「シャッターは愛の告白」らしい。確かに好きな人が何でもないタイミングで自分にカメラ向けてくるのってすごく嬉しいよね。酔ってだめになってるときとか 鏡の前で化粧してるときとか、恥ずかしくて反射的にやめてよ〜って言っちゃうけど 本当はいつも泣きたいくらい嬉しくなってる
— ささやか (@oyasumitte) 2020年3月15日
好きな人に撮られた自分の写真写りがいいと嬉しい。確かに好かれているなと感じる。
変なタイミングで妙な写りの写真を撮られるのは恥ずかしくて嫌だ。だが一方で、そこには別の喜びがあったりしなくもない。
寝顔とか化粧中に鼻の下が伸びている顔とか、撮られているとわかったら恥ずかしいので絶対に嫌がる。嫌がるけれど、そんな可愛くないところを楽しげに撮影され見せられると、正直なところ嬉しくなってしまう。好きだよと言葉で言われるよりずっと刺さる。
こういう風に顔を横に伸ばして笑われるとかも無理だ。愛が深くて震えてしまう
近年のありのままの自分を認めようムーブというか、生きてるだけでえらい!みたいな無責任言葉の流行が、私はあまり好きではないのだけれど。それでもやはりわたしの中にも、よそ行きじゃない自分を認められたいみたいな気持ちがあるのかしら。「だから好き」より「でも好き」の方が強いとか、思っちゃってるのかしら
でも本当に、好きだよって口で言うのは簡単で。事に及んでいるときなら尚更。簡単だから意味がないわけではなくて、勿論それが必要なとき、簡単だからこそそれをされないことの意味を考えてしまうようなときもある
「好きって言って、て言ったあとに言われる好きって意味あるの?」って聞かれたことがあって、確かに自発的に言ってくれた好きが100点だとしたら頼まれて言う好きは2点だけど、言わないお前は0点です
— ささやか (@oyasumitte) 2020年10月4日
ただ、時間を割いて会いに行ったり顔を触って遊んだり、それって私の中では一言「好きだよ」と言うよりもずっと相手を選ぶことだ。両手で頬を伸ばしてそれを笑うなんて、本当に愛おしく思っている相手にしかできない。私はね
自分がそうだから相手もと考えるのは乱暴かもしれないし、己の「好きだよ」という言葉を私よりずっと重く見て「簡単に好きとか言うと言葉が軽くなる」という論理で動く恋人と衝突してはいるので、気をつけようとは思っているのだけれど。とにかく私はこういう行動に愛を見出す性癖持ちですというカミングアウトでした
「好きだよ」もキますけれどね。実際。
言葉より態度とか、時間を割く割かないとか、全部相対的な話です