どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

わかってるのに言うの?意地悪ですね

そんなこと今さら言ったってどうにもならないじゃん、としか思えないことを言う人が苦手だ。起きてしまったことは起きたこととして受け入れて、状況が少しでも良くなるように対処して、「そもそもどうしてこんなことに」を問題にするのはそれからで良くないか?

先にあげたのはタイミングの問題だが、言う相手を間違ってしまう人もよくいる。それをその人に言っても仕方ないでしょうと傍目に思うことも、そんなの私に言われても困ると思わされることもある。特に仕事ならそれはもう仕方ない。仕方ないがストレスは溜まる

 

今日はタイムラインに流れてきた知らない方の「友人が結婚前提に付き合って同棲はじめたばかりの彼に一方的に振られてかなり落ち込んでる。仕事辞めて家解約して家具全部捨てたのに今後どうするの」というツイートのリプ欄が気になった。

「遠方に引っ越したんですかね?
そうでなければ、どうして仕事を辞めてしまったんですかね?
当人同士で合意していたのでしょうか?
今の時代、育休制度等も充実しているので辞めるデメリットの方が大きいと思うのですが…
百歩譲って、籍を入れた後に当人同士で話し合ってから仕事を辞めるべきかと。
辛い気持ちは分かりますが。」
「お気持ちは分かりますが、そもそも結婚前提=結婚ではないのになぜ仕事を辞めたんでしょう。」

 

このように「気持ちは分かりますが」と断って質問のかたちをとった説教を始める人は、実際時々いる。あとに続く言葉が言われる人にとって役立つようなことでない限り、私は、言う人がそのことわりさえ入れておけば何を言ってもいいと思っているような印象を受けてしまう。

今回のツイートに関して言えば、そもそも今困っているのはツイートした人ではなくその友達。この時点で言われた側の感想として「私に言われても…」は確定する。内容だって、家も職も失った人が特別な事情があってそうなってしまったのか、ただ浮かれて仕事をやめた向こう見ずの専業主婦志望女だったのか、みたいなことを確かめようとしているだけでしょう?

そういう意味では、元のツイートをしてお説教を浴びるのがご本人でなくてよかったのかもしれない。結婚前に職を辞さなければならないのっぴきならない事情があったのかそうでないのかは分からないけれど、今これからどうすべきか、こうならないためにはどうすべきだったのか、何も知らない他人に言われなくても当然に考えるはず

 

これは多分に偏見も混じるけれど、SNSで「お気持ちは分かりますが」で言われる相手にとって何の役にも立たない質問や説教を始める人は、自分の好奇心や自己顕示欲を満たそうとしているだけだと思う。

「お気持ちは分かりますが」。わかるなら言う必要があるかどうか立ち止まって考える方がいいし、それでも尚言うのであれば、察したお気持ちを越えるだけの内容や動機があってしかるべきだ。今後の行動に明らかな正解と不正解がある場合とか、本人に助言を求められているという事情とか

 

「気持ちは分かりますが」と言っておけば、受け手にとって言われる意味も答える義理もない話を振ってもいいと思っている人。「今時、こんなこと言ったらセクハラになるのかもしれないけど」と断れば何を言ってもいいと思ってるおじさん。やっていることは近いと思う

そのフレーズ、全然免罪符になっていませんし、何なら無邪気に言われるよりずっと質が悪いと思っています

誰かの好きなタイプの話

突然ですが、私の好きな男性のタイプは、私にとっての朝5時、相手にとっての29時に「ごめん起きてた?あなたの声が聞きたくなって、あ、次左折してください」とタクシーの中から電話してくる人です。

自分の好みが妙に具体的で、しかもかなり偏っているという自覚はあるので、同僚に好みを聞かれたときにはなかなかこういった答え方はできません。

他の人にも匿名で好きなタイプを聞いてみたら面白そうだと思い、先月、ツイッター(@oyasumitte)のフォロワーに「恋愛対象として好きなタイプ」を尋ねました。マシュマロでお答えいただいた方々、ありがとうございました!

以下、いただいた順に14通を載せていきます。

 

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はい。ありがとうございます。

そういえば、付き合っていない男女の間でかわされる、好きなタイプの話をする体をとりつつ、片方または双方が「あなたはわたしの射程圏内にいます」と示したいだけのあの茶番。あれって好きな人とじゃないとしんどいなあと最近改めて思う機会がありました。好きじゃない人とその話になったとき、咄嗟に相手にないものを言ってしまいがち。なのに意外と気付かれないがち。

全然関係なくなっちゃった!ありがとうございました!私も多分あなたのことタイプです!

 

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知的な筋肉枠としての鈴木亮平さん、なるほど確かに素敵。

そしてこの答えのスタイルが大変私のタイプです!明確な理想像の共有、その中で特に何がポイントなのかも伝えてくださっていて、きっと仕事ができる方なんだろうなと勝手に思いました!

ちなみにわたしもわりと知的筋肉が好きなのですが、もう少しゆるい感じがツボです。高校までスポーツをやりこんで筋肉の土台をがっつりつくった人の、大学〜社会人にかけて運動量が激減した結果かなりモチモチしてきてしまって本人もそれをやや恥ずかしく思っているお腹が大好き。知的筋肉の上のポヨが一番好き。具体的すぎて我ながら引いていますが、元恋人のお腹はポヨを超えてボヨンて感じだったし、好きになってからはそれが愛おしくてたまらなかったので、好きなタイプってあくまでもタイプに過ぎないですよね。

企画をひっくり返す話はやめましょう。男性の皆さんには筋肉好きにもいろいろいることを理解していただければなと思います。ありがとうございました!

 

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自分に自信がある人が素敵に見えるのは男女共通かしら。私も自信がある人が好きだなあと思います。ある人というか、ありそうに振る舞える人というか。

ここで、外が先か中が先かって話には答えがないと思っていて。モテたかったらモテる人の真似をしたらいいし、知的に見られたかったら自分が知的だと思う人の話し方とか習慣を真似したら良いと思うし、自信をつけたかったら自信ありげに見える人はどう立ち振る舞ってるかを考えてそうしてみちゃうのが一番良いと思うんですよね。一部の男性がハマる恋愛工学ってその意味で一理あると思っていて、もちろん深入りすると闇落ちルートではあるのだけれど、まず理想の型を体得せよというアプローチ自体は間違っていないと思います。

またあまり関係ないところに着地してしまった。次にいきましょう。

 

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もしかして私がTwitterのDMを開けていることをご存知ない……?話が早い人が好きです。よろしくお願いいたします。次!

 

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ああ〜わかる〜!こちら大変よくわかります。何がわかるって彼女の気持ちが。ラーメン食べてきたからニンニクやばいとか言われると意地でも奪いたくなります。奪いたくなりませんか?でも逆は嫌だな。私の口がだめなときはキスはやめよう。人間って本当に矛盾のかたまりですね。

そういえば、私のまわりには「一緒にふらっとラーメンとか食べに行けるタイプが好き」と言う人が結構多い気がします。このマシュマロに共感する人もかなり多いのではないかなと。私もそういう気楽な関係は大好きだし、今もこんな話をしてたら友達とラーメンを食べたくなってきました。

ただ私の中ではその「ふらっとラーメンとか食べに行ける」関係って、所謂ちゃんとデートっぽい男女の枠にはまって過ごす期間を経て至る先にある落ち着き方というか、最初からそれができる関係の人を恋愛対象として好きになる感覚はあまりないんですよね。結局はそういうふうになりたいというのはあるが、好きになる前にその落ち着き方ができてしまった相手とはどうやって恋愛すればいいのかわからない、という……

はい!いたずらに笑う彼女と末永くお幸せに!ありがとうございました!

 

このツイート以降にいただいた回答は8通でした!こちらも順番にご紹介していきます。

 

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はい。ありがとうございます。私の一番推しのフォロワーは誠に残念ながら既にご結婚されてお子様もいらっしゃる方なので、独身かどうかを明記してくださると靡きやすいです。よろしくお願いいたします。

 

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ありがとうございます。わたしは1通目の「さやか…お前だよ…」をくれた斎藤さんという方の言い回しが本当に好きなので、多分違う方がくださったであろうこのマシュマロももちろん好きです。一番煎じがいないフィールドで戦えば二番煎じも実質一番煎じになると思うので、他のOLの質問箱にこの構文を送ってみることをおすすめします。ご健闘をお祈り申し上げます。

 

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はい。ありがとうございます。

箇条書き一個一個がわかるなあというのもそうなんですが、とにかく最後の「これがいい!っていうよりこれは嫌だ!が過去の経験上積み重なってしまった」が心にキますね。

自分にとって普通な相手、つまり一緒にいて違和感を抱かずに済む相手って大人になるほど貴重になっていくなと日々感じています。自分ひとりで生活するうちに、それがある程度確立してしまうというのもある。あるけれど、多くの人と出会う中で、ここが合わない人とは結局総じて合わなかったよねという経験則によるチェックリストみたいなものが洗い出されてきたり、好きなものが同じ相手より苦手なものが同じ相手との方が一緒にいて楽なことに気付いてしまったりするのも大きいように思います。

そういう意味で言うと、私の好きなタイプは

・食事中、器を持つとき人差し指を中に掛けない
・句読点の入れ方がおかしくない
・「こんにちわ 」とか「ってゆう」とか書かない

などです。

会ったことがない人に下の名前を呼び捨てにされることも違和感のある要素ではありますが、結局最後に一番仲良くなるのってそういうタイプだったなと最近わかってきて、無理リストから削除しました。こういった「相手に対する好感度によって大好きな理由にも嫌いな理由にもなるクセあり言動」も、人に言うことはあまりないけれど、年齢と共に増えてきた気がする。

ありがとうございました!

 

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こんにちは。私自身は長女で長子、相手としても長男で長子で面倒見が良い人を好きになる傾向がありますが、なけなしの母性を擽られるという感覚は正直わかります。隙ですよね。

面倒を見るのが好きだから年下の相手と合うとか長女は末っ子と相性が良いとかいう単純な話ではなくて、重要なのはさり気なく挿入された「垣間見える」という表現なのかなと。愛おしいのは、幼そうでない人の幼さなんですよね。これを「つまりギャップがある人ね」と言われてしまうことがあるのですが、ギャップの一言で片付けるのはもったいない気がしています。もったいないというか正確ではない。

ギャップって例えばちゃらんぽらんな人が不意に見せる誠実さと、いかにも成熟した大人が時折見せる幼さと両方を指すわけですが、私やこのマシュマロをくれた方が好きなのって後者だと思うんです。少なくとも私はそうで、だから垣間見えるって的確な表現だなと感じました。こういった丁寧な言葉の選び方をする方、好きです!

 

ラスト3つです!

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美意識と衛生観念。なるほど確かに。これも先に出た「これは嫌だ!が過去の経験上積み重なって」生まれる感覚かなと推察します。

特に衛生観念って会うことが非日常である間はたぶんあまり問題にならなくて、生活が交わるときに初めて浮き彫りになるんですよね。そこまで近付いて初めてわかるところではあるので、これは無理だと思ったときに後退ってもすでに重傷を避けられない場合もあるなと……

あと、確かに好きなものが同じ人より苦手なものが一緒な人の方が、一緒にいて楽なところありますよね。それなのに同じバンドを好きな人より干渉してほしくないラインが近い人を見つけるほうがずっと難しい。頑張りましょう。

ありがとうございました!

 

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なるほど♡

これはいろんな捉え方ができる答えですね。今日紹介してきた中で一番、良い意味で生活感がないなと思いました。特定の誰かをイメージして言っているようにも見えるし、当然ストレートに抽象的な表現という可能性もある。

包容力があるとか、懐が深いとか、多様性をまるっと引き受ける度量とか、いろんな要素をギュッと「あたたかい」「海」に含めて、見る人の感覚に委ねる感じ。私は何でも自分の思っているとおりに伝えたくて言葉を連ねてしまうので、海みたいな人!って言えるおおらかさが眩しいなと思います。でも言われてみれば私も好きだなあ、海みたいな人。

さて!次がラストです!

 

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こちらの回答が、個人的には今回いただいた中で一番ぐっと来ました。

私は、遭ってしまった不運や後悔に呑まれるのではなく、逆に飲み込んで上手く昇華している人の強さに惹かれるし憧れます。わかりやすいところで言えば、会話の流れで大学の話になったときに何気なく「あー、俺東大落ちてて、」とか言われるのに弱い。志望したとおりに進学できたならそれに超したことはないけれど、できた自分を肯定することより、できなかった自分を見限らず変に拗らせずに認めて前に進むことの方がずっと難しいじゃないですか。受験は例えの一つなのであまりここを深くつつかれたくはないのですが、湿り気のない自虐や失敗談をサラッと口にすることができるのは心に余裕がある人だけだし、余裕がある人は性別問わず素敵だなと思います。

あと「挑戦する人」。過去だけでなく今を悲観する必要などないのですが、私はまだ日々悟りと迷いを行ったり来たりしているので、少なくともそれを肯定してくれる人がいいな。自分は今それなりにやってるしそれなりに幸せだって認めることと、もっとやれるはずだと期待することは矛盾しないと考えています。二十代で悟りきってしまうのは寂しい気がする。

そして「自分の考えや体験・意見を相対化して認識」する力。これは私の中で知性や教養といった言葉で整理しているものに他ならず、セクシーな大人の必要条件だと思っています。相対化ってやりすぎるとただのシャニカマオタク扱いを受ける場合もあって、この辺りのバランス感覚もまたひとつの能力であるとは思いつつ、メタ認知能力が高い人ってかっこいいですよね!やっぱり!

 

今回はキャスでご紹介した皆の好きなタイプをまとめてみました。 マシュマロでご教示いただいた方、最後までお付き合いいただいた方々、みなさまありがとうございました!

次回はもう少し落ち着いた内容で更新したいなと考えています。おやすみなさい、さやかでした

「われわれが表向き装っているものこそ、われわれの実態にほかならない」

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マシュマロありがとうございます!

お返事が長くなりそうだったのでnoteを書こうとして、noteにしては長くなってしまったのでブログにしました。つまりとても長いので、先に結論だけ発表します。

おすすめの本はこれです。大学の図書館で読んでもいいですし、お金に余裕がある方はこちらのリンクから買っていただくと私に小銭が入ります。何卒よろしくお願いいたします。

 

結論から書いてしまいましたが、本当は最初に確認しておきたかったことが2つあります。まず、20歳の大学生なら焦る必要はないということ。そして、憧れと言っていただいた私も語彙や教養を十分備えているわけではないということです。

順番に説明しますね。

 

私は、マシュマロで並べていただいた一般常識と教養、語彙力は、どれも一朝一夕で身につくものではないと考えています。まだ大学生のあなたが自分にそれらがないと焦ることには、必要性も妥当性も無いと思うのです。むしろその焦りから「これを読めば教養は完璧!語彙力は十分!」みたいな本に飛びついて、それを読むだけで満足してしまうことが一番怖いと感じました。

今回そういった意味でおすすめの本を聞かれていた可能性を考えると、全く答えになっていない答えで申し訳ないのですが……その場合は以下を読む必要はありませんので、他の方に質問し直してみてください。

 

私は、常識と教養はともかく、語彙力はインプットとアウトプットを繰り返して身につけるものだと考えています。出力しないと自分のものにはならない一方で、入力したもの以上のものは出せません。

その意味ではどこで何を見聞きするかは重要だと思っていて、大学生には、大学の図書館で自分の興味範囲の中にある本を最新刊から古典まで遡ってみることをおすすめしたいです。

古典を絶対視するわけではありませんが、時を経ても名著と言われる書籍や、何だかんだ皆が真実らしく受け止めている一般論には、多くの場合それなりの意味や価値があります。一方で、最初から読みにくい古典に体当たりして嫌いになってしまうより、長く付き合っていくためにとっつきやすさを優先したって良いと私は思います。だから入口は読みやすく理解しやすい解説や、古典を引用している読みやすい本から入ってもいい。ただわかりやすく説明しようとするときに落ちてしまう部分は確実にあるので、自分が究めようとする狭い範囲においては、原典まで遡ることをおすすめしたいです。

 

そうして読む本の中で出会う見慣れない言葉を、最初は多少恥ずかしくても自分の語彙として使ってみてください。わからない言葉にぶつかったら辞書を引いて、できれば対義語と類義語を見て覚えておく。辞書は紙でもネットでも良いです。使う場面も、ツイートでもブログでも誰かとの会話でも何でも良くて、とにかく誰かのものとして仕入れた言葉を、一度自分のものとして出し直す。この恥を捨てるチャレンジを間違っても良い場でたくさん済ませておくことが大切です。それがいつかここぞという場面で、人の言葉を借りて上部だけ取り繕おうとして大失敗することから、自分の身を守ってくれるはずです。

 

常識力も語彙力も、誰かの真似から始まるものだと思うのです。始まるというか、言ってしまえば少なくとも私はそこに終始しています。本に限らず、自分がいいなと思う人の知識の入れ方や出し方を見て、そのかたちを真似てみる。一般常識なんてどうしたって主観的なものだし、そうとされるもの全てを把握できるわけがないけれど、あるふりをしてみるのです。常識的で語彙が豊富に見える人の真似を繰り返すことで、誰かから見たあなたは常識的で語彙が豊富な人になっていくように思います。

 

「われわれが表向き装っているものこそ、われわれの実態にほかならない。だから、われわれはなにのふりをするか、あらかじめ慎重に考えなくてはならない」

カート・ヴォネガット・ジュニア(飛田茂雄訳)『母なる夜』

母なる夜

 

さてここまで、とりあえず形から入れということを長々と書いてきました。真似をすることは基礎であり応用でもあると私は思うからです。

同時に、わかったようなフリだけが上手い人になってしまわないためには、作った形に中身を詰めていく作業、つまり何かを体系的に掘り下げて学んでおくことも必要だと考えています。人の真似で形作った表面に奥行きや重さを生むのが、所謂、教養なのではないかと。

教養とは何か。

よくツイッター(上の私の観測範囲)でも話題になっていますね。これについては昔読んだ『読んでいない本について堂々と語る方法』という本の定義が面白かったのでおすすめしたく、少し長くなりますが引用してみます。

 

「教養があるかどうかは、何よりもまず自分を方向づけることができるかどうかにかかっている。教養ある人間はこのことを知っているが、不幸なことに無教養な人間はこれを知らない。教養があるとは、しかじかの本を読んだことがあるということではない。そうではなくて、全体のなかで自分がどの位置にいるかが分かっているということ、すなわち、諸々の本はひとつの全体を形づくっているということを知っており、その各要素を他の要素との関係で位置づけることができるということである。ここでは外部は内部より重要である。というより、本の内部とはその外部のことであり、ある本に関して重要なのはその隣にある本である。

したがって、教養ある人間は、しかじかの本を読んでいなくても別にかまわない。彼はその本の内容はよく知らないかもしれないが、その位置関係は分かっているからである。つまり、その本が他の諸々の本にたいしてどのような関係にあるかは分かっているのである。ある本の内容とその位置関係というこの区別は肝要である。どんな本の話題にも難なく対応できる猛者がいるのは、この区別のおかげなのである」

ピエール・バイヤール(大浦康介訳)『読んでいない本について堂々と語る方法』

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

 

重要なのは何を読んだことがあるか、何を知っているかではない。知っていることと知らないこと、新たに知ったこと、それぞれをどう関連付けて、あるいは切り離して位置付けることができるかどうか。

何かを掘り下げて学ぶ経験の中で培う、抽象と具体を行き来する力、過去に得た知識と目の前の対象を繋げる力みたいなものが、教養の正体なのではないかと思います。

 

そして仮にそれを教養だとしたときに、身につけるための一番の近道は、専門分野を持つことだと思うのです。そこで身につけた学びの型や、時には得た知識そのものが、他分野の理解にも繋がっていくはずで、そうやって自分の中にあるベースを別の問題の理解に上手く役立てている人は、おそらく傍から見たときに教養ある人と映るのではないかと思います。

だから最初に「大学生には、大学の図書館で自分の興味範囲の中にある本を最新刊から古典まで遡ってみることをおすすめしたい」と書きました。そしてこれは大学生なら自然にしていることだとも思うので、自分には教養が足りないというマシュマロをくれた方にも教養が無いことはないはずです。

 

まとめると、「一般常識や教養、語彙力が周りの人に比べて乏しい」と感じているのであれば、まず自分よりそれらを持っているように思う周りの人の真似をしてみることがおすすめです。並行して人並み以上には語れる自分の専門分野を持つよう努めることで、いつか真似が真似で終わらなくなるように思います。

紹介した『読んでいない本について堂々と語る方法』は、その道半ばで「〇〇を知らないなんて教養が足りない」みたいな心無い誰かの教養マウントに遭った時に、読んでおいてよかったなと思えるかもしれない本です。よろしければぜひ。

いただいた質問に対する答えになったかどうか自信がありませんが、マシュマロありがとうございました!

 

※匿名でメッセージを送れるマシュマロはこちら(さやかにマシュマロを投げる | マシュマロ)。普段はツイッターで回答しています。