という四字熟語が好きです。らっかりゅうすい。花は落ち、水が流れる。先ず以って語感が綺麗。
落花流水。読んで字の如く、花が散り水に流れる、過ぎていく春の景色。転じて、物事の衰えゆくこと。時がむなしく過ぎ去ることのたとえ。それからもうひとつ、別離のたとえ。
ここまではわかる。晩春の物悲しさと結びつく
しかし、衰えや別れを意味するこの言葉はなんと、男女が相思相愛の状態であることも表すのである。何でも、散る花は流水に乗って流れ去りたいと思い、流れ去る水は落花を乗せて流れたいと思っているから両思いだね、ということらしい。両思いって久しぶりに聞くとくすぐったい言葉ですね
そしてこの相思相愛のたとえは、さらに転じている。
落花流水。花が散れば水はそれを浮かせて流れゆくことから、水に流れたい落花を男に、流水を女になぞらえて、男に女を思う情があれば女もその男に情が生ずるということ。
何が……?
落花流水。ひとつの言葉が別れと慕い合いとを孕んでいるところがなかなか好きなのだが、これだけでは終わらない。
諺に、落花情あれども流水意なし、というのがある。こちらは、花は流水を慕って落ちるのに、水の方はその影響を受けずに素知らぬ顔で流れていくことから、一方に愛情があっても他方にそれがまったく伝わらないこと。片思いのたとえ
なんということでしょう
落花流水。落花情あれども流水意なし。ともに同じひとつの事象、ただ花が、流れる水に向かって落ちる瞬間を捉えている。それが片や惹かれ合う男女や男に絆される女だと見なしたかと思えば、片や、情は感染らないさまだという
仕方ないのか。好かれた相手を好きになる人もいるし、好かれても好きになれないこともあるし、好きになったから一緒にいるのかもしれないし、好きでなければ一緒にいないとも限らないし。
だから落花流水は別離で相思相愛で、落下情あれども流水意なしは一方通行で、どちらもそれらしく、言葉として残ってきたのでしょうか
花は望んで落ちたのか、落ちてもいいと思っていたらついに落ちたのか、落ちたくないのに落ちたのか、落とされてしまったのか。 落ちた花を見ても、それを運ぶ水をよく見てもわからない
花が望むなどと言うと茶化しているように聞こえるだろうか。では人と言い換えてもいい
人が、落ちた。
その人は望んで落ちたのか、落ちてもいいと思っていたらついに落ちたのか、落ちたくないのに落ちたのか、落とされてしまったのか
落花流水の情。落下情あれども流水意なし。物言わぬ花が落ちた、それだけを見て人は真逆の答えを持てるのだ。
動いて話して泣いて笑って怒っていた人間が落ち、もはや自身について語る言葉を持たず、雄弁な証拠もなければ、もう
あのとき彼はああ言った。彼は怒っていた。いや泣いていた。彼はこういう人間だった。それは本当の彼じゃない。
真実を語るのは誰か?
落下の解剖学、本当に好きな映画です。
ただ「事故か、自殺か、殺人か。驚愕の真相が明らかに!」みたいなテンションで見る映画でも、 全然ガリレオでもコナンでもないので、人は選ぶのかもしれない。
もう一つだけネタバレをすると、 主人公はフランスで暮らしているが日常的には英語を話すドイツ人。仏語が飛び交う場で主人公が、「英語で話しても?」と仏語から英語に切り替えるシーンも、吹替だと「少し話を整理してもいいでしょうか」になっている。言語が重要な映画なので、普段吹替で見る人もこれはぜひ字幕で見てほしい。
「お金は幸せを生まない。でも地下鉄で泣くより車で泣く方がいい」
— ささやか (@oyasumitte) 2024年9月28日
花は落ちた。事実はそれだけ。それなら私は、落花情あれど流水意なしより、落花流水の方が好きかな。好きなバンドが以前から If you have favor, I also have favor.というおそらく魚心あれば水心の英訳ロゴが入ったTシャツを販売していて、今さらちょっと欲しくなっています