どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

日記_210331

お疲れ様です、そして年度末お疲れ様でした

わたしは19卒なので、今日は社会人2年目として働く最後の日。節目だし自分の3年目の目標を整理するためのブログを書こうと思って、導入部分は今朝の電車の中で書いていた。いたのだが、私の3月はなかなか終わらなかった。帰宅中に2年目の振り返りと今後の目標を統合して、それを自分で納得できるような文章に整えて公開して、家についたらお風呂に入って今日やりたかった分の試験勉強をして、というのはまず無理だと悟る22:22。にゃんにゃんにゃんにゃん。疲れたにゃん。いま会社を出ます。というわけでブログは諦めここに殴り書きをしておきたい(※この日記は当初noteに投稿していました)

 

ここ最近というか、1-2年目前半の重篤な職場イヤイヤ期を乗り越えてからは、わりと自分の中で今後進みたい道筋が見えて前向きな気持ちになっていた。第二新卒として転職するより、今ここで与えられる仕事を頑張りつつ、私の目指す道を先に歩いた先輩を頼ってみたり、受験生やってみたりしていくのが、たぶん結局は近道だなと。気を抜くと他所の芝生に見惚れてしまうけれど、そういえばそもそも自分がこだわって選んだ会社ではあるので、冷静に目をやると案外自分の足元も青い

明日から3年目のわたしが働くのは、3年目社員が代わる代わるメンタルをやって常に誰かしらが休職しているのを見てきた部署。4月から自分が3年目になるの怖すぎるな〜と漠然と思っていたところ、今日また一人若手の先輩が休職に入られた。その余波でわたしの3月もこの時間まで伸びたのだけれど、もう怖いというよりは楽しくなってきてしまったような気がする。積極的にご自愛しにいかないとまずそうな緊張感がある。絶対ご自愛2021

ご自愛といえば、その解釈や手段は人によって違うのだろうけれど、少なくとも私にとっては「息をしててえらい!」「寝て起きてえらい!」みたいなことではない。以前、コウペンちゃんが怖いというブログを書いた

コウペンちゃんに代表されるような、どう切り取っても優しく見える全肯定、そこに透けて見える無責任感がずっと苦手だ

「つらいならいつでも逃げ出せば良い(けれど、もしも不快に思うことすべてを避けていくのなら、どこかで歯を食いしばって踏ん張れる人には多分ずっと敵わない)」
「けれど、」の後に続く耳障りなことを、大人になってから教えてくれる人は多くない
地獄への道は善意で舗装されている - どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

コウペンちゃんみたいな優しさは「けれど、」の後を隠したがる。でもわたしの幸せはそれを隠した先には無いと思う。「けれど、」のあとに続くことから逃げずに向き合いつつ、とはいえ視野狭窄になって自滅しては元も子もないので、そのバランス感覚は3年目というか生涯の課題になるのだろうなと思っている。現実的に、逃げ出すとか歯を食いしばって耐えるとか、その辺りは程度問題にもなってくるでしょう

 

上を見上げたり手を伸ばしてみたり、それに疲れたら足元を確認してみたり、また上を見上げたりを繰り返しながら、私は私の人生をやっていくのだなと思う。思うというか、やっていくしかないのだなと覚悟が決まってきたというか

でもそうして腹を括ったところで、ふと自分の前や後ろに続いている回り道に目を向けてしまえば、いくらでも気は滅入る。たとえば同じ時間まで働いても、実家暮らしの先輩は帰ったらお母さんの作ったご飯を食べられて、平日家事をする気力がなくても食器や洗濯物が溜まってしまうなんてこともなくて。私が社会人になってから知って今受けようとしているこの資格だって、時間がある学生時代に合格している人は、こんな風に数年単位で寄り道せずストレートにその仕事に就けていて。そういうことを考え出すと本当にきりがないけれど、それでも私は私の人生をやっていくしかないのよね、わかっている

やっていくしかない、完全に近頃の口癖になってしまっていて、自分でもしつこいなと思うのだけれど、本当にやっていくしかないのよ。それ以外に言いようがない。一歩一歩すすむ。やっていくしかないし、多分私はやっていきたいのだと思う