをたやすく疑うことはなく、また他の人にも疑ってほしくない」。それはタイプ6が人生で関わる人にも同じことが言えて、一度この人はすごい、信頼するに足る、と思った相手にはかなり傾倒します。

さやかというアカウント(@oyasumitte)ができた頃をご存知の方がどれほどいるのかはわかりませんが、私は当時、先に述べた恋愛工学についてこれが真理だと感じ、その界隈でインフルエンサーになっている方々にかなりお熱でした。お熱って死語かしら。

結局、彼らと関わる中で拭い去れなかった違和感だとか、外にいる人たちからの助言を通じて「彼らは自分が関わり続けるべき人たちではない」としばらく後になって判断したのだけれど。そんな風に一度すごいなと思ってしまうと、その思い込みが何かをきっかけに解けない限りその人を仰ぎ続けようと意地になってしまうところが自分にはあると自覚して、気をつけたいと思っています。

 

さて、もうおわかりの通り、最初は「なんかスピリチュアルとか言ってるし占いみたい、信憑性はなさそう」とか言いつつ斜に構えて見ていたエニアグラムも、少し何かを言い当てられたような気分になるだけで引き込まれて読んでしまったり、読み終えたあとこんな風にブログにつらつらと一連のことを綴ってしまったりするのが私です。打てば響くというか、響きすぎるというか……そしてこれもやはり、タイプ6の基本的特徴なんだとか。占いよりはよく当たっているかもしれません。

エニアグラムはこうしてタイプ分けして終わるのではなくて、自分や他人の気質の特徴や思考の典型的なパターンを知ることで、自他への理解を深める助けになるものらしいです。あまり診断結果にこだわりすぎるのは問題ですが、診断してみてあれこれ考えるのはなかなかに楽しかったので、気になった方はぜひ自分のタイプを調べてみては。

新版 エニアグラム【基礎編】 自分を知る9つのタイプ

新版 エニアグラム【基礎編】 自分を知る9つのタイプ

  • 作者: ドン・リチャード・リソ,ラス・ハドソン,高岡よし子,ティム・マクリーン
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また人の気質を類型化して説明しようとするエニアグラムの紹介とは逆行しそうですが、自らの思考や動機を言葉に落とし込んで型にはめて、そればかりで自分を理解したようなつもりになることはやめるようにしたいということを半年前の私が書いていたようなので載せてみます。今よりもさらに文章が拙くて恥ずかしいですが、たまには読み返して、あらゆることに対して自分が納得するために説明をつけようとしてしまう、動機や解釈を後付しようとしてしまう癖を抑えるようにしてみたいと思いました。

 

本日もお付き合いくださりありがとうございます。おやすみなさい。さやかでした。

知れば知るほど好きになる、そういう風にできている

こんばんは、さやかです。

今月は先月の怠けを取り戻すべく、できるだけブログを更新していくつもりです。毎日書きます!などと具体的に宣言しないのはまあ甘えなのですが、最近は積読になっている本も消化したいし、ダイエットのために毎日1時間程度のランニングをすると決めて走り始めたし、そもそも仕事の量が増えてきて帰る時間は遅くなり気味だし……ということで他にも色々と頑張ってはいるので許してください。 

頑張ったといえば、今日は以前受けたある資格試験の合格通知を受け取りました!やったー!早速、より上級の試験対策の問題集を仕事の帰りに買ってきました。また目標ができたので今月はその勉強も日課にしたいところです。

この合格でようやくスタート地点に立てたというような段階ではあるのですが、一応大変良い成績で合格したようなのでお祝いはいつでも大歓迎です。好きな食べ物はお寿司と天ぷら、好きなお酒は日本酒です。よろしくお願い致します。

 

地獄に突き落とすオタクに落とされた

御馳走よろしくお願い致しますなどというストレートな集りはもちろん冗談ですが、私が日本酒を好きなのは本当です。今となっては嘘のように思えますが、私はたった2年ほど前までは日本酒なんて度数や香りがキツいばかりで美味しくないと思っていたのでした。

事の次第は単純で、大学生が飲み会に使うやっっっっっすい居酒屋の飲み放題にあるような「日本酒」としか書いていないアルコールの液体を飲んで、それが日本酒であると思い込んで日本酒ごと嫌いになっていました。だから日本酒を含めお酒が大好きな父親が家で美味しい日本酒を飲んでいても貰おうとしなかったし、お店でも甘いカクテルやサングリアばかり飲んで、美味しい日本酒を知らずにいたのです。

ちなみに私に日本酒の美味しさを教えた男というのは先述した「お酒が好きな実の父」です。父親と美味しい日本酒が飲めるお店に定期的に通うようになった頃に、そこでレモンサワーや梅酒ばかり飲んでいるのは違うなと思い、とりあえずおすすめされてみようと飲んだのがその日「隠し酒」として用意されていた○○という日本酒でした。それが本当に、私の中での日本酒という概念がひっくり返るほどに美味しくて、今でも一番好きなお酒になっています(なぜ銘柄を伏せているかというと、私はそれが最も好きであることを周囲に公言してきており、身バレリスクがグっと高まってしまうからです)

 

純米吟醸八海山 雪室貯蔵三年

前置きが長くなりました。そんな経緯で私は日本酒を好きになったわけですが、日本酒と一口に言っても本当に様々あるわけで、好みのお酒があればあまり得意ではないなと感じるものもあります。あまり具体的に好みを語ると身バレが……というわけで本題に入りますが、私は「八海山」というお酒に若干の苦手意識を持っておりました。最初に飲んだ八海山がキリリとしたタイプで、私の幼い舌には少し辛かった印象が強かった為です。

一方私に日本酒を覚えさせた父は八海山が好きだったので、私は今年の父の日のプレゼントとして、百貨店で出会った珍しげなお酒「純米吟醸八海山 雪室貯蔵三年」を贈りました。これです。

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これを実家で両親と飲んだのですが、ただ数量限定の八海山だ…!というレア感だけで買って行った私よりも、「気になってはいたが飲んだことはなかった」と言ってくれた父の方がこのお酒について詳しかったのは流石でした。

そして、このお酒が作られているところを見に行こうかという話になり、トントン拍子で予定が立ち、この夏休みに本当に行ってきてしまったのです。

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八海山。新潟県にある山です。

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このお水が本当に甘くて美味しくて、こんなに美味しい水と新潟の美味しいお米でつくった日本酒が美味しくないわけがないよね、と弊家族含め一緒にいた人々が唸っておりました。お願いだから家の水道からこれが出てほしい……。

山を降りたあとに訪れたのは、あの白い瓶の八海山が作られている雪室施設。
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屋内はとにかく涼しくて気持ち良かったです。雪室は気持ち良い涼しさを通り越すというか、バターやチーズをそのまま置いておけるような温度なのでシンプルに寒いです。凄かった。

雪室ではないのですが、タイムカプセル的に焼酎を預けて楽しめるこの蔵もかなりの涼しさ+壮観でした。
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さらにはこれらを眺めながらカウンターで各種試飲をさせてもらえるので大変捗ります。私はこの特別純米原酒(これも限定)や八海山の原酒で仕込んだ梅酒をいただきましたが、本当によく冷やされていて、飲みやすすぎて怖くなるほど美味しかったです。日本酒仕込みの梅酒は甘さがすっきりしていて好き。

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ちなみに宿泊した県内の旅館でも、夕御飯の食前酒がその梅酒だったり、私はその一口分ではとても足りず同じものをロックで飲んだりしていました。美味しかったな、買ってきた分はいつ飲もうかな〜!

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知れば知るほど好きになる

今日は実は八海山に行ってきたということを自慢したかったわけではなくて、結局何かを「よく知る」ことと「愛する」ことって地続きなのだなと思った話をしたかったのです。

これは少し前にこのブログで紹介した本に出てきた一節ですが、

「Philosophy」は明治時代に「哲学」と訳されましたが、この言葉のまま、漢字にするなら「愛知」です。このときの愛“Philo”は、よく勉強して、難しいとされる学問を愛するという意味であり、「虫めづる姫君」の様子はまさにこれです。

(『「ふつうのおんなの子」のちから 子どもの本から学んだこと』)

男が作った社会システムは乱暴すぎる、という女性の主張の乱暴さが気になってしまう女 - どんな言葉で君を愛せば、

たとえば一見恐ろしげな虫も、飼ってよく観察すると魅力的に見えてくるのが「めづる」ということだといいます。私も、その対象が虫以外の何だとしても、自分の目で見て耳で聞いて、さらに考えながら深く知っていくことって、好きだとかもっと知りたいだとかいう気持ちと密接に関わる行為だよなと思ったのでした。

私が以前に八海山(それもたくさん種類がある中のたった一つ!)を一口飲んで「あ、好みじゃない」と思った、そこで終わっていたら知ることができなかった世界が新潟県に広がっていて、それを実際に見て感じてしまったら私はもうすっかり八海山のファンになっていて。

知れば知るほど面白いことって、知る前は案外つまらないものに見えてしまうことも多いと思います。だからこそ自分の感覚で選ぶばかりだと偏ったり視野が狭くなったりすることが多分少なからず起きてしまうと思うんです。

だからこそ背中をトンと押して沼に落とすとか強引に腕を引いて沼に引きずり込んでくれるとか、自分が知らない世界を知っていて、そこに飛び込んでいくきっかけを与えてくれるような、そんな人との関係は一層大事にしたいものだな、といういつもの結論で締めさせていただきます。きっかけが降ってきたときには乗っかってみる素直さも必要ね。

八海山は山もお酒も本当に良かったので、まだ行ったり飲んだりしたことがなければぜひお試しください。ちなみに私は、実は本当に試験の合格をお祝いされたいです。お寿司と日本酒でよろしくお願い致します♡

 

おやすみなさい。さやかでした。

 

八海山 八海山の原酒で仕込んだうめ酒 720ml

八海山 八海山の原酒で仕込んだうめ酒 720ml

 



遺伝子が人を失恋で死ぬように設計したわけがない

こんばんは。さやかです。9月になりました。8月の終わり頃から晴れて暑い日にも風は乾いて秋めいてきていますね。夏も終わりという感じ。

ただ、8月31日という昨日の日付を意識したのは何だか随分久しぶりな気がしていました。8月の終わり=夏の終わりだと最後に感じていたのはいつだろうかと記憶をたどり始めて3秒で気づきました。私にとって前回8月の終わりとともに終わった夏は、5年前。高校3年の夏です。9月1日になれば夏休みという非日常が終わり、日常が戻ってきてしまうという切迫感が高校生までの夏には確かにありました。

私はこの4年間、8月31日も9月1日も特に意識していませんでした。なぜなら大学生の長い夏休みは9月になっても続くから。両日付間には特に区切りがなく、むしろ集中講義があって大学を離れられなかったりハイシーズンでどこへ出かけるにも高いお金がかかったりする8月よりも、世間の夏休みが終わって好き勝手に動ける9月の方が夏休み本番という空気さえあったように思います。

今年2019年の9月1日は日曜日なので、今日が実感としての夏の終わり、仮想8月31日のように感じられる人も多いのかもしれません。どちらにせよ私にとってはあまり夏が終わるという感覚は強く嘆くようなものではなく、8月の終わりが一大イベントになるとすれば母親として自分の子どもの夏休みの終わりを迎えるときなのかなあと思っています。

でも私と同じように新卒で働いている、つまり1年前の9月1日(ただし2018年も8月の終わりと土日が重なっていたため正確には9月3日)にはまだ夏休みの折り返し地点にいた同級生の中には「去年の夏に戻りたい」とツイッターで嘆き続けている人もいます。明日会社に行ったら同期の女たちもきっと8月の気分を引きずって言ってるんだ、「あー疲れた。去年は9月も夏休みだったのに。早く家に帰りたい」って。それで多分、仕事が好き且つモチベーションを削るような発言を左から右に受け流す余裕もない私はまたイライラするんだろうけれど、それは今は置いておいて。

そんな風に学生時代を振り返って悲嘆しない私が悲嘆しがちなことといえば失恋なのですが、私は失恋するとしばらくツイッターで重めのポエムを綴りはするものの、案外短期間でケロッとして次の恋に突っ走っているんですよね。私個人の切り替えが早いというか何というか、あんなに忘れられないと思っていたことも結局は記憶とか感情がぼんやりしてきて、形を失っていくなあというのは実感として常にあって。好きな人に自分の気持ちが受け入れられなかったら悲しいし傷つくし苦しいし、もう二度とこんなに悲しくなるほど誰かのこと好きになれないって思うのに、同時に頭の片隅では永遠に引きずるなんてことができた試しはないことを理解しているんだよな、と。きっと立ち直れると思えるのは、苦しみに終わりがあることを感じられるという意味で希望でもあり、同時に、こんなに彼を好きでもどうせ私は一人で立ち直ってしまうし彼がいなくても生きていけてしまう、という薄っすらとした絶望でもありました。

 

ヒトは悲しみを乗り越えて前に進む動物である

私は最近読んだ『ヒトの脳にはクセがあるー動物行動学的人間論』という本で、人間が悲しみや苦しみを感じるのは本能的な特性であって、その悲しみや苦しみを自発的に癒やして乗り越えるのもまた人間という動物の本能的特性であるという考え方があることを知りました。

どういうことかというと、まず本能とは後天的に学習されるものではなく特定の状況におかれるとそれを自然と行ってしまうもののことです。人間の「本能」を「多くの人間に共通して見られ、特定の状況が生じたら、自分でもなぜそうするのか、はっきりとした自覚なしに行ってしまう行為や心理、思考」と定義すると、こうした人間の本能は一般に他の動物のそれと比べて少ないと言われています。人間は本能ではなく理性の生き物だから、と。

果たしてそれは本当だろうか?という問を立てることで本書は進んでいくわけですが、結論から言ってしまうと本当ではありません、というのが著者の答えです。

過去の文化人類学によって正義感や道徳感、罪悪感など、後天的に学習するため生育環境・文化によって異なるとされてきた心のはたらきも、人間に共通の本能である可能性が指摘されるようになってきているといいます。

“自我”、“相手の心の読み取り”“未来予見”などはもちろん、その人間という動物が生きて繁殖する上でなくてはならない本能的特性なのである。

しかし、自分が生きるため、また自分の種を存続させるために必要なこの本能的特性たちを備えるが故に私達は深い悲しみや苦しみに苛まれることがあります。

 

悲しみを感じなければ生き抜けない、悲しみを感じたままでは生きていくことができない

「人間も含めた動物の本能的な行動や精神活動は、それぞれの種が生きている生活環境の中で、各々の個体が自分の遺伝子を子孫に伝えることができやすいパターンに形づくられている」ので、たとえば子どもや大切な人を失った悲しみを強く感じるのは、少産保護戦略(少なく産んで大事に育てる)且つ大きな脳にたくさん本能を装備した人間にとって「もう二度とそんなことが起こらないように」という気持ちを強く持つこと(その気持ちによって行動に影響が与えられること)は、生存・存続の上で欠かせないものだということになります。ライオンに襲われて子どもを失ったとき、深い悲しみを感じてもう二度と襲われないようにと周囲を一層警戒するようになったヒトと、子を失っても何も感じずにライオンを警戒するようにならなかったヒトでは、おそらく前者の方が生き残ってきたはずだ、ということです。

これは「人間の遺伝子も本質的には人間を操る寄生虫である」と考える「利己的遺伝子説」によるものですが、「自分(遺伝子)が子孫にうまく伝わっていくように作動する乗り物(つまり遺伝子が乗っている個体)を設計する遺伝子は、必然的に増えてしまう」ので、長期的に見ると生存と繁殖に有利になる、深い悲しみを感じられる人間の本能は綿々と現代を生きる私たちにも引き継がれてきているはずなのです。だからまず、私が恋をひとつ失ったときに悲しくなるのは当然のことであると言えます。喪失というのは悲嘆を引き起こす大きな要因の一つです。

そしてこれは以前別の本でも読んだのですけれど、失恋などで精神的に傷ついて「胸が痛い」と感じるとき、身体には実際に身体の部分が痛むときと同じ反応が起こっていることがわかっています。苦しみから生じるストレスがかかった状態になると、あるホルモンが分泌され、体の面では体内が緊張状態となり、心の面では苦しさに耐える段階となるのですが、これが長く続くと脳を始めとする体内組織に細胞の死などのダメージが起こり始めるのだそうです。

悲しみを感じなければ生き抜けない、悲しみを感じたままでは生きていくことができない……なんだかどこかで聞いたような響きです。

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(BLEACH 5 RIGHTARM OF THE GIANT)

 

さて、私たちの身体を乗り物としては大事にしたい私たちの遺伝子が、体内をそんなダメージを起こすような状況に長く置こうとするわけがないのです。つまり遺伝子は私達がいつまでも悲しみに暮れて身動きがとれなくなるように脳を設計してはいないはずだ、ということになります。

体内を緊張状態に置く、言い換えれば私達を苦しみや深い悲しみの中に置こうとするホルモンを抑制するホルモンが、自発的に放出されるようになっているのだそうです。生きるために必要な悲しみの負の側面が重くなってくると、逆に心を平常に戻そうとするシステムが勝手に働き始める、そういう風に私たちの身体はできているらしい。

ヒトは苦しみ、悲しみの中を前向きに生き抜く動物である。どんなにつらく、どんなにみじめで、どんなに苦しくても、生物としての自分を信じて、しばしの間、耐えていればよいのである。苦しみ、悲しみにたたかれながらも、前向きな感情がひょこひょこと、あるいはじわじわと顔を出してくることを信じて待つのである。

悲しみに暮れるとき、私は失恋ソングを聞きまくったり広い海を見に行ったりするよりも、こういう動物としての人間が備えたシステムについて知っていく方が自分の悲嘆感情が和らぐような気がします。私はこの本を読んで、自分の意識で悲しみを感じているつもりでも、その意識ってなんだかよくわからないものだし感情ってホルモンの働きだし……と思うと、何だか落ち込んでいるのがちょっと馬鹿らしく思えてきて元気になれました。

だからといって悲しみを忘れる方法としてこれを人に押し付けるのは勿論筋違いだし、「すぐに乗り越えられるって!」とか「もう忘れて元気だしなよ」だとか言って人が悲しむことに口を出すのは過剰な役割期待と言ってとてもよくないサポートのあり方なので、悲しみの乗り越え方についてはこのあたりで控えておきます。

本書『ヒトの脳にはクセがあるー動物行動学的人間論』、悲しみ以外の「なぜマンガは文章よりも読みやすいのか?」などのテーマも面白かったです。ご興味があればぜひ!

ヒトの脳にはクセがある: 動物行動学的人間論 (新潮選書)

ヒトの脳にはクセがある: 動物行動学的人間論 (新潮選書)

 

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。おやすみなさい。さやかでした。

 

*小林朋道『ヒトの脳にはクセがあるー動物行動学的人間論』新潮社,2015年。