こんばんは。さやかです。先日、昨年からずっと行きたいと思っていて、忘れないように度々ツイートしていた「窓展」にやっと行ってきました。
出雲と大和展行きたいな。窓展も行きたい
— さやか (@oyasumitte) 2020年1月15日
そんな窓展で、個人的に一番面白かったのはこれ。ズビグニエフ・リプチンスキが1980年に発表した映像作品です。
画像通りというかそれ以上に沢山の人物が登場するのですが、わたしは下品な裏垢女子なので、初見では裸の金髪美女や互いの身体を貪り始める若い男女にしか目がいきませんでした。
そして詳しいことは忘れましたが、この作品がすごいのは、デジタル技術のない時代に7か月もかけて作られたという点らしいです。確かにそれを聞いてから見ると、ただのシュールな動画ではない。なんとyoutubeで全編見られます。最後まで見ても8分ほどなので、ぜひ。
さて窓展を振り返って何を書こうかしらと、はてなブログのアプリを立ち上げたときに気付いたことがあります。特に書くことがない。見てきて良かったとは思うものの、長文で書き起こしたいと強烈に感じるものが今回は自分の中に残っていなかったのです。
例えば六本木で日本の昔ながらの遊戯展を見に行ったときのブログは、とにかく結婚というゴールだけを目指す19世紀の双六や、全然隠れられていない覗き行為こと垣間見を見て、ちょっとふざけながらも自分なりの角度で感想を綴ったつもりです。
今回見に行った窓展と同じ国立近代美術館で開催された企画展「福沢一郎展」の記事では、内容を紹介しつつ何だかまあ偉そうに自分の教養観を語っていました。
それが今回このブログを書こうと思ってブログを開いて、自分の中の感想の無さに驚きました。1時間半かけて展示を見たのに、自分の中に何も残った気がしないのは何なのか。
もしかして一緒に行ったのが好きな人だったからではないか、と大真面目に考えました。展示よりも隣の男が何を考えているのか、作品を見た私はどんな感想を述べるのが正解なのかを考えてしまって集中できなかった?
それとも福沢一郎展で見た超現実主義の作品は日本史と絡めて楽しめたのに比べて、今回は展示の編集・解説が私の不得意な美術の方に寄っていた?
それも全く無いとは言えませんが、おそらく直接的な敗因は何もメモしていなかったことだと思っています。
通常、私は美術展に行くと、気になった作品名はもちろん、解説の中で惹かれた言葉やら何やら片っ端からメモを取ります。そして過去にはこんなツイートもしているように、それは大体ツイッターの下書き機能を用いて行っています。下書きなら文字数制限もなく、同時に調べたネットの情報のスクショもサクッと貼り付けておけるので。
そういえば春休み中にル・コルビュジェ企画展にも行ってました。ピュリズムは刺さらなかったけど、彼のこの言葉は好きでついメモした。「目は見えるものしか見分けない。一方、ひとつの外見をそなえたものにはためらいなく引きつけられる」。上野の国立西洋美術館で5/19まで。https://t.co/ciAPyci8Mg pic.twitter.com/hQJZ4HOVH2
— さやか (@oyasumitte) 2019年4月1日
このル・コルビュジエ展も作品自体は特に気にいるものがなくて、ただ彼の言葉(の訳文)は、それに出会えただけでも足を運んでよかったと思えるものでした。
今回で言えばそれは先ほど紹介した『タンゴ』になるのでしょう。いくら誰でも・どこでも見られるyoutubeで公開されていても、おそらく私は窓展で遭遇しなければこの動画作品を見ることはなかったはずです。でも一度知ったことによって、この先見たいときにはいつでも見返すことができるようになりました。
それから、もう一つメモを取らなくても印象に残ったのはマルセル・デュシャンの『フレッシュ・ウィドウ』。
実はマルセル・デュシャンは私にとって、現代美術への漠然とした苦手意識を払拭するきっかけとなった芸術家です。2018年11月、東京国立博物館で開催されていた特別展「マルセル・デュシャンと日本美術」。先に見に行った友人の好評を聞いて行ってみると、確かに良かったのです。一人の作家にフォーカスした展示を見るのはほとんど初めてだったのですが、作風の変遷や当時の一点物芸術への批判の意図だとか、展示の編集によって素人でもこんなに素直に飲み込めるようになるんだと驚いたのを覚えています。
東京国立博物館 - 展示 日本の考古・特別展(平成館) 東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展「マルセル・デュシャンと日本美術」(開催期間は終了しています)
見て知ったことも考えたことも書き留めなければすぐに忘れてしまうし、それは確かにもったいないことではあります。だから自分の頭以外の場所に記録しておくことはとても大切だと思うのです。私も「窓展」の詳細な感想はもう思い出せないし、「マルセル・デュシャンと日本美術」なんて展示を1年ちょっと前に見たことなんて完全に忘れてしまっていました。
でも今回の窓展でデュシャンの作品を見たことをきっかけにデュシャン展を思い出したように、べつにアウトプットしていない経験や感想だって自分の中には当然きちんと残ってるのだよな、と。
自分で考えて噛み砕いて言葉にして残すことって、確かに私が大切にしたい行為の一つです。でもそれをする為の時間的・精神的な余裕が欠けていたりモチベーションが上がらなかったりするタイミングは確かにあって、その間に経験するインプットに次ぐインプットだって、自分の中に何も残らないわけではないはず。
矛盾することを言うようですが、自分が見聞きした知識とか自分のものにした経験について、書いて記録しておくということは後々思い出す為の1つの手段であって、上から新たなインプットを重ねて記憶を呼び起こしながら繋げていくというのも同じ手段としてある程度有用なのかなと思います。勿論これはあまりブログを更新せずに日々過ごしていることへの言い訳でもあるわけですが。
さて、全く内容を紹介できなかった窓展は今週末までです!
出雲と大和展は既に開催中ですが、私は見たいものが後期展示になっているので2/11以降に見に行きます。メモを残しながら見てきて、きちんと展示についてのブログを書けるようにしたいです。
ここまでお付き合いありがとうございました。おやすみなさい。さやかでした。
▽窓展
▽出雲と大和展