どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

金星

付き合い始めたばかりの彼氏に匿名アカウントささやか (@oyasumitte) | Twitterを特定されていると知った日、その人と別れるかアカウントを消すか、真面目に天秤にかけていたことを思い出す。

このアカウントがなければ始まらなかった人間関係は少なくなくて、そういう意味ではどうでもいい場所ではない。加えて、わたしはツイッターにこそ課金していないけれど、そこに紐付けているこのはてなブログにはお金を払って独自ドメインで長文ポエムを書き連ねている。さやかという人格をなかったことにするには、ここも消す必要があった。

ちなみに、一応Amazonアソシエイトになれたので本を紹介するときにはアフィリエイトリンクを使うけれど、その収入は年間2,000円程度。ドメインとはてなブログproの年会費を考えれば、大赤字の趣味である。

収益こそないものの、2年半ほどかけてドメインにそれなりの数字を積み上げてきたし、何の幸運かこんな長文ポエムを読者登録して読んでくださる方が231人もいる。ツイッターとはてなブログ、両方からなるさやかという人格を捨てるのは正直言って当時の私には惜しかった。今も惜しい。

 

結果としては、当時の彼氏とその瞬間に別れることはなかったし、ここを消すこともなかった。彼が明らかに快くは思っていなかったこの趣味を手放すことができるほど、私は彼のことが好きではなかった。でもそれを理由に別れようと言えないくらいには寂しくて、寂しさにまかせて一緒にいる間に彼を好きになっていたような気がする。

もう1年半以上前のことなので記憶は曖昧だけれど、私が彼を好きになったあとも何度か、さやかの交友関係で彼と揉めた。それが別れる理由に繋がったのかはわからないけれど、もし、あの日違う選択をしていたらどうなっていたのだろうと、今になって考えている。

特定されていると知ったあの日に、吹き荒れる羞恥心に任せてツイッターもこのブログも全部消して、そのままコロナ禍を迎えて、同じように会社の人か彼としか会わない生活になって。もしそうなっていたら、そのときの私は私よりも彼との関係を大事にできていたかしら。別れてから彼みたいな人を探すようなこともなくて、 好きでない人と付き合うくらいなら一人でも平気だと言いながら結局寂しくて彼に連絡してしまうこともなかったのかしら。

 

結局、私が大事にしてきたものって何だったのだろう。最後に全部いい回り道だったなって笑うために、今私がすべきことは何なんだろう。どうしたら良かったかよりも、これからどうすべきかを考えたいとずっと思ってきたけれど、何だか急に疲れてしまった。私の中の3歳児が、どうしたって叶わない後悔を抱えて泣き出す気配がする。

泣かないで3歳、ごめんね、こんなはずじゃなかったの

この世に頭の悪い悪魔はいるのだろうか

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社会や制度といった概念は、確かに人が作り出したものだけれど、一度作られてしまえば作った者の意図には関係なく動き出してしまい、完全に統制することはできなくなる。当然、新たに作る前には、その順機能と逆機能について、顕在的・潜在的側面の両方から検討されるはずだ。ただ、作り出したその虚構に伴って、あるいは伴わずに後に起こっていくこと、そのすべてを予知して対策できるわけがない。考え得る全ての可能性を想定しようという前提があったとしても、やっぱり人は神にはなれない

 

ところで私は、頭の悪い人は邪悪にはなれないと思っている。邪悪であると言われるためには、無邪気にではなく、悪意を持ってその結果を引き起こしたと客観的に考えられることが必要だろう。行為の影響が及ぶ範囲が広く、結果が予想しにくくなるほど、そこに邪悪さが存在するために必要な能力は大きくなるはずだ。つまり誰かを邪悪であると思うことは、即ち、その人はある程度賢いと認めることだと考える。

「このルールを作った人は、こういう弊害が起こることを予測できなかったのか?頭が悪いのか?」と思うことと、「こんなルールを作った人間は邪悪だ」と思い込むことは、私の中では全く違う。「邪悪だ」の前には、この人は計算尽くで悪意をもって実行したはずであるという括弧書きが見える。悪魔の仮面を被せ、自分を含む普通の人間と区別しようとしているように思う。もし、何もかも思い通りに進められる悪魔的に邪悪な人が存在していれば、もうそれは人間よりも神に近いのかもしれない

 

もちろん、邪悪でなければ良いということではない。悪意とそれを実行する能力がなくても、同時に教養や想像力にも欠けていれば、最悪の結果を招き得る。ただ、同一の対象について邪悪だと批判しながら愚かだと蔑むことはなかなかできないし、相手を邪悪であると思い込まない方が良い場合は多いと思っている。

今日、こういう文章で締め括られる記事を読んだ。

本当は女性が自分のしたい生き方を実現できない社会の方が問題なのに。私は男社会で別の役割を演じる女性に、恨みの矛先を向けていました。それが女性を分断して団結できないようにする男性社会の思うツボであることも知りませんでした。
「基礎的な会話ができない」28歳の私が結婚相談所で出会った男性に持った強烈な違和感 1日に3、4人…婚活したけれど (4ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

社会の中で別々の役割を担う女性たちが、手を取り合って団結し男性と対峙するという構図は、確かに実現するのが難しいように思える。でもそれは「男性社会の思うツボ」なのだろうか。

 

男性対女性に限った話ではない。たとえば地方で観光ホテルを営みながら暮らしている人と、観光業とは無関係でただその土地に暮らしている人には、同じ県民・市民であるという共通点がある。そして、感染症禍で「越境自粛」がさけばれる中、県外ナンバーの車に乗って来る宿泊客がいる。ホテル側からすれば大事な顧客だが、他の住民からすれば感染症を持ち込む脅威にしか見えない可能性はあった。ひどくこわがった住民のうちの一人が、ホテルの駐車場に停められた県外ナンバーの車に「帰れ」と書いた紙を貼ったかもしれない。余所者を受け入れるなとホテルに抗議の電話を入れたかもしれない。 

この例えはすべて想像上の話だけれど、実際にそういう住民同士の分断があったとして、その分断は「越境自粛を呼びかけた人間の思うツボ」だろうか。住民同士の分断をつらく思う住民は、対岸にいる住民と対話しようとしたり、越境自粛を呼びかけた人を「正義感に燃えて過剰にその行為を責めてしまう人が出てくると予想できなかったのか?」と批判したりするかもしれない。でも「私たちがいがみ合うことは邪悪な政府や議会の思うツボだ」とは、普通思わないのではないか?

 

部分最適の追求が全体最適に繋がらないのも、差別が維持されるときにそこに共犯関係が成立しているのも、何も不思議なことではない。自ら望んで家庭に入る女子は、確かに女性の賃金の中央値や平均値を下げるかもしれないし、間接的にステレオタイプの再生産に加担しているかもしれない。でもそれが彼女にとって個別の最適解であるのならば、誰もそれを責められない。

 

自分と異なる生き方をしている人が時に羨ましくなるのも、個人的にはわかる。自分が婚活をしているときに、結婚した同性を羨ましく、妬ましくすら思ってしまう気持ちも理解できる。独身のまま働いている女同士でも、働き方や収入など別の切り口で共感が難しくなることはある。

でもそうやって女同士が女という共通項だけで手を繋ぎ合えないのは、男の思うツボだろうか。男が作った社会はそんなにも邪悪に設計されているのだろうか。もしそうなら、そんな邪悪な社会を作った“男”は、それほどまでに賢いのだろうか?

 

私はそうは思わないけれど、理不尽な苦しみを乗り越えるために見えない何かや脅威そのものに神性を見出す営みって人類史において普遍的なものだし、それで救われる魂があるならそれでいいのかもしれない。あるときには信じられないほど賢く、またあるときには信じられないほど愚かな悪魔が、絶対にいないとも限らないのだし

素敵な狂気 「北斎づくし」展

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「北斎づくし」展に行ってきた。

企画展に行くのは元々好きだが、昨年から特に浮世絵にはまっている。そして浮世絵展を見に行くと必ずと言っていいほど出会うのが「画狂老人卍」、葛飾北斎の作品である。

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20歳で浮世絵師としてデビューしてから90歳で没するまでの70年間、常に挑戦を続けて森羅万象を描き抜こうとした画狂の絵師・葛飾北斎。

みどころ|生誕260年記念企画 特別展「北斎づくし」

 

葛飾北斎と聞いて、何を思い浮かべるだろう。最も多いのは大波と呼ばれる「神奈川沖浪裏」だろうか。あるいは赤富士、「凱風快晴」かもしれない。どちらも北斎の代表作「冨嶽三十六景」全46図の一部である。

 

本展には、その「冨嶽三十六景」全46図と『富嶽百景』計102図、『北斎漫画』全15編約3,600図の全てが集う。『北斎漫画』なんて、全頁を展示するために500冊も集められたらしい。

オタクはこの情報に興奮するし、実際、会場には当時の付属品などオタク心をくすぐろうとしている展示がいくつもあったが、ここでその興奮を理解する必要はない。行く理由なんて有名な人の有名な絵見に行ったろ〜で十分だし、その気持ちは必ず満たされる。

通常、大きな企画展には前(中)後期で展示替えがあり、目玉になる作品はなかなか一度では見られない。そのため自分が見たい作品の展示期間を調べてから行くものだが、今回はその手間も心配もいらない。著名な3作品の全てが通期で展示されているからだ。尋常ではない。

 

そもそも浮世絵には、筆で直接描かれる「肉筆画」と、絵師が描いて彫師が彫って摺師が印刷する「木版画」がある。後者の「木版画」の良さは同じ作品の大量生産ができるところだが、実は版木は重版されるうちにどうしても摩耗してしまう。細かい表現が表れなくなり、刷り上がる作品は、同じだが同じではない作品になっていく。本展には同作品の初期摺りと後摺りを並べて展示するコーナーもあり、その差は歴然だ。

全図・全頁が展示されているだけでも十分すごいことだが、本展は特に印刷が鮮明で保存状態が良いものが多い。作品自体は初見でなくても、今まで見たその作品の中で一番綺麗ということは十分にあり得る。

 

 

さて、日時指定予約をして、入口で手指消毒と検温を済ませ会場に入ると、まず『北斎漫画』が待ち受けている。

この部屋でスタッフの方に「順路はないので奥の部屋から見ても大丈夫ですよ〜」と何度も言われるが、注意してほしい。私が行った土曜朝の枠で言えば、その『北斎漫画』の展示をマイペースにストレスなく見られるのは、開場後の30分だけだった。人が増えたときに全頁を見ようとして列に呑まれると、前後の人との距離は満員電車並みに近い。照明が明るく緊張感が生まれにくいためか、人の会話もそもそこ多かった。個人的にこの部屋は、自分と同じ時間枠の入場者が少ない間に見切ってしまうことをおすすめしたい。

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(左上、大男が机に両肘ついて小顔ポーズしているの可愛くないですか?)

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(男の可愛さに比べ、ネコチャンの顔は凶悪すぎでは?)

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(一筆書きという文化、本当に絵が上手い人たちのお戯れという感じがして大好きです)

 

『北斎漫画』の後は「冨嶽三十六景」、『富嶽百景』と続く。三作品それぞれの間に、摺師の製作過程映像の展示室と、没入シアターという大画面で見る展示が入ったのが良かった。「冨嶽三十六景」以外の作品は絵本や読本であり、小粒な展示が続く中で、丁度良い目の休憩になる。

 

「冨嶽三十六景」については、この部屋だけすべて撮影禁止になっていたので全く写真がない。ぜひ実物を間近で見てほしい。凄い以外の言葉を失う。描いた人、彫った人、摺った人、全員もれなく凄い。

また、『北斎漫画』の展示室は行列になって進むので密になりがちだし、わりとザワザワしていたけれど、この部屋は不思議と静かだった。手前のシアター型展示室には、行列を解く効果もあるのかもしれなかった。照明もかなり絞られていて、落ち着いた空間と絵の精緻さに呑まれる。

 

最後の展示『富嶽百景』は、富士山にまつわるさまざまな神話や歴史、風俗、名所等を描いた絵本。下に載せた「宝永山出現」のように一見しただけでは富士にまつわる絵とはわからないものもある。

宝永山とは富士山を南から見たときに右側に見える出っぱりの部分で、富士山最大の側火山である。図はその誕生の瞬間である、宝永4(1707)年の宝永大噴火が起きた様子を描いたもの。余談だが、2021年現在、富士山における最後の噴火はこの宝永噴火となっている。

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 『北斎漫画』の全頁、「冨嶽三十六景」「富嶽百景」の全図を、たった1,800円で一度に見られる北斎づくし展。良い意味で正気の沙汰ではないし、またとない機会だと思うので、興味があればぜひ。

 

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開催概要

展覧会名生誕260年記念企画特別展「北斎づくし」

会期 2021年7月22日(木.祝)~9月17日(金)

開館時間 11:00~19:00(最終入場18:30)

休館日 8月10日(火)、8月24日(火)、
9月7日(火)

会場 東京ミッドタウン・ホール [東京ミッドタウンB1]
〒107-0052 東京都港区赤坂9丁目7-2

公式HP 生誕260年記念企画 特別展「北斎づくし」

 

 

※私が行った土曜日の11:00-13:00頃は、一部ソーシャルディスタンスを保つのが難しい場面がありました。気になる方は予約の際、混雑しそうな土日は避けた方が良いかもしれません。

※展示替えは無いと書きましたが、 『北斎漫画』「冨嶽三十六景」「富嶽百景」以外の入替えはあるようです!