どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

小早川秋聲ー無限のひろがりと寂けさとー

おはようございます。こんにちは。さやかです。土曜日の夜は日曜日の朝寝た(他に言いようがない)ので昼夜逆転してしまったかと思いきや、昨夜は23時前から睡魔が襲ってきてくれて、寧ろいつもより早くウトウトし始め、そして月曜日である今朝は昼の12時に起きました。

……というツイッターに書けば済むような話をわざわざブログに書いているのはしばらく@oyasumitteのツイッターをおやすみすると決めてログアウトしているからなのですが、結局必要なDMを見るためにログインはする予定だし、何の為なのか自分でもわかりません。とりあえずおすすめしたかったのでブログを更新してその通知をツイッターで流すという回りくどすぎる方法でご紹介するのはこちらです。

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従軍画家であった小早川秋聲の回顧展。目玉は陸軍の依頼で描かれたのにも関わらず受け取り拒否された「國之楯」です。

筆舌に尽くしがたいとはこのことなので、もう時間があるならとりあえず見に行ってください。今夜18時までです。もっと早く夏休みのうちにご紹介できればよかったのですが、私もすっかり忘れていました。情報感度が落ちていて良くないですね。もう一度言います。京橋の加島美術で今夜18時までです。ぜひ。

思わぬところで清濁併せ呑む素敵な主婦に出会ってしまった

こんばんは。さやかです。

これは完全に偏見なのですが、おそらく私の書く長文ブログを毎回最後の「おやすみなさい」まで読めるほど活字が好きな皆さんは、本を読むのも好きなはずです。そうに決まっています。そこで気になったのが、普段どんな媒体で、どんな出会い方をした本を読むことが多いのかしら、ということです。

人から何かを聞き出したいときにはまず自分から、というわけで先に私の話をすると、私は本を基本的には紙媒体で読みます。それも、書店や図書館で出会い頭に何となく惹かれたものが多いです。購入まで至らなかった本でも、目に止まる本のタイトルや帯の謳い文句はそれ自身が私の、自分でもわかっていなかった興味・関心を掘り起こしてくれることが多く、本の多い場所はブログのネタ探しにも最適だと思っています。私は仕事の帰りに本屋さんに立ち寄り、ふと我にかえると一時間以上経っていたなんてこともザラにあって。以前はそれを「パッと選んでパッと帰っていれば今日1冊読み終わることができたかもしれないのに!」と反省してしまうこともあったのですが、最近は「いま売れている、あるいは書店が売りたいのはどんな本か」「広く関心を集めている内容は何か」ということが見えてくる本屋歩きという緩く広いインプットにも意味があるように思えてきたので良しとしています。

ネットで誰かが紹介している本もわりと読んでみる方です。自分にハマるかどうかは別として、本をたくさん読んできたと思われる方の「おすすめ」のハズレのなさはすごいなと日々思っていますし、自分と本の好みが似ている人を見つけておくと、読みたかった本・読みやすい本に出会うのがかなりイージーになりますね。私はツイッターでフォローしている方だと、トマルさん(@maru_maru_ir)のチョイスはいつも参考にしています。

 

さて本題に入りますが、映画の宣伝などによくある「予想外の結末」という陳腐な表現。使い古されすぎて、こう謳われた物語の展開は大抵予想の範疇に収まっているような印象があります。でも物語ではない学術書のような書籍は逆に「予想外の結論」という予告無しに予想の斜め上をいく着地の仕方を見せてくれることがあって。実は今回ご紹介したい本も、タイトルや読み進めていく間の話の流れからは結びの想像ができなくて、それも含め面白いなと思ったのでした。

戦争がつくった現代の食卓-軍と加工食品の知られざる関係

「戦争」「軍」「加工食品」「知られざる関係」……どうですか、これらをキーワード的に拾うと、どうしても加工食品のイメージは下がりそうではありませんか?私は、加工食品は軍隊のために作られるところからスタートしているからできるなら食べない方が良いとか、その加工食品がいかに私達の食卓を侵してきているのかを警告するような結びが導かれるのではないかと思って読み始めました。

さんざん加工されて密封された手軽な食品を私たちが子供に持たせて学校へ送り出すのは、消費者のあわただしい生活に目をつけた大企業が、かわいい我が子に何か食べられるものを持たせれば安心できるという親心につけ込んだ商品をつくり出したから(というだけ)ではない。

(中略)

子どもの弁当が健康的でなく、新鮮でもなく、環境に優しくもないのは、それが本来は子ども向けではなく兵士用につくられたものだからである。

序盤は加工食品をふんだんに使って用意される子どものお弁当に関して、明らかに批判的な表現が続きます。

そして本書はアメリカの本なので、軍というのはもちろん米軍のことを指していて。米国の食料市場における過去・現在の米軍の立ち位置というか、存在感の大きさなどにも触れながら話は進みます。

軍全体で一週間に消費される食料品の必要量を満たそうとすれば、主要農作物の産地から作物がごっそりなくなり、全国の食料品店の棚も空っぽになり、多数の製パン会社を何か月も動員する必要があるかもしれない。軍はいわばアメリカの風景を消費する巨大な口であり、購買品について大幅な値引きを要求しているとはいえ、それでもなお2011年の1年間だけで38億ドルを支出しており、アメリカで群を抜いて最大の食品購買者となっている。

個人的には帝国主義と食の歴史的な関係について述べられる章で、若干唐突に出てきた完全菜食主義の批判も印象に残りました。

完全菜食主義の食事を批判すべき論拠があったとすれば、それはアステカ帝国である。旧石器時代までに、メソアメリカ地域原産の大型草食動物はすべて狩り尽くされて絶滅していた。

(中略)

そんなわけで、タンパク質に飢えたアステカ人が、メキシコ盆地に居座り続ける大型の哺乳類、すなわち人間に目をつけたのも当然かもしれない。

他の帝国主義者と違ってアステカ人は土地や権力といった所謂戦利品に興味を示さなかったといいます。それは彼らが戦争をする際に最も欲していたのが、敵兵の身体自体、もっと言葉を選ばずにはっきり言うなれば「新鮮な人間の肉」であったからだと。話が単純にグロかったというのもあるんですが、菜食主義と言われるとどうしても昨今の一部のヴィーガンの方々の過激な奇行と結びつけて考えてしまうところが無きにしもあらず……。

 

さて話を戻します。本書は上記のように食の世界史を辿ったり米軍と米国の食文化の関係性をさらったり、工業化されたスーパーの袋入りパンを「非老化性パン様食品」と呼んだりしながら進んでいくのです。「非老化性パン様食品」どう見ても批判的な名前ですよね。ああ、やっぱりこの著者はナチュラル至上主義で「#丁寧な暮らし」をする民なのだなと思っていたら、最後の最後でこうなるのです。

本書の執筆を通じて、私は変わった。むきになって料理を手作りするのをやめた。工場で製造された食品―そしてその延長として、そのような食品の設計や製造にかかわる人たち―が本質的に邪悪だと思わなくなった。

やはり良くは思っていない人だったのですよね。「本質的に邪悪」とは凄い言い方だけれど、そこまで工業化された食品を悪だと思っていた人がなぜそれらに対する態度を軟化させ「テイクアウトやインスタント食品に対して寛容になった」と言うまで評価を変えたのかといえば、それは彼女の生活が「バランスを失っているから」。以前は家族のために時間をかけて一から「食材を切って炒めて食卓に出すという儀式」をすると心が落ち着いていた彼女も、執筆の仕事を抱えて時間に追われるようになると「にわかに典型的なワーキングマザーの抱えるジレンマに以前よりも共感するように」なり、夕食の支度に手を抜くことで「大いにせいせいした」といいます。

もちろん話はそう単純なことばかりではなくて、加工食品のおかげで現代を生きる私たちは料理という仕事からの自由を手にすることができる一方で、工業生産される食品のほとんどは糖分や塩分や脂肪分が多くて繊維やビタミンやミネラルが少ないという不健康なものであったり、安定性と長期保存性を実現するために入っている添加物の成分の多くは、摂取し続けた場合の長期的な影響に関する研究が不十分であったりするという問題も指摘されています。

私たちは巨大な公衆衛生実験に参加しているようなものだ。(中期)私たちはこの実験のモルモットなのだ。

著者もこのように述べていて、米軍による食品に関する技術研究を調査し、よく知ったことで関係者に敬意を払うようになったとはいえ、やはり懸念要素は少なくないという考え方は変わっていないようです。

でも無知なまま漠然と添加物に恐怖を抱いたり思考停止でシャットアウトするのではなくて、よく調べてみた結果として、生活においては加工食品を取り入れて料理の手を抜くことに快感をおぼえるようになって、他の優先事項のためにはいかに手早くテーブルに料理を出せるかも考えるようになっていて、その清濁併せ呑むというか、ダイナミックな柔軟さがすごくいいなあと思いました。米軍がその方向性の大部分を定めているアメリカの食品科学産業は邪悪だ、という結論で終わる本なのではないかと思って読み始めた本でしたが、著者の興味と生活に即したもっと広く柔らかい内容で、良い意味で予想を裏切られました。

 

本書の著者が生活の変化と自身の調査結果から加工食品への態度を軟化させたり、あと名前をド忘れして具体的には述べられないのですが、主義が対立して犬猿の仲にあった芸術家同士が実際に会ってお互いの芸術論を語り合った結果、認め合うようになったり……みたいな話が私は大好きで。それは、自分が正しいと信じてきたものとか価値があると信じてきた何かに対して、実は思っていたほどの意味とか優位性は無かったということを認めるのってなかなかに力の要ることだと思うからです。その信念が強固であればあるほど、そこに費やしてきた時間が長ければ長いほど。だからこそそれを鮮やかにやってのける人を前にすると眩しくて仕方ないし、まさかその感覚をこの本から得られるとは思っていなかったので嬉しい驚きに抱かれながらご紹介してきたというわけです。興味を持たれた方はぜひ読んでみてください。

戦争がつくった現代の食卓-軍と加工食品の知られざる関係

戦争がつくった現代の食卓-軍と加工食品の知られざる関係

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。普段どんな風に読む本を選んでいるのか、それは電子書籍なのか紙なのか、良かったら教えてください〜!

それではおやすみなさいませ。さやかでした。

 

何にでも言葉で説明をつけたくなってしまう私へ

 

われわれは、あるがままにものごとを見るのではない。われわれがあるままにものごとを見るのであるーーー

 

こんばんは。さやかです。最近私は、大学生の頃に心理学の講義でほんの少しだけかじった「エニアグラム」の基礎がわかる書籍を読みました。こちらです。

新版 エニアグラム【基礎編】 自分を知る9つのタイプ

新版 エニアグラム【基礎編】 自分を知る9つのタイプ

  • 作者: ドン・リチャード・リソ,ラス・ハドソン,高岡よし子,ティム・マクリーン
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/03/29
  • メディア: 単行本
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エニアグラムという語自体は円九分割図という図形のことですが、ここでいう「エニアグラム」は心理学的な文脈にあるもので、ざっくり言うと性格を9タイプに分ける性格類型のことです。詳しく知りたい場合は是非この本を読むかネットで調べるかを自力でしていただきたいと思いますが、エニアグラムに対する私の感想を言葉を選ばずに言うなれば、ちょっとアカデミックなだけのよくある性格診断だという印象を受けました。個人の感想です。

 

本書についても私は読み始めて数分で、とてもじゃないが全部読む気にはなれないと感じていました。「つまらない本を読み始めてしまったからと意地になって読み進めるヤツはバカ」「つまらないと思った映画を最後まで見て2時間も無駄にするやつはバカ。賢い人はつまらないと思った時点で席を立って時間的コストをカットする」などという、いかにもツイッターでイキるビジネスパーソンが言いそうな言葉たちが頭をよぎった為、エニアグラムの概要など多くを読み飛ばしていくつかの質問に答えて自分のタイプを診断し「ふむ」となり、さらに質問に答えて点数を出し「ふむ」と思いました。

アカデミックな分析だとか深い自己理解がどうだとか言われてもエニアグラム自体に関する印象は「スピリチュアル」だとかいう言葉が出てくることからもお察しの通り結局は占いみたいなものじゃん、という思いが私は強くて。あまり真に受けるとよろしくないものであるような気配は感じつつ、やはり自分のタイプは気になってしまったので質問に回答して点数を出すところまでやってしまいました。私は6番のタイプでした。

 

タイプ6番について大まかに言うと、考え方やシステム、信念への忠実さが特性としてあります。概して自分自身の為よりも自分の信念のために強い意志をもって動くそうで、自分自身よりも共同体や家族を守ることを優先するらしい。それはなぜかと言うと、見捨てられたくないから。この見捨てられたくないという不安、自信の無さがタイプ6の中心にあります。

そしてタイプ6はそうした自分の不安に常に気づいていて、自分が頼りにしている基盤が崩れたときのことをいつも考えてしまって、石橋を叩いて渡る前に叩き割って「ほらね、やっぱり割れた。渡らなくて良かった!」と安心する……ということが起きてしまうんですって。

正直、言われたことの7〜8割はわかる気がしました。たとえば「タイプ6は背景事情として、不安と恐れの上に信頼のネットワークを築こうとしている」という指摘は本当に的確で。

彼らは往々にして、何ともいえない不安に満たされると、その理由を見つけたり、つくりだそうとします。人生の中には堅固で明快な何かがあると感じたいあまり、自らの状況を説明すると思える解釈や見解に執着しかねません。

私は去年の夏に一人の男友達と関係を持ち、その日を堺に彼に対して恋愛感情が芽生えたような状況に陥ったのですが、そのことを当時偶然目にした「Sトリガー理論女性は身体の関係を持った相手のことを好きになるという主張。ピンとこなければ「恋愛工学」でググってみてください)」というものと結びつけて自分の中で納得し、また恋愛工学にも一理を見出すようになっていました。実際には私は寝る前から相手に多かれ少なかれ好感を持っていたから関係を持ったのだし、関係を持った人は他にもいる中で彼だけを好きになっていたのだから、単純な理論で説明をつけるべきものではなかったかもしれないのに。

 

タイプ6の人は「当てになる信念をひとたび確立したら、それをたやすく疑うことはなく、また他の人にも疑ってほしくない」。それはタイプ6が人生で関わる人にも同じことが言えて、一度この人はすごい、信頼するに足る、と思った相手にはかなり傾倒します。

さやかというアカウント(@oyasumitte)ができた頃をご存知の方がどれほどいるのかはわかりませんが、私は当時、先に述べた恋愛工学についてこれが真理だと感じ、その界隈でインフルエンサーになっている方々にかなりお熱でした。お熱って死語かしら。

結局、彼らと関わる中で拭い去れなかった違和感だとか、外にいる人たちからの助言を通じて「彼らは自分が関わり続けるべき人たちではない」としばらく後になって判断したのだけれど。そんな風に一度すごいなと思ってしまうと、その思い込みが何かをきっかけに解けない限りその人を仰ぎ続けようと意地になってしまうところが自分にはあると自覚して、気をつけたいと思っています。

 

さて、もうおわかりの通り、最初は「なんかスピリチュアルとか言ってるし占いみたい、信憑性はなさそう」とか言いつつ斜に構えて見ていたエニアグラムも、少し何かを言い当てられたような気分になるだけで引き込まれて読んでしまったり、読み終えたあとこんな風にブログにつらつらと一連のことを綴ってしまったりするのが私です。打てば響くというか、響きすぎるというか……そしてこれもやはり、タイプ6の基本的特徴なんだとか。占いよりはよく当たっているかもしれません。

エニアグラムはこうしてタイプ分けして終わるのではなくて、自分や他人の気質の特徴や思考の典型的なパターンを知ることで、自他への理解を深める助けになるものらしいです。あまり診断結果にこだわりすぎるのは問題ですが、診断してみてあれこれ考えるのはなかなかに楽しかったので、気になった方はぜひ自分のタイプを調べてみては。

新版 エニアグラム【基礎編】 自分を知る9つのタイプ

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  • 作者: ドン・リチャード・リソ,ラス・ハドソン,高岡よし子,ティム・マクリーン
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また人の気質を類型化して説明しようとするエニアグラムの紹介とは逆行しそうですが、自らの思考や動機を言葉に落とし込んで型にはめて、そればかりで自分を理解したようなつもりになることはやめるようにしたいということを半年前の私が書いていたようなので載せてみます。今よりもさらに文章が拙くて恥ずかしいですが、たまには読み返して、あらゆることに対して自分が納得するために説明をつけようとしてしまう、動機や解釈を後付しようとしてしまう癖を抑えるようにしてみたいと思いました。

 

本日もお付き合いくださりありがとうございます。おやすみなさい。さやかでした。