どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

店員さんにタメ口なお客さんもお客にタメ口なプロも苦手

Xで話題になっていたことで知ってから何度も予約を試みた、資生堂のゴールデンバランスメイクアップレッスン。あまりの予約の取れなさにチャレンジすらも諦め、はや半年が経ちました。

そんなところに、都内の別のパーソナルメイクサロンの体験予約の広告が流れてきたのです。短時間とはいえ資生堂のレッスンと比べるとかなり安く、予約枠も豊富だったので軽い気持ちで予約をとり、今月実際に行ってきました。

結論だけ言うと、パーソナルメイクレッスン体験は行って良かったです。払ったお金以上のものが得られたと感じています。それなのになぜサロンについてこれだけ曖昧に書くのか、もうタイトルでバレている気もしますが……

 

自分が損をしているのはわかっている話をします。

言うをゆうと書く人の言うことを、悪い意味で話半分に聞いてしまいます。重複のジュウフク読みが国語的に正しくなっても、目の前で言われると「そちらで読む人か」と思っています。中の人の人格が前に出ている企業や飲食店の公式アカウントを、その商品・サービスごと避けがちです。店員さんに横柄な態度をとるお客さんと同じくらい、顧客に敬語をつかわないサービス提供者が苦手です。

 

そう。今回行ったサロン、私の担当としてついてくださった方が敬語を使われない方だったのです。

年齢は私から伝えていませんし担当さんの年齢も伺いませんでしたが、会話の内容から察するに一回り上の男性。まだ若者面をしている私に対して、敬語をつかわずに親しみを感じさせやすい話し方を選ばれることは、客観的に不自然ではないと思います。そのサロンはサブスク型で、契約すると隔週で継続的に一対一で見ていただくことになるので、友達のような近しい距離の方が通う契約をしやすいお客さんも多いのでしょう。教えてくださる先生と生徒の私という関係性を考えても自然です。そのスタイリストさんの接客は正しい。

そして最初にも書きましたが、施していただいたメイクや教えていただいた内容には本当に満足しています。顔立ちも自分でしていったメイクも恥ずかしくなるほど褒めていただいて、直した方がいいところを不快に思わせずに指摘する技術にも感動しました。行ってよかったと言い切れます。

それなのにどうにも居心地が悪く、当然その理由は伏せて本契約はお断りし、お断りしたことでさらなる居心地の悪さを自ら生みながら、トライアル料金のみ支払って帰りました。

 

振り返ると、数年間毎月会っている美容師さんやネイリストさん、好きで通っている飲食店の方は何度会っても敬語を外さずにいてくれるし、私も自然にずっと敬語をつかっていて。話す内容はほとんど友達と変わらなかったり、友達よりも頻繁に会う相手であったりするわけですが、それでも友達ではないその距離感を保ってくれる人のことが私は好きなんだと気づきました。

メイクレッスン体験を終えたその夜、良い状態の顔で会った初対面の年上の男性に「ていうか全然タメ口でいいよ」と笑って言われたとき、これも苦手だなと思いました。そこでは私は顧客ではないので敬語を使われないことに何の不満も覚えませんが、こちらの敬語はゆるしてほしい。多分損な性格をしているのはわかっています。それでも引いておきたいのかなあ、一線を

泣かないでと百回つぶやく

大丈夫。大丈夫よ。大したことないわ。

ちょっとよろめいただけで、どこも怪我していないじゃない。この世の終わりみたいな顔してどうしたの。大袈裟ね。優しく「大丈夫?痛かったね」なんて言ってほしかったのかしら。

不意にあらわれた扉に向けて、咄嗟に伸ばした手が届かなかっただけ。夢中で身を乗り出したから、それが幻みたいに消えてしまって多少体勢を崩したかもしれないけれど、なにも崖から落ちたってわけじゃないのよ。これまで歩いてきた道が同じように足下にあるの。今だってそこにしっかり立っているのよね。それなのに、どうしてそんな顔をしているの。

何もかも間違っていた、そんなことはきっとないわ。もうどうしようもないなんてことも、多分ないのよ。

大丈夫。あなたはちゃんと歩いてきたし、まだ歩けるわ。この先でまた同じ扉に巡り合うとは限らないけれど、歩いていかなくちゃこのまま永遠に見失うことは確かなの。

ねえ、だからお願い、泣かないで。私まだ歩けるわ

「愛っていうのは言葉でも気持ちでもなく、行動のことだと思う」

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7月23日、Zepp ShinjukuでMOROHAのワンマン MOROHA V RELEASE LIVEを見た。

お湯落ちマスカラが全て落ちてすっぴん同然になるまで泣いた。彼らのライブを生で見るのは二度目。一度目も泣いていたから、二分の二、泣いたことになる。二度あることは三度あると言うし、多分私は次も泣くだろう。人に会えない顔になって、眼鏡とマスクをつけて帰る。誰かを誘って行けるのは当分先になりそう。

 

長崎でMOROHAを見た日

MOROHAを最初に聞いたのは、一年前、私の好きなバンドが主催するフェス(BLAZE UP NAGASAKI)に彼らの出演が決まったときだった。公式の予習プレイリストに、彼らの代表曲「革命」が入っていて、これは私向きの音楽じゃないと大して聞きもせず飛ばしたことを覚えている。ポエトリーリーディングもラップも、今まで自分が好んで聞いてきた音楽とあまりにも違って、どう楽しめばいいのかよくわからなかったのだ。声も苦手だったかもしれない。

とにかく私はMOROHAにスッとはまれないまま、長崎で初めてそのライブを見ることになった。

 

ステージに男性が二人。前に出ていたバンドより随分聴衆が少ないことを自虐的に、ふざけている風ではなく笑って、それが音楽になっていた。音楽に聞こえた。それはアドリブ混じりの「チャンプロード」という曲だったから、当然音楽なのだけれど、私の中では音源を聞いたときに音楽として飲み込めなかったものだった。

ギターは素人目にもわかるほど上手くて、坊主の人は怖いくらい汗をかいていて妙に切実で。一言で言うなら、怖かった。怖くてかっこよくて、リハーサルが終わる頃には、同様に惹きつけられたらしい多くの人がステージ前に戻ってきていた。

リハーサルと本番の境は、言われてみればあそこだったかと思うほどに曖昧で、そんな本番の一曲目があの「革命」だった。

私は気づいたら泣いていた。怖い。最初に聞いたとき受け付けなかった音楽を生で聞いたら感動で涙が止まらなくなったことがある人はわかると思うが、これはとんでもなく怖いことだ。自分が何をされたのかわからない。無理がどうして感涙になる?

女の子が怯えているのでラブソングをやります、という前フリで始まった「花向」という曲も別の意味で怖かった。さっきまでいかに自分がヤバいのかを熱く叫んでいた人が、本当は 帰らないでほしかったんじゃなくて 君の 帰る場所になりたかった などとロマンチックに歌うのだ。情緒不安定にもなる。

こちらは不倫なんてしていないのに、もしかしたらしたことがあったんじゃないかと思ってしまうくらい、どうしてか泣いてしまう。私の両隣も泣いていた。優しいその歌が終わったときにステージ上から放たれた台詞は、今泣いている人たちは多分不倫してます、だった。泣きながら笑った。情緒不安定にもなる!

 

愛の話

私は好きなバンドを見に行った11月の長崎で、好きなバンドに呼ばれていたMOROHAに情緒をめちゃくちゃにされ、そして7月に東京でMOROHAのリリース記念ワンマンを見るに至った。

その日、7月23日に発表されたリリースツアー追加公演の中には、長崎公演があった。

「長崎にはもう来られないと思ってた。(略)だけど、SHANKに襟首を掴まれた。長崎忘れてないか?って。まんまと思い出してしまった。Studio Do!に帰りたくなってしまった。来年、必ずツアーで来ようと思います。愛っていうのは言葉でも気持ちでもなく、行動のことだと思う。SHANKの愛に応えたいと思ってます」

身じろぎすら許さない静寂が最大の賛辞。愛とは何かを自分に問い続ける痛切なライヴ | BLAZEUPNAGASAKI

そう宣言されるのを、あの日長崎で確かに聞いた。

「愛っていうのは言葉でも気持ちでもなく、行動のことだと思う」。一年前に長崎でそう言っていて、今年の冬には本当にツアーで長崎に行く坊主の人の名前はMCアフロで、横でギターを弾いている人はUKというらしいです。

 

最後までお付き合いいただきありがとうございます。「tomorrow」が一番好きなささやかでした