どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

タオルを煮る人、煮ない人。

我が家のバスタオルに、雑菌臭のようなものがついてしまった。洗って乾かすと無臭だが、つかって濡れた瞬間に少しにおう。そういえば少し前に洗剤を替えたのだ。使っていた洗剤が廃番になってしまい、仕方なく。そのタオルは人からいただいたお気に入りだったので、とても残念には思いつつ、鋏を入れて、燃えるゴミとして出した。洗剤も買い替えようと思いながら。

 

そして翌朝、こんなツイートを目にした。

ついているリプライを見ると、煮沸したりレンチンしたり、タオルのにおいをとる方法はいろいろあることがわかる。わかるし、まず高温のお湯で洗ってみるという手段があることは私もさすがに知っている。でもやるかやらないかと聞かれると、やらない。思えば一人暮らし歴ももう丸7年になるが、タオルを煮たことは一度もない。

 

タオルを煮る人、煮ないで捨てて新しいものを買う人。

両者は確かに違うのだけれど、この違いを相容れない価値観の違いと言ってしまうのは早計かなと思う。嫌なにおいがしないタオルを使いたいという方向性は一致しているからである。

両者が一緒に暮らすとして、古いタオルを捨てて新しいものを買う派の人は、相手が好きでタオルの煮沸をして消臭してくれるのであれば、文句は無いのではないか。一度においがついていたものは煮ても気持ち悪いと感じる潔癖症か、煮てまで使うなんてさもしいという感性を同時に持っていない限り。もしくは、タオルを煮る人が、好きで煮ておきながらそれを名前のない家事だとか、あなたの知らない私の大変さみたいなものにカウントしてこない限り。だって、においが気になるなら、そして煮るのが手間なら、買い替えればいいとこちらは言っているのだから。

 

人が二人以上で暮らすときの問題は、不潔感の許容度合いが大きく違って、そこに個人の強いこだわりが重なったときに顕在化する。不潔感(実際に不潔かどうかではなく主観的に不潔だと感じること)の許容度合いとはつまり、濡れるとにおうバスタオルに対して、このままでは使えないといつ思うかだ。

それでも、先に使えないと感じる人が自発的に対処して、まだ使えると思う人が特にこだわりなく受け止めれば問題にはならない。揉めるのは、たとえば実際にタオルの手入れや管理をする側の人の方が許容度が大きいときや、許容度が大きい側の人が「まだ使えるのに捨てる」ことをゆるせないとき。

私は、タオルの扱い方みたいなところで揉めて一緒にいられなくなるなら、それは価値観の違いと言うより衛生観念の問題とする方がしっくりくるのでは……と感じていたのだけれど。少し考えてみれば、求める清潔感の基準が違っても揉めるとは限らず、たとえ基準が一致しても揉めないとは限らない。

あるタオルについて、このままでは使えないと思うタイミングのずれが衛生観念の違いで起こるとすれば、このタオルはもう使えないと諦めるタイミングは価値観の違いでずれる、と言ってもいい気がしてきた。

 

価値観という言葉で括るにはささやかすぎるような話ですが、25歳にもなると恋愛ってもう生活で、こういうところが合わない相手とは続かないなと思うのです。好きになってからならきっと飲み込めたような違和感を好きになる前に拾い上げてしまい、関係が続かないどころか何も始まらない今日この頃。アラサーに恋は難しい。

あいつのこういうところもああいう感覚も全然合わないし喧嘩してばっかり、でもまあ好きなんだよね、と笑う友達が眩しくてたまりません。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

わたしが顔用タオルとして愛用している今治タオルの「kontex プリマベーラ」を載せて終わります。洗えば洗うほどやわらかくなるし、乾くのが速く、色も可愛いのでえらい。

からだ用も今治タオルで、「御白金浴巾」のシリーズを使っています。ほどよく厚くてナイス。

おやすみなさい、さやかでした!