どんな言葉で君を愛せば|oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

『われら闇より天を見る』/人生の3冊

Xに「人生の十冊」を載せている方がいた。選べるのも載せられるのもすごい。だって、これほど難しいテーマもそう無い。十って中途半端に多いし、かといってそこに好きなものをすべて嵌め込むには少なすぎる、どっちつかずな縛りだ。

一番好きな一冊を選べと言われたら少し迷う。一番から三番までは大体同じくらい好きだから。

好きな十冊、と言われたらもっと迷う。三冊目と四冊目より、四冊目と十一冊目の差の方が小さいから。

そもそも、好きな本を十も誰かに知られてしまうことは私にとって大変恥ずかしい。わたしの輪郭を、掴まれすぎる気がする。

本性と呼ばれるものが真っ裸の私自身だとすれば、誰かと接するときの自分は人に見られることを前提とした、いわば洋服を着ている状態。一人でいるときに聞いてきた音楽や読んできた本は、私自身ではないけれど、洋服よりはっきりと私を象っていて、しかも人に見せることを想定していないもの。私と洋服の間にある、下着のようなものだ。

本棚って下着かもしれない|さやか

そういうわけで、人生の十冊はなかなか選べないし、時間をかけて選んだとしてもとても人には言えない結果になるだろうと思う。

 

でも「人生の三冊」なら、一生それが変わらない自信は無くとも、今のわたしに大切なものとしてはすぐに答えられる。少なくとも今日現在のわたしの選ぶ三冊はこれ。

 

 

『われら闇より天を見る』

われら闇より天を見る

原題は、“We Begin at the End”。

恋人の妹を死なせてしまったヴィンセント・キング。時を経て彼が故郷に戻ってきたことで、親友で警察署長のウォーク、そしてウォークが気にかける少女・ダッチェスの人生が、大きく揺れていく。

「人は終わりから始めるのさ」

われら闇より天を見る

 

三十年前、不幸な事故が起こった。少年だったヴィンセントは、恋人をのせた車で、よりによって恋人の妹である少女を撥ねてしまう。

ヴィンセントには、少年院ではなく刑務所での懲役十年という、重すぎる判決が下された。刑務所内で売られた喧嘩でさらに二十年上乗せされた刑期を務め上げ、カリフォルニアの小さな田舎町へと帰還する。

そんなヴィンセントを親友と思い続けた警官・ウォークに対し、恋人に妹を轢き殺された元少女・スターは、妹の死を乗り越えられず、酒に溺れて生活がままならない。

「ああもう、ウォーク。あんたまるで子どもだね。ましか、ましじゃないか。いいか、悪いか。人間てのはどっちかひとつじゃないの。自分がしてきた最良のことと最悪のこととの寄せ集め。ヴィンセント・キングは人殺しなんだよ。あたしの妹を殺したんだよ」

主人公の一人はウォーク。そしてもう一人の主人公こそ、恋人に妹を殺された元少女から産まれた娘・ダッチェスである。

ダッチェスの生育環境は凄まじいが、その中でも彼女は終始、たった一人の弟を守るために行動する。まだ幼い彼女の行動原理は、母と、彼女よりさらに幼い弟を守ることにしかなかった。「弟はまだ子どもだから」と言ってのける彼女もまだ、十三歳なのに。

「ふたりともいい子ですよ」陳腐な言葉だった。空疎でないときでも空疎に聞こえる。そうでない子供がこの世にいるだろうか。

 

本書は、丁寧に伏線が張られたミステリーだ。最初に読んだときは序盤で既に誰にも共感できないことがわかり、厳しいなと思った記憶がある。

だが読み進めるうちに思い知った。登場人物もわたしたちも同じ人間で、スターの言葉どおり「自分がしてきた最良のことと最悪のこととの寄せ集め」でしかない。誰もが善人であり悪者。相手を守るために良かれと思って行為する。ただそれが、恵まれた結末に繋がるとは限らないだけ。

「祈りと願い事に違いなんてあるか?」ウォークは制帽を脱いだ。「欲しいものを求めるのが願い、必要なものを請うのが祈りだ」

「ならおれの願いと祈りは同じものだ」

わたしは、動機は常に行為を、自由はいつも責任を後追いしてつくられるという考え方が好きだ。最悪な結果は悪意を必要としていない。誰も悪くなくとも時としてひどいことは起こるのに、最悪なことが起こったら、そこに悪意が見出されてしまう。ヴィンセントの諦念には頷かざるを得ない。

「罪ってのは、それが犯されるずっと前から決まってるんだよ。みんなそこがわかってない。選べると思ってる。あとからふり返って、違う道を行ってみたり、別のドアをあけてみたりする。だけど実際には、選べやしなかったんだよ」

事件も事故も、容赦なく起こる。贖罪は報われないどころか次の悲劇を生んでいく。

正直、読んでいて気が滅入る瞬間は多い。緻密に張られた伏線の回収を、純粋に楽しめるほど気持ちの良い展開は無い。何より、父を知らず母を失い、子供でいることをゆるされなかった少女が、まだ十三歳なのはやはりつらい。

ただ「人は終わりから始める」のだ。印象的な台詞としても出てくるこの言葉。

「人は終わりから始めるんだ」

非情で陰鬱な展開は続くが、原題“We Begin at the End”のとおり、また歩き出す人のための物語であり、救いはある。

 

そしてわたしは、これを『われら闇より天を見る』と訳されるセンスが好きすぎる。正直100%のタイトル買いだった。

ちゃんと悲しくてちゃんと面白く、読み終えると前向きな気持ちを残してくれる小説。わたしの人生の三冊分の一です。ぜひ。