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ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

カプセルホテルに泊まってはいけない人の特徴1選


こんばんは。「まだ3年目」と言える年度が終わろうとしています。25歳会社員のさやかです。

先日、人生初のカプセルホテルに泊まってきました。泊まってわかったことは、私はもうカプセルホテルを使わないほうがいいらしいということ。

他にも利用してわかったことはいくつかあるので、忘れっぽい自分がいつかまた血迷ってカプセルホテルに挑戦しないよう、書き留めておこうと思います。

 

カプセルホテルが合わない人

今回私が利用したカプセルホテルがこちら、ナインアワーズ博多駅前。他のカプセルホテルを知らないため比較はできないものの、初めてでも利用方法がわかりやすく、綺麗で快適で良いホテルだった。

経験としてカプセルホテルに泊まってみたいとは思いつつ、予約した時点で懸念していたことはたった一つ。単純に、ベッド以外のすべてが共用だと落ち着かなかったり不快感があったりするだろうなということ。

結論としてはあまり気にならなかった。

ただ、私の利用したシャワールームが、掃除されたままの状態であったことが、要因として最も大きいかもしれない。チェックイン後まずシャワーを浴びるのはおすすめ。

それから、睡眠とシャワー以外にもホテルで過ごす時間がある場合、パーテーションで囲われたワークスペースがあるかどうかも満足度にかなり影響しそうだと感じた。ナインアワーズ博多駅前にはこれがあり、軽く飲みながらオンライン講義を受ける場所に困らなかった。人の視線を感じずに机に向かえるのは強い。

 

さて、カプセルホテルに泊まったことがない人が真っ先に気にするのは、果たして私が心配していたようなことだろうか。

個人的には「眠れるの?」という疑問が真っ先に浮かぶのではないかと思う。

結論から言えば、眠れた。しかし私は、カプセルホテルは普通に落ち着いて眠ることができる場所だと断言することはできない。その理由は私の普段の寝つきの悪さにある。

とにかく寝つきが悪い。寝るまでに平均2時間かかるし、結局朝まで眠れない日もある。嬉しいことではないが、これ以上悪くなることがないとは言える。実際、飛行機・新幹線・夜行バス等の乗り物に乗っていても普段と寝つきは変わらない。

 

だから今回、睡眠不足の身体に少しお酒を入れてカプセルに入り、乗りたい電車に間に合う起床時間にアラームをセットして、いつもどおりに就寝することは容易かった。

その結果がこのとおり。大寝坊である。

 

おわかりいただけただろうか。

知らない人間が使った後の濡れたシャワー室を使いたくない人にも、知らない人間の視線がある場所では落ち着けない人にも、ホテルと使い方さえ選べばカプセルホテルは優しい。全然イケる。

カプセルホテル泊におそらく向かない人のたった一つの特徴、それはカメラロールに身に覚えのない黒とオレンジのスクリーンショットを残す癖があることだ。これがある人だけは、絶対に慎重になった方がいい。同じ轍を踏む可能性がある。

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私は健康診断でひっかかるレベルの低血圧である。とても朝に弱い。週の半分はiPhoneのアラームを最大音量にして4〜5時起き、もう半分は同じ爆音アラームを約15分起きに2時間以上鳴らして7時にやっと起きている。

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こんなに気持ちの悪いアラームのかけ方をして、それでもまだ起きられず、家を出ないと遅刻する時間の5分前に飛び起きて首の皮一枚繋がる朝もある。そんな日は大抵、カメラロールにあの黒とオレンジのスクショがいる。

 

考えてみてほしい。これといった防音機能は無さそうなカプセル。視線こそ避けられるが広い意味では他人との共有空間である。

私のような小心者は、寝ている間に耳からエアポッズが外れ、非常識な音量のアラームがフロア中に鳴り響くことを想像する。怖すぎて、起きたい時間だけに控えめな音量のアラームをセットしてしまう。そんな音で起きられるわけもないのに。

 

起きたい時間があるのにうっかりスクショなど撮りながら手探りで不快なアラーム音だけを止め、平気でまた眠ってしまう私のようなタイプは、普段のようにアラームをかけられないカプセルホテルには泊まらない方がいい。

そんな人でも起床時間に縛りがなくアラームが必要なければ問題なさそうに思えるが、そのゆっくり眠れる状況で寝心地の良くないカプセルホテルを選ぶ意味は、正直よくわからない。

 

 

まだ私が大学生だった頃、地方から東京に出て就活する友達が、カプセルホテルを使っていました。

社会人になりたての頃、会社の先輩から「20代の頃は早朝に仕事が終わると家まで帰る時間も惜しく、近くのカプセルホテルでシャワーを浴びて少し横になってから出社することもざらにあった」という昔話を聞きました。

あれからずっと気になっていたカプセルホテルですが、なんと騒音無しで起きられる寝起きのプロだけが眠るのをゆるされる場所でした。

社会人3年目も終わるこのタイミングで、数年越しにそれを知ることができてよかったです。

 

これから就活をする大学生がこのブログを読むことがあるのか、オンライン面接が主流となった時代に就活のためにカプセルホテルを使う大学生がどれだけいるのかわかりませんが、もしいたら、寝られるかよりも起きられるかどうかを考えてみてください。私のように身に覚えのない朝方のスクショ常習犯の場合、多少はお財布を痛めても普通のホテルに泊まる方がいいかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございます。おやすみなさい、さやかでした

浮気ってするかしないかじゃない、バレるかバレないかだ

タイトルのとおりです。タイトルのとおりなのだけれど、結論を急ぎすぎると避けられる誤解を生むことは匿名で3年もインターネットをやっていればわかるので、少し順を追って書いてみたい。


先日、マシュマロでこんな質問をいただいた。 f:id:oyasumitte:20220313185249j:image

質問にそのまま答えるなら、私の中で浮気の決定的なラインは枕を交わしたかどうかというところにある。ただ、具体的な行為について浮気か否かの線引きをすることに、大きな意味はないとも思っている。その理由は二つ。

 

第一に、個人の中で浮気がどの行為を指すかに関わらず、不実施の証明は基本的にできないということ。

きっと浮気をしないだろうという信用を日頃の行いで積み上げることはできても、浮気をしていないことの証明は、お互いを一個人として尊重する付き合い方をしている限り、およそできない。

いや、スマホの検閲のような相手のプライバシーをめちゃくちゃに侵害する方法をとったとしても尚、恋人が浮気をしていないという確証は得られないだろう。起きていないことの証拠はどこにも無い。

異性と二人で飲みに行くのが浮気でも、手を繋いだら浮気でも、他の子を可愛いと思ったらもう浮気でも、それが起きていないことの証明はできない。問題は、相手を信じるか信じないか。

 

信じるか、信じないか。逆の立場から言えば、信じさせられるか、信じさせられないか。具体的な行為に対して浮気かどうか判断することが、あまり重要ではないと思う二つ目の理由はそこにある。

はっきり言って、「信じさせられない」の中で最悪の形が浮気という事実の発露であることを除いては、浮気行為の有無と相手を信じさせられるかどうかとは関係がないと考えている。

浮気しないのは愛だ。そして浮気していないと信じさせられるなら、その態度ももう愛と呼んでいいと思う。

散々当てこすっている元々彼をはじめ、私が社会人になってから付き合った人たちに対して思っていたことはそれに尽きる。その仕事で、その働き方で、その生活の隙間で私にこれだけの時間を割いて、その上で他の異性とも何かする余裕があるのなら、それはもう才能だから仕方ないと思っていた。甲斐性(と性欲)の鬼だ。 正体なんか鬼でもよかった。私から見えるところで、人間でいてくれるのならば。

何の話だっけ?

 

つまり、浮気ってするかしないか、されるかされないかという問題ではなくて、していると思わせない努力をするかどうか、それを信じることにするかどうかの問題だと思うのだ。

大事なのは、自分が相手の行動を見て不快だったり不安だったりするなら、それを伝えるか伝えないか、伝えるならどう伝えるか、相手がそれを受けてどうするのか、その選択を受けて自分が相手を信じたいと思えるか。

「恋人がいるのに異性と二人で飲みに行くって何考えてるの?」という不快感は理解できるし、わたしは過去の恋人に散々それを問われた側なので「異性っていうか友達ね?」という言い分もわかる。異性の友達と飲みに行きたい側が譲れない場合、それを隠すのと明らかにしておくのとはどちらが誠実なのかという話もあるし。

改めて、二人の間にしか答えは無いなと思います。浮気について質問をくれた方が、相手と良い落としどころを見つけられていますように。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

おやすみなさい、さやかでした

タオルを煮る人、煮ない人。

我が家のバスタオルに、雑菌臭のようなものがついてしまった。洗って乾かすと無臭だが、つかって濡れた瞬間に少しにおう。そういえば少し前に洗剤を替えたのだ。使っていた洗剤が廃番になってしまい、仕方なく。そのタオルは人からいただいたお気に入りだったので、とても残念には思いつつ、鋏を入れて、燃えるゴミとして出した。洗剤も買い替えようと思いながら。

 

そして翌朝、こんなツイートを目にした。

ついているリプライを見ると、煮沸したりレンチンしたり、タオルのにおいをとる方法はいろいろあることがわかる。わかるし、まず高温のお湯で洗ってみるという手段があることは私もさすがに知っている。でもやるかやらないかと聞かれると、やらない。思えば一人暮らし歴ももう丸7年になるが、タオルを煮たことは一度もない。

 

タオルを煮る人、煮ないで捨てて新しいものを買う人。

両者は確かに違うのだけれど、この違いを相容れない価値観の違いと言ってしまうのは早計かなと思う。嫌なにおいがしないタオルを使いたいという方向性は一致しているからである。

両者が一緒に暮らすとして、古いタオルを捨てて新しいものを買う派の人は、相手が好きでタオルの煮沸をして消臭してくれるのであれば、文句は無いのではないか。一度においがついていたものは煮ても気持ち悪いと感じる潔癖症か、煮てまで使うなんてさもしいという感性を同時に持っていない限り。もしくは、タオルを煮る人が、好きで煮ておきながらそれを名前のない家事だとか、あなたの知らない私の大変さみたいなものにカウントしてこない限り。だって、においが気になるなら、そして煮るのが手間なら、買い替えればいいとこちらは言っているのだから。

 

人が二人以上で暮らすときの問題は、不潔感の許容度合いが大きく違って、そこに個人の強いこだわりが重なったときに顕在化する。不潔感(実際に不潔かどうかではなく主観的に不潔だと感じること)の許容度合いとはつまり、濡れるとにおうバスタオルに対して、このままでは使えないといつ思うかだ。

それでも、先に使えないと感じる人が自発的に対処して、まだ使えると思う人が特にこだわりなく受け止めれば問題にはならない。揉めるのは、たとえば実際にタオルの手入れや管理をする側の人の方が許容度が大きいときや、許容度が大きい側の人が「まだ使えるのに捨てる」ことをゆるせないとき。

私は、タオルの扱い方みたいなところで揉めて一緒にいられなくなるなら、それは価値観の違いと言うより衛生観念の問題とする方がしっくりくるのでは……と感じていたのだけれど。少し考えてみれば、求める清潔感の基準が違っても揉めるとは限らず、たとえ基準が一致しても揉めないとは限らない。

あるタオルについて、このままでは使えないと思うタイミングのずれが衛生観念の違いで起こるとすれば、このタオルはもう使えないと諦めるタイミングは価値観の違いでずれる、と言ってもいい気がしてきた。

 

価値観という言葉で括るにはささやかすぎるような話ですが、25歳にもなると恋愛ってもう生活で、こういうところが合わない相手とは続かないなと思うのです。好きになってからならきっと飲み込めたような違和感を好きになる前に拾い上げてしまい、関係が続かないどころか何も始まらない今日この頃。アラサーに恋は難しい。

あいつのこういうところもああいう感覚も全然合わないし喧嘩してばっかり、でもまあ好きなんだよね、と笑う友達が眩しくてたまりません。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

わたしが顔用タオルとして愛用している今治タオルの「kontex プリマベーラ」を載せて終わります。洗えば洗うほどやわらかくなるし、乾くのが速く、色も可愛いのでえらい。

からだ用も今治タオルで、「御白金浴巾」のシリーズを使っています。ほどよく厚くてナイス。

おやすみなさい、さやかでした!