どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

ねえ知ってる?雨に濡れながら号泣したら、一周回って笑えてくるの

「あ、やばい、泣きそうだ」と思った。

日曜日の午後。外は小雨。かっこいい男の人と半日デートして解散して、表参道のスターバックスで一人、温かいミルクティーを飲みながらツイッターを開く。本当はジ・アレイでタピオカミルクティーを飲みたい気分だったけれど、一人で長蛇の列につくだけの気力はなかった。短時間睡眠で歩き回った疲れからか、やや眠気を感じつつ、それでも今夜一緒にお酒を飲める人がいないかタイムラインを探ってみていた。珍しくというか何というか、誰からも連絡は来なくて、なるほどこれが連休中の夜かと。

自分で言うのもどうかと思うけど、今日の私、わりと、結構、比較的、可愛かったのよね。私なりになかなか良い私を作れていたの。新しい服を着て、髪をゆるく巻いて、肌の調子も悪くなくて、カラコンを入れて、ネイルもちゃんとツヤっとしていて。それを誰かに可愛いと言われたかったんだと思う。多分それが足りなくて私は真っ直ぐ家に帰れなかった。病気かなとも思うけど、それくらい普段の私は、かわいいとか綺麗とか好きとかいう言葉を私が恥ずかしくなるまで言ってくれるような人に囲まれる幸せな環境にいるんだな、と改めて感じた瞬間でもあり。でも今夜は誰にも誘われなくて、誰にも誘われなかったときに「今夜空いてる?」って連絡できるような人にも何となく自分から声をかけられなかった。

話は少し変わるけれど、最近自分がどうしても一人で帰りたくない日に「今何してる?」と誰かしらに連絡できるようになって思ったのは、私が過去に好きだった時期に、私に気まぐれにそんな連絡を寄越してきていた好きだった人も、べつに私の好意を利用しようなんてつもりは更々無く単に寂しかったのかもしれないのだよなということ。私にはどうしても自分に対してわりと自由気ままに、率直に言ってしまえば身勝手な振る舞いをしてくる人に対して、自分よりずっと強い精神を持っているように思えてしまうところがあって。彼らには自分を肯定してくれる誰かと会いたいなんて気分になる瞬間など無いはずだと思い込んでいた節がある。

でも私が「この人は私の事好きだから」「この人は奢ってくれるから」なんて理由で誰かに予定を打診することが無いように、多分私が自ら振り回されに行った好きだった人にも「こいつの好意を利用してやろう」なんて意識はなかったんじゃなかろうかと。ただ誰かに会いたい夜があって、自分が会うだけで喜ぶ相手なら誘いやすくて、良くも悪くもそれくらいの気分でしかなかったんだろうなって。

そういえば映画「愛がなんだ」にもそんなシーンがあったな。自分のことを好きなナカハラを振り回していた葉子に対してテルコが「葉子ちゃんも寂しいとか思うことあるの?」と尋ねて、葉子が「あるよ」と怒っていたような。

……何の話でしたっけ。

そう。連休中日の夜に誰も釣れなくて、私は今誰にも会いたいって思われない人間なんだなって絶望して。あ、やばい、泣きそうだって思ってとりあえずイヤホンを外の音が聞こえないような大音量にしながらスタバを出て。駅のホームで帰りの電車を待ちながらずっと泣きそうで、電車に乗り込んでからも泣きそうで、乗換駅のホームを歩いているときにイヤホンから流れてきたのがAlan WalkerのOn My Way。涙腺にクるメロディーラインにもう耐えられなくなって、音も無くボロボロ泣いた。

ちょっと想像してみてほしいのだけれど、駅の構内や電車で一人ぼろぼろと涙を流している22歳の女はどう考えてもヤバい。絶対に近づきたくないと思うはずだ。ただ、普通の人は同じ電車に乗り合わせただけの他人のことをそれほど気にしていないので、俯いてスマホを覗いている女のサイレント涙には意外と気づかない。大丈夫。大丈夫ではないな。

 

とにかく私は、泣きながら最寄り駅に着いた。

地上に出たときには小雨だったから傘をささなかったけれど、運が良いのか悪いのか歩き出して数十秒で土砂降りになって。道行く人が傘をさし始めたり傘がない人が走って行ったりするのを視界には認めつつ、私はただすべてが面倒でそのまま歩いていた。

髪も顔も濡れてぐしゃぐしゃになって、もう自分でも涙なのか雨なのかわからなくなったとき、気付けば周囲には人がいなかった。気が緩んで歩きながら溜息をひとつついたら、それが嗚咽になって止まらなくなって。その後は前から人が来ても我慢できずに泣き続けたから、知り合いに会ってはいなかったことを願うしかない。

号泣しながらマンションの入口までたどり着き、玄関ホールの照明に照らされたときにやっと頭が半分冷静になり、今度は数分間歩きながら泣き続けた自分の滑稽さにジワジワ襲われた。なんと髪や身体を軽く拭きオートロックの鍵を解除しながら私は、笑みを浮かべていたのである。自分の部屋にたどり着くまで、知り合いを含め住人の誰とも会わなかったことを幸運に思うしかない。

ドアを開けて靴を脱いで、濡れた服を脱ぎ捨てながらベッドまで行って身を投げ出し、一頻り声をあげて笑った。泣くのにも笑うのにもつかれた頃、一人で「あー、ウケた」と言いながら立ち上がり脱ぎ捨てた洋服を拾い集め、洗濯機に入れてスイッチを押す。濡れてしまった革靴にも必要な処置をした。私は自分の心がダメな状態になっているようなときでも、こういうものを放置できる質ではない。今回はそれが完全に功を奏して、泣いて笑ってすっきりして、そのあと自分を半ば強制的に日常的な動作の中に置いたことで立ち直りが早かった。

人によってストレス発散方法はいろいろあると思うけれど、私は、泣くことでスッキリするタイプだ。正確に言うと、他の方法で発散を試みたところで誤魔化しに過ぎず、抑圧した感情がある閾値まで達するとサイレント涙が出てくる。それが呼び水となって声を上げて泣けて、ある程度発散できると今度はその情けなさに自然と笑えてきて、何だかんだ一人で吹っ切ってしまえてきた。

(過去にサイレント涙に触れた回→他人に差し出すティッシュは、目で見て手で触れる優しさだと思う。 - どんな言葉で君を愛せば、

 

今思えば私が連休中日の夜に一人でいたのは会社の同期や同僚からの誘いをすべて断っていたからであり、「私は誰にも会いたいと思われない人間だ」という落ち込み方はさすがに被害妄想すぎて笑ってしまう。涙が出てきた理由も一人が寂しくなったからだというのは一理あるけれど全てではなくて、上に書いたように、取るに足らないような感情が積もり積もって閾値に達したに過ぎないのだと思う。多分。

一頻り泣いたあとの憑き物が落ちたような感覚は、情事の後の爽やかな倦怠感に似ている。晴れやかで気だるくて、バカになっていた最中のことを思うと笑いが込み上げて来る感じ。私のTwitterアカウントのbioは今「ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり。このポエムはお前のことではないから安心して眠ってください」という個人情報ほぼゼロのポエムなのだけれど、実はこのハッピー賢者モードというのは一般にイメージされる事後だけでなく、泣いたあとのソロ賢者モードも含む。何もセクシーなことばかりしているわけではない。むしろ枯れてる。

ええと、何の話だっけ。

今回のブログにちゃんとタイトルをつけるなら、ストレス発散としての定期的な号泣のすすめ、とかになるのかしら。なんだか鬱々していたり何をしても虚しく感じてしまったりする自覚があるとき、何かを起点にして思い切り泣いてみると案外それだけで肩が軽くなったりするのではないかなというご提案でした。もちろんそれが雨の中である必要はないのだけれど!

最後までお付き合いいただきありがとうございます。ちょっと陰の回が続いてしまったので、次は一転して明るさ100%なことをお話したいです。おやすみなさい。さやかでした。

 

愛がなんだ (角川文庫)

別に、特別落ち込んでいるからこんなことを考えているわけではなく、

24歳で死にたい、とずっと思ってきた。

24という数字には大した意味はなくて、漠然と遠いような近いような、よくわからないけれど若いうちに死ぬといえば24くらいかな、と思っていた。もしかしたらクリスマスケーキ理論に影響されたのかもしれない。そして、来月で私は23になる。24とは言わず22で死んでしまいたい、とこの1年間も時折考えていたのに、ついに23まで生きようとしている。なんだかなあ。

私が初めて死にたいと思ったのは13歳の夏で、理由は今思えば取るに足らないけれど当時の私にとっては世界のすべてに思われたものだった。べつにクラスでいじめられていたとかでもない。端的に言ってしまえば、部活の顧問との相性が良くなかった。試合に出られない先輩にいじめられつつ、一緒に試合に出て勝てなかった先輩たちにいじめられつつ、それでも下級生だった私が勝ち取ったスタメンの座を、その人は自分が気に入られたい他の部員のために譲れと言った。私に拒否権などないことがわかりながら「いいよな?」と半笑いで言われた瞬間のことは今でも忘れないし、私はあの人のことを絶対に教員だとか先生だなんて言葉で呼びたくはない。

話が脱線してしまったけれど、それこそ血の滲むような努力も大人の匙加減ひとつで泡と消えてしまうのだと大袈裟に絶望した私は、そのことをきっかけに部活の時間が苦痛でしかなくなった。球技だったのだけれど、ボールが怖くてたまらなくなった。身体が竦み、顔を背けてしまい、ミスをしてはまた怒られた。怒られるだけなら良かったのだが、中学の体育会の顧問なんて人間よりも鬼に近い存在なので、動けずにいる私の身体に容赦なくボールを当ててきた。

私は部活ノイローゼのような状態になっていたのだと思う。逃げ出すこともできなかった。当時の私は学級委員をしていて、いじめられている子とも田舎の中学を仕切るギャルともそれなりに仲良くしていて、部活ではレギュラーを張りながら次期部長に指名されていて、なんというかつまり、自分で言うのもアレだけれど、典型的な「いい子」だった。両親は私をひどく甘やかすこともしなかったけれど、私がそういう子どもであることを喜ばしく思ってくれていたと感じるし、実際に学校の行事で親から子どもへ手紙を送るという企画があったとき、そこにもそう書かれていた。あなたのことを誇りに思っている、と。

そんな調子で、自分はいい子でなければならない、部活が嫌だからって逃げ出すような情けない姿は誰にも認められない、などと思い込んでしまった私が最終的に出した答えは「部活から逃げるには、もう死ぬしかない」だった。

馬鹿でしょう。世界が狭いでしょう。

来月には死ねるから、来週には全部終わるから、今日だけ頑張ろう、そう自分に言い聞かせないと部活に行けない日々を過ごして、ある水曜日の夜に自室で首を吊った。意識は飛んだけれど、物音で階下にいた母親に気付かれたらしい。目が覚めたら私はベッドに寝かされていて、横では母が泣いていた。

 

それからもう9年が経つのだ。

9年間、死にたいとカジュアルに思ったことは星の数ほどあった気がするけれど、自ら積極的に死のうと思ったことは一度もない。

親よりも先に子どもが死んでしまうことは、逆順とされる。順とは道理、逆順とはつまり道理に反すること。親より長生きすること以上の親孝行は無いとはよく言ったもので、逆順の喪失(親から見た子の死)は悲嘆の心理学の世界において人間の心に最も深くて大きな悲しみを引き起こす要因であるとされていて、おそらくそれは人間の動物的な本能によるものだと思われるのだけれど。

「人間も含めた動物の本能的な行動や精神活動は、それぞれの種が生きている生活環境の中で、各々の個体が自分の遺伝子を子孫に伝えることができやすいパターンに形づくられている」ので、たとえば子どもや大切な人を失った悲しみを強く感じるのは、少産保護戦略(少なく産んで大事に育てる)且つ大きな脳にたくさん本能を装備した人間にとって「もう二度とそんなことが起こらないように」という気持ちを強く持つこと(その気持ちによって行動に影響が与えられること)は、生存・存続の上で欠かせないものだということになります。ライオンに襲われて子どもを失ったとき、深い悲しみを感じてもう二度と襲われないようにと周囲を一層警戒するようになったヒトと、子を失っても何も感じずにライオンを警戒するようにならなかったヒトでは、おそらく前者の方が生き残ってきたはずだ、ということです。

遺伝子が人を失恋で死ぬように設計したわけがない - どんな言葉で君を愛せば、

私は死のタイミングとその方法を選ぶことは究極のワガママだと思っていて、そのワガママを通すと両親を最も酷い悲しみの中に取り残すことになる……というわけで、両親を悲しませたくないという感情が私に親より先に死ぬことを許さない。

そういえば、あわよくば死にたい、そしてそのついでに誰かの役に立てたら最高だと思って高校生の時に臓器提供意思表示をすることにしたのだった。もちろんあわよくば死にたいだなんて誰にも話したことはないけれど、娘が脳死になったときのことを考えたい親などいないだろう。当時、両親は微妙な顔をしていたし悪いことをしたと思う。今も私はあらゆる状況であらゆる臓器を提供すると免許証の裏に宣言している。もう成人してしまったから、そこに両親のサインはない。

 

あわよくば死にたいが、両親を深く傷つけるのは嫌だから二人が生きている間に自分の意志で死ぬなんて選択はできない。関わった誰かに責任感や罪悪感を感じさせるのも本望ではないから相手がいる交通事故も嫌。ついでに腕を切るとか飛び降りるとか痛そうなのも嫌。

私は親しい人を亡くしたり目の前で誰かの死を直接見たりするうちに人間の命なんて呆気なく終わってしまうものだと思うようになったのだけれど、終わってみれば呆気ないわりに、実際のところ、終わりまでが果てしなく長いように思われる。苦しまず痛みを覚えずに死ぬのは案外難しいのだ。

この文脈で、安楽死という選択肢を思い浮かべる人は多かろうと思う。安楽死について調べたことがある人はどれくらいいるのだろうか。今のところ、日本人が安楽死できるのはスイスだけらしい。費用はおよそ200万円でそれほど高くないが、ドイツ語で死にたい理由を説明して協力者たちを納得させなければいけないのだと聞いていた。ドイツ語なんて学生時代に第二外国語の単位が回収できてからは一度も触れていない、これは無理だ……と思っていたらどうやら英語でも聞いてもらえるそうだ。

私の身で考えると、費用面は問題なし。英語も多分大丈夫。でも死にたい理由として、何をどう話せばいいだろう。「24歳で死にたい、とずっと思ってきた。24という数字には大した意味はなくて、漠然と遠いような近いような、よくわからないけれど若いうちに死ぬといえば24くらいかな、と思っていた」なんて言った日には日本に帰されそうだ。そもそも幸せなことに両親が健在しているので、彼らが生きていてくれる間は私もスイスで眠ることを夢見るわけにはいかないのだった。

 

さて、まとまりも突拍子もない不謹慎な思いを打ち明けてきてしまって、ここまで読んでくださった方を不快にしてしまったなら申し訳なく思います。色々なことが空回りする日々で多少気持ちがまいっているのは事実ですが、わりと普段から薄っすらと意識の中にはあることをそのまま書いてみました。タイトルにもした通り、特別落ち込んでいるからこんなに暗い内容になっているわけではないし、このブログを遺書にしたりとか「おやすみなさい」を最後の言葉にしたりとかするつもりは毛頭ないのでどうかご心配なく。

ツイッターでポエムを発した直後に会った人にはよく「ツイート見てると心配になるけど元気そうで安心した」と言われますが、本当にそんな感じです。実はジムで体幹鍛えながら「泣けちゃう」とかツイートする日もあります。泣きたくなる気持ちにも人生は長すぎるなあと思う気持ちにも全く嘘はないのだけれど、いかにも大丈夫っぽく生活できてるならそれは十分大丈夫だよね?私って、大丈夫ですよね?

お読みいただきありがとうございます。おやすみなさい。さやかでした。

小早川秋聲ー無限のひろがりと寂けさとー

おはようございます。こんにちは。さやかです。土曜日の夜は日曜日の朝寝た(他に言いようがない)ので昼夜逆転してしまったかと思いきや、昨夜は23時前から睡魔が襲ってきてくれて、寧ろいつもより早くウトウトし始め、そして月曜日である今朝は昼の12時に起きました。

……というツイッターに書けば済むような話をわざわざブログに書いているのはしばらく@oyasumitteのツイッターをおやすみすると決めてログアウトしているからなのですが、結局必要なDMを見るためにログインはする予定だし、何の為なのか自分でもわかりません。とりあえずおすすめしたかったのでブログを更新してその通知をツイッターで流すという回りくどすぎる方法でご紹介するのはこちらです。

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従軍画家であった小早川秋聲の回顧展。目玉は陸軍の依頼で描かれたのにも関わらず受け取り拒否された「國之楯」です。

筆舌に尽くしがたいとはこのことなので、もう時間があるならとりあえず見に行ってください。今夜18時までです。もっと早く夏休みのうちにご紹介できればよかったのですが、私もすっかり忘れていました。情報感度が落ちていて良くないですね。もう一度言います。京橋の加島美術で今夜18時までです。ぜひ。