どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

10,000,000円分の愚痴

 

だそうです。そうだね。お金は大事だよね

わたしは時々「実家暮らしの男が憎い」などとツイートしてきたせいで、実家暮らしの人間を嫌っていると思われているらしい。この間ツイッターの相互に「さやかの嫌いな実家暮らしです!」と自己紹介されて笑ってしまった。すみません。嫌いとかじゃなくて、大好きか好きで言ったら好きです、実家暮らしの社会人さん

わたしは一人暮らしをしているけれど、東京に実家があったら普通そこに住むよねと思うので、実家暮らし即ち半人前みたいな論調で実家暮らしを批判するのもどうかなとは思う。個人的には、実家が都内にあってもわざわざ一人暮らしするタイプの人が大好きだけれど、しつこいようだがそれはあくまでも個人の好みでしかない。好きと嫌い、快と不快を、善悪とか優劣の問題にすりかえて語る行為はあまりセクシーではないので、その点には注意したいと思っている

 

私はこの春、大学生の頃から数えると一人暮らし7年目に突入した。実家は地方にあるのだが、父が単身で都内に住み部屋を余らせているので、そこに居候して家賃を浮かすことは、理論的には可能だ。父親とは仲も良いし、私は社会人になるタイミングでも全然普通にそこに住みたかった。父の方針が「子どもに絶対に一人暮らしをさせる」でさえなければ、きっとわたしも一人暮らしをしていなかった

世の中には私よりもずっと年上でも、親が実家を出るのを許さないという建前を語って自分の実家暮らしを変えられないものとする人がいる。一人暮らしにもそれなりの良さがあるけれど、わたしも親が心配するから〜とか言ってみたかったなとは少し思う。思うし、そうやって親のせいにして「本当は一人暮らしをしたいんだけど、、」みたいなことを言ってくる実家暮らしの社会人は確かに苦手だ。大人なんだから自分で決めてほしい。ただ、通勤圏内の実家で暮らす選択をすること自体は本当に自然だと思う

 

そう。東京に家賃をおさめずに住める家があったらそこに住むのは普通。実家暮らし、何にも悪くない

家賃補助の有無とか家にお金を入れているかとか、家事をするのが誰かとか、状況がかなり個別的な中で、一概に一人暮らしと実家暮らしを比べることはできないと思うのだけれど。それでも、大抵の実家暮らしは一人暮らしよりもお金が貯まりやすいはずで、家事から解放されやすいはずで、それが羨ましい。はっきり言って妬ましい

だから、実家暮らしの人にはどうか許してほしい。社会人4-5年目で実家暮らししてる人をなるほど…と思ってしまうこととか、実家暮らしの人を一律に自立していないと推定することとか、それくらいは許してほしい。実家暮らしなら30歳までに貯められたはずの約一千万円(ほんとか?)を自分が払うということに、その事実以上の意味を見出したがる一人暮らし勢のさもしさを許してほしい。一千万円の貯金と一人前認定はトレードオフ、ということにしておかせてほしい。前者が選択肢として存在する特権階級として、下々の「社会人5年目で実家暮らし…😅(俺も一千万貯めたい😭‼️)」という戯言を、どうか大目に見ていただきたい

 

実家暮らしで家にお金も入れず奨学金もなく現金以外の資産に投資をしているわけでもないのにお金が無いとか言う人のことはよくわかりません

身も蓋も元も子もない話

こんなツイートを見かけた。知らない男女の、マッチングアプリ上のメッセージのやりとり。

まず相手の男性については、ああ、疲れちゃったのねと思った。本人に言わなくてもいいことを言わずに飲み込んであげられないくらい疲れてしまっているのね

 

一口にアプリでマッチしたと言ってもその温度にはグラデーションがあって、しかも互いのお気持ちがその中で常に近い位置にあるわけでもない。

ただ冒頭の2人は、このスクショを見る限りお互い様なのかなあと思う。最後の質問に対する女性の答えとしては「返信に適当な質問をつける手間すら惜しいほどに会話を続けたい気持ちが無い」以外にないのでしょうし、男性も男性で、質問してるのが自分だけだと気に入らないような興味ない相手と話すのはやめたらどうかしらと思うし。お互い様かなあ

 

ツイート主の女性がどんな方かは知らないので置いておくとして、実際「会話のキャッチボールをする気がない女」というのは存在するらしい。アプリで知り合った男性の一定数は、そういう女と出会ってしまったときのつらさを話の種にしていた

ただ個人的には「あなたがちゃんとコミュニケーションとろうとしてくれるのが嬉しい」ということを伝えるために、今まで会ってきた他の女の子を下げるような話し方をするのは、正直やめた方がいいと思う

 

考えてみてほしいのだが、「あなたはどう?」が言えない女ってアプリの外にどれくらいいますか?友達の中にはそんな女っていないんじゃないですか?ということは、アプリで会話を続けようとしない女が誰ともキャッチボールをする気がない女であるとは限らないのでは?

彼、彼女が自分との会話に協力的でないとすれば、それはシンプルに話題か自分かその両方に興味がないだけである可能性が高い。誰かが自分に対して興味を持ってくれなかったという話を、自分が興味を持たれたい別の人に打ち明けてしまうのは、わりと悪手であるように思う。ただの「よく知らない相手」だった人が「他の女の子につまんないなって思わせたらしいよく知らない相手」に変わってしまう、かもしれない

何の話だっけ

 

そう。アプリでお互い大して興味がない状況で頑張って会話するのは大体しんどい。会ったこともツイートを見たこともないような人にあまり興味を持てないのは、多分そんなにおかしいことじゃない。だからしんどいなと思ったら、ヤケになってお互い気持ち良くない質問を相手にぶつけてしまう前に、自分ばかり質問してもストレスを感じないくらい惹かれる誰かに対してだけボールを投げ続けてみるとか、できるだけアプリ上で会話しないで済ませるとかいう方向に舵をきって動いてみるといいのかなと。男女問わず

 

わたしは冒頭のスクショを見て、自分だったら食べ物の話題が出た瞬間に、そこに関連させて会ってみるという話に移行しなかった時点で、おしまいにしてしまうなと思った。ざっくりどこでどんな仕事をしているのか、普段どこで外食するのか、都合の良いタイミングはいつか、を会うために確認していく以外のメッセージがとにかく苦手である。会う前にどれだけキャッチボールしたところで実際会って合わないなと思ったらどうしようもないし、ただただ面倒くさい

 

でもそんな私でも、以前付き合っていた人とは会う前にもそれなりにメッセージ上でちまちまとキャッチボールをしていた記憶があって。それはどうしてだったかなと思うと、考えるまでもなく、当時好きだった人とその人に大きな共通点があったから。そして私は当時彼氏が欲しかったからだった

結局、相手に対してそれなりの興味があったり、その面倒くささを乗り越えてでも恋人が欲しかったりすれば、億劫でも協力して会話を続けようとするのよね。投げられたボールをきちんと返すのよね。逆も然りで、残念ながら私の投げたボールが相手から返ってこないこともある。キャッチボールを成立させるためには、自分の怠惰なところだけでなく、相手の中の面倒くさいという感情にも勝たないといけない


人にはいろいろな顔があって、相手によって見せる顔は違うし、見せる顔が同じだとしても見た相手からの評価もまたそれぞれ違う。私がアプリ上で同じ定型文を二人から受け取ったときの感想はそれぞれ異なるし、私がまったく同じメッセージを異なる二人に送っても相手の感じ方や反応はきっと同じにはならない

だからアプリの女は受け身でつまんないとか アプリの男はヤリモクだとか急にキレてきてこわいだとか あんまり偏見持つのはどうかなと思うし、相手にこんな顔ばかり見せられるって発表することが自分の評価を下げる場合もあるような気はする。本当にコミュニケーションが破綻してる人も中にはいるのかもしれないけれど、アプリの女が揃いも揃ってどの男性に対しても受け身なんてことはなくて、アプリの男はどの女性に対しても弄ぼうとするなんてことも多分なくて、、

 

人(本人)によるし、そのひとがどんな顔を見せるかそれをどんな顔と見るかは人(相手)による。人によりすぎるので、それを面白おかしくネタにしようとすることでうっかり自分の好感度も下げてしまうのは何か元も子もないような、という話です、最初のツイートあんまり関係なくなっちゃった。おやすみなさい

日記_210331

お疲れ様です、そして年度末お疲れ様でした

わたしは19卒なので、今日は社会人2年目として働く最後の日。節目だし自分の3年目の目標を整理するためのブログを書こうと思って、導入部分は今朝の電車の中で書いていた。いたのだが、私の3月はなかなか終わらなかった。帰宅中に2年目の振り返りと今後の目標を統合して、それを自分で納得できるような文章に整えて公開して、家についたらお風呂に入って今日やりたかった分の試験勉強をして、というのはまず無理だと悟る22:22。にゃんにゃんにゃんにゃん。疲れたにゃん。いま会社を出ます。というわけでブログは諦めここに殴り書きをしておきたい(※この日記は当初noteに投稿していました)

 

ここ最近というか、1-2年目前半の重篤な職場イヤイヤ期を乗り越えてからは、わりと自分の中で今後進みたい道筋が見えて前向きな気持ちになっていた。第二新卒として転職するより、今ここで与えられる仕事を頑張りつつ、私の目指す道を先に歩いた先輩を頼ってみたり、受験生やってみたりしていくのが、たぶん結局は近道だなと。気を抜くと他所の芝生に見惚れてしまうけれど、そういえばそもそも自分がこだわって選んだ会社ではあるので、冷静に目をやると案外自分の足元も青い

明日から3年目のわたしが働くのは、3年目社員が代わる代わるメンタルをやって常に誰かしらが休職しているのを見てきた部署。4月から自分が3年目になるの怖すぎるな〜と漠然と思っていたところ、今日また一人若手の先輩が休職に入られた。その余波でわたしの3月もこの時間まで伸びたのだけれど、もう怖いというよりは楽しくなってきてしまったような気がする。積極的にご自愛しにいかないとまずそうな緊張感がある。絶対ご自愛2021

ご自愛といえば、その解釈や手段は人によって違うのだろうけれど、少なくとも私にとっては「息をしててえらい!」「寝て起きてえらい!」みたいなことではない。以前、コウペンちゃんが怖いというブログを書いた

コウペンちゃんに代表されるような、どう切り取っても優しく見える全肯定、そこに透けて見える無責任感がずっと苦手だ

「つらいならいつでも逃げ出せば良い(けれど、もしも不快に思うことすべてを避けていくのなら、どこかで歯を食いしばって踏ん張れる人には多分ずっと敵わない)」
「けれど、」の後に続く耳障りなことを、大人になってから教えてくれる人は多くない
地獄への道は善意で舗装されている - どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

コウペンちゃんみたいな優しさは「けれど、」の後を隠したがる。でもわたしの幸せはそれを隠した先には無いと思う。「けれど、」のあとに続くことから逃げずに向き合いつつ、とはいえ視野狭窄になって自滅しては元も子もないので、そのバランス感覚は3年目というか生涯の課題になるのだろうなと思っている。現実的に、逃げ出すとか歯を食いしばって耐えるとか、その辺りは程度問題にもなってくるでしょう

 

上を見上げたり手を伸ばしてみたり、それに疲れたら足元を確認してみたり、また上を見上げたりを繰り返しながら、私は私の人生をやっていくのだなと思う。思うというか、やっていくしかないのだなと覚悟が決まってきたというか

でもそうして腹を括ったところで、ふと自分の前や後ろに続いている回り道に目を向けてしまえば、いくらでも気は滅入る。たとえば同じ時間まで働いても、実家暮らしの先輩は帰ったらお母さんの作ったご飯を食べられて、平日家事をする気力がなくても食器や洗濯物が溜まってしまうなんてこともなくて。私が社会人になってから知って今受けようとしているこの資格だって、時間がある学生時代に合格している人は、こんな風に数年単位で寄り道せずストレートにその仕事に就けていて。そういうことを考え出すと本当にきりがないけれど、それでも私は私の人生をやっていくしかないのよね、わかっている

やっていくしかない、完全に近頃の口癖になってしまっていて、自分でもしつこいなと思うのだけれど、本当にやっていくしかないのよ。それ以外に言いようがない。一歩一歩すすむ。やっていくしかないし、多分私はやっていきたいのだと思う