どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

きれいなもとかれ

フォローしているインスタグラマーの質問コーナーに「20年前の元彼が忘れられない」という相談が寄せられていた。回答は「無理に忘れる必要はなく大事な存在として自分の中にしまっておけばいい」というアドバイスで、それはとても正しいし、それ以外言えないよなとも思う

ただ、正直なところ、20年前の元彼が忘れられない人が忘れられてないのは20年前の元彼じゃないよなあと、ちらっと思ってしまったのは事実だ。だって2年前に付き合っていた元彼のことをよく思い出している私が思っている元彼ですら、もう既に2年前に付き合っていた元彼ではないのだから。2年前ですら、況や20年前の元彼をや、と

今書いていることは本当に、自分以外の誰をチクチクしたいわけでもない。シンプルに羨ましくて仕方ないのだ。元彼が忘れられないと言い切れることが

私がよくツイートしていた「元彼」は、厳密に言うと2年前に付き合っていた「元彼の前の彼氏」で、もっと正確に言えば「元彼の前の彼氏の顔をした、元彼の前の彼氏に関する記憶を美化して抽象化して寄せ集めた何か」だ。実在しない。きれいなモトカレ

f:id:oyasumitte:20220306031637j:image

(『ドラえもん』「きこりの泉」より)

 

未練があるわけじゃない。未練ってちゃんと相手のことを覚えていないとタラタラできないはず

でも好きだなと思った瞬間も、引くほど嫌だった行為も、今思えば私が酷すぎたなって場面も、不意に思い出すことはある。生理だから会えないよって私が言った日に「いつも身体目当てなの?」って茶化して会いたがってくれたのは嬉しかったなとか。何かと試されてばかりでうんざりしてたなとか。黙って迎えに来た彼を私が部屋に上げたくなさすぎて外で待たせたこととか、私の友達を紹介してほしいって言われたのに無理って即答したこととか、あったなって

そういう記憶のパーツひとつひとつが、そんなに美化されているとは思えない。自分がひどい人間だった記憶なんかは特に鮮明すぎて頭を抱えたくなる。でもそれを積み上げた結果の、一人の人としての元彼像は、やっぱり元彼の前の彼氏の顔をした、元彼の前の彼氏に関する記憶を美化して抽象化して寄せ集めた何かだよなと思ってしまう

何の話だっけ

何の話だったかわからないけれど、とりあえず私の言う元彼は元々彼であって全然元々彼ではなく、私は元々彼のことを覚えていないとも忘れられないとも言えない。復縁なんて無い事も、自分からはLINEも送れない状況を作った自分が一番よくわかっている。しかも元々彼がいない今の自分は全然不幸でなく、付き合っていた頃より確実に幸せだ。それなのに「元彼が忘れられない」と確信をもって言い切れる人を眩しく見てしまう私は、お前は、どうしたいのでしょうね

ひとつ言えるのは、ツイートする「元彼へ」には「みんなたちへ」とまったく同じ意味しかないということです

 


元彼へ 今日も月が綺麗です 幸せでいてください

30というスペシャルな数字

f:id:oyasumitte:20220306033225j:image

好きなバンドマンがインタビューで言ったこと。

「人って30歳を越えるまでにやってきたことって、そう簡単に変えられないと思うんですよ。無意識に言い訳して、逃げると思うんです。でも、そういうふうに生きてきたからしかたない。だったら、無理やりにでもそういう(強制的に自分を見つめ直すような)状況を作るしかない」

SHANK "STEADY" INTERVIEW!!

直近見た映画で気になった台詞。

「人は早く立ち直ろうと自分の心を削り取り 30歳までにすり減ってしまう 新たな相手に与えるものが失われる だが何も感じないこと…感情を無視することはあまりに惜しい」

フォロワーがおすすめしていた動画のタイトル。

「30までにとうるさくて」

 

30の何がそんなにスペシャルなのでしょうか、とは言いつつわたしも24歳から25歳になった瞬間「アラサー」を自称しだしたし、周りを見てても34歳まではそれが続くっぽいし、30の引力すごい。三十路って言葉は結構古そうだし、何かあるんでしょうね、30歳という年齢には。人に何か特別な意味を持たせたがる力的なものが。

いや、私自身がアラサーになって、周囲にも当然アラサーの人が多いから何となく30が頻出したり印象に残りやすかったりしているだけで、実は「人は18歳までに経験できなかったことを永遠に求め続ける」とか「3歳の時の性格は100歳になっても変わらない」とか30以外の数字も同じくらい言われているような気がしてきたのでこの話は終わりです。

 

ちなみに前述の映画は Call Me By Your Name, 『君の名前で僕を呼んで』でした。それこそ30代になってからまた見直したら違う感想が残りそうな映画かな。好きか嫌いかで言ったら好きだけれど、台詞含め結構引っかかるところが多いから没入して泣いてすっきりしたいときに見る映画じゃないな、個人的には〜という感じ。

君の名前で僕を呼んで(字幕版)

おやすみなさい、ささやかでした

笑う、と呟いた瞬間の真顔とか下着とか

f:id:oyasumitte:20220122234311j:image

自分が嫌なやつだなと思った話をする。2022年最初のブログ投稿で。

音楽も映画も、読書以外のインドアな趣味はほとんどサブスクで楽しむようになって久しい。毎度課金はしない分、気になったものに手を出すハードルは以前より大分下がったはず。一方で、何かを見たり聞いたりした事実、好みだったかどうかに関わらずその履歴が、後の機械的なオススメの内容に影響してくる。それを考えると、好みでない作品、つまり外れを引いて履歴を濁らせたくないという変な感情が生まれてきてしまった。嫌なやつだなと思う。

私はそんなに何かを購読している方ではないけれど、とりあえずSpotifyのリコメンド機能はすごいと思ってきた。毎週更新される自分専用のおすすめプレイリストがとても澄んでいたのである。そのリストの中で特に惹かれたアーティストのページに飛んで一通り聞いてみると、結局Spotifyがプレイリストに入れてきた一曲が抜群に好きで。以前、よく聞く曲リストは下着みたいなものだという走り書き(本棚って下着かもしれない|さやか|note)をしたけれど、今もそう思っている。

当然ではあるが、Spotifyが自動で出してくるおすすめは、その、人に見せる用ではない好みに沿いすぎているのである。「笑う」とツイートした瞬間の真顔を横から覗き見られたような気恥ずかしさを伴う感動がある。取り繕っていない自分の好みが、ちょっと引くほどストレートに反映される場所だった。

それが、元恋人にアカウントを貸した瞬間に一瞬で濁る。本当に一瞬だった。彼の再生履歴を私の好みと誤認しているSpotifyのおすすめはほとんど私に刺さらなくなり、すっかり見なくなってしまった。良くも悪くも、履歴が提案に反映されすぎる。それが課金とは違うハードルになって、新鮮な驚きを求めることへの腰が重くなってきたのは、シンプルに自分のよくないところだなと思う。

悔しくて嬉しいのは、その濁りの中に、今となっては長崎まで追いかけていくほど大好きなバンドがいたこと。彼と別れた翌朝に何も考えず言った「アレクサ、音楽流して」に、アレクサがそのバンドの、私が結局一番好きになる歌を流してきたこと。おすすめの全部が自分に刺さるわけでも、全部が刺さらないわけでもなかったこと。陸からでも水底がよく見えるような澄んだ流れだけを眺めていたら出会えない魚がいるのを、私はもう知ってしまっていること。

何を言いたいかというと、自分の好みに基づいて勝手に目の前に現れてくる、見る前からちょっと好きなものばかりではなくて、誰かが面白いと言うものに素直に飛びついてみる気持ちを思い出したいな2022!という話です。勝手に目の前に現れてくるものを自分の好みでかためるために何かを躊躇するのをやめたい、という話でもあります。

映画でも本でも音楽でも、まずは好きな人たちの好きなものをもっと知りたい。それが自分にとって一番素直に飛びつくハードルの低いところだから。結果的に履歴とかそこに紐付くリストが自分の好みからブレても、そのブレ幅を楽しむ余裕を持ちたい。

 

ちなみに私は映画だと壮大な伏線回収ものが大好きなのですが、壮大な伏線回収ものの良さを伝えようとするときに人は壮大な伏線回収ものであることを言ってしまいがち問題、何とかなりませんか?すすめるときにもすすめられるときにも困っています。壮大な伏線回収ものであると知らずに壮大な伏線回収ものを見たい。わたしに壮大な伏線回収ものをおすすめくださるときは「とにかく面白いから黙って見ろ」と言ってください。注文が多くてごめんなさい。

かけてもらえる期待と見せてもらえる趣味に、より一層素直な気持ちで応える一年にします。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

余談ですが、サムネイルに使った画像は、近畿大学図書館の診断コンテンツを利用した結果です。自分の過去のツイートからいつも思いもよらない本を出してきてくれて、なかなか面白いのでぜひ!

近畿大学 アカデミックシアター 診断コンテンツ